小説、もどき――『草薙の剣』(4)

日本の百年を描き、最終章に来たあたりで、こういう文章がある。

「『終身雇用の時代は終わった』とは既に言われていたことだが、だからと言って雇用されていた会社員が解雇されて野に放たれたというわけではなかったし、会社というシステムそのものが機能不全を起こして停止したというわけでもなかった。
 ……
 人はその変化を経済学の理論で解明したがっていたが、それは経済学とは違った質のものだったのかもしれない。二十世紀の間に、時代は老いて錆びついていたのだ。
 経済成長というものが生活習慣病のようなものになって、危険レベルを超えて発作を惹き起こした。それが『バブルがはじけた』ということだったのだ。老いた体に往年の活気は戻らない。」
 
見事な描写だが、歴史を語るというなら、「人はその変化を経済学の理論で解明したがっていたが、それは経済学とは違った質のものだったのかもしれない」というところ、「経済学とは違った質のもの」を解明し、さらにその先を解き明かさなくてはなるまい。
 
しかし、これは小説の地の文章だから、そんな必要はないというなら、そこで浮き上がってくる主人公たちが、生き生きと、躍動していなければいけない。
 
ところが10歳ずつ違う主人公たちも、その親たちも、配偶者も、まるで没個性的な、ということは典型的な魅力がないのだ。これらの人物は、たんに舞台を回しているだけの、それこそ狂言回しに過ぎないんじゃないか。
 
一方、歴史の舞台が回るとき、橋本治がコメントを差し挟むのだけど、これがまた、実に陳腐である。はっきり言って、どうしようもなく愚劣なのだ。
 
これまでに、引用のかたちで取り上げたのは、それでもかろうじて、気が利いていたり、オリジナリティが立っているものを引いた。それでも、この程度だ。

『草薙の剣』は、橋本治が、六人の主人公を狂言回しにし、年表の書きやすいところを、書きやすいように書いた、いわば「小説もどき」である。
 
しかし橋本治の、二百冊を超える著書を、『草薙の剣』一本で判断するのは、いくらなんでも、どうかと思う。
 
あと一冊、オウムを論じて、新潮学芸賞を受賞した、『宗教なんかこわくない!』を読んでみよう。

(『草薙の剣』橋本治、新潮社、2018年3月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 13:05Comment(0)日記