まず最初に、はっきりさせておくべきことがある。
「この国にも『移民』が存在し、取り組むべき『移民問題』が存在する。日本は『遅れてきた移民国家』である。建前と現実の乖離を、そろそろ終わりにするべきではないだろうか。」
これが著者の大前提である。
そのことを前提として、「今この本を手に取る市井の人々に必要なのは全体像だ。」なるほど。
いま政府は、人手不足に苦しむ産業界からの要請に応じて、外国人労働者を、さらに拡大して受け入れようとしている。
しかし一方で、政府は、馬鹿の一つ覚えのように頑なに、これは移民政策ではない、と言っている。
こういう建前と本音が、極端に乖離すれば、どうなるか。
どうにもならない。ただ労働力を提供する外国人が、不足していくだけである。
日本人の労働人口は、減っていくばかりなのだ。これは何とかしなければいけない、と産業界は考えた。
それが昨年秋の、入管法改定となって表れた。
それまでは、「技能実習生」という名の労働者は、最長5年の在留期間の後に、帰国させていた。その間、家族を呼び寄せることもできなかった。
安価な労働力だけ、持ってくればいいのだ。それ以外はいらない。定住なんて、とんでもない。5年たったら必ず帰ってくれ。
それが、劇的に変わった。変わらざるを得なかったのだ。
入管法改定の後、2019年4月に新設される「特定技能」は、ある段階まで進むと、「技能実習」や「留学」の後も、日本に残って職に就くことが可能になる。
それだけでなく、「特定技能」2号まで進むと、家族を呼ぶことも可能になり、さらに年数を重ねることによって、永住権の取得も可能になってくる。
しかしこれは、まだ絵に描いた餅である。
日本政府は長らく、外国人労働者を、「いわゆる単純労働者」と、「専門的・技術的分野の外国人」に二分し、そのうえで、前者は受け入れずに、後者だけを受け入れる、というスタンスでやってきた。
これはもちろん建前であって、本音は全く違う。現実には、「専門的・技術的分野の外国人」は、2割に過ぎない。
実際には、技能実習生や留学生などが、事実上の労働者として、低賃金、非熟練の職に就き、日本の「非正規労働市場」の一部を構成してきたのだ。
「技能実習生に至っては、最低賃金違反などの悪質な事例も数多く指摘されており、非正規雇用の中でもより一層下位のレイヤーへと組み込まれている。」
技能実習生の問題は、深刻極まりなく、そして緊急を要する。
これからの日本の指針――『ふたつの日本ー「移民国家」の建前と現実ー』(1)
これは『コンビニ外国人』、『知っておきたい入管法ー増える外国人と共生できるかー』に続けて読んだ本である。
『コンビニ外国人』は、全体の流れを理解するには役に立つが、2018年秋の入管法改正前の刊行なので、話が少しずれている。
『知っておきたい入管法』は、入管法改正以後の本で、それを含み込んで書いている。しかしこれは、どちらかといえば、外国人を取り締まる側の本なので、現実を見れば、絵に描いた餅のところがあり、ちぐはぐなところもある。
その点では、『ふたつの日本』が、もっとも現実を抉り、先の見通しも正確であるとおもわれる。そもそも、「『移民国家』の建前と現実」という、サブタイトルにしてからが、当たり前のことではあるが、現実を直視している。
著者の望月優大(もちづき・ひろき)氏は1985年生まれ、日本の移民文化・移民事情を伝える、ウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」の編集長を務めている。
もともとは東大の大学院修士課程を出て、経済産業省に勤め、その後グーグル、スマートニュースなどを経て、2017年に独立。移民・難民問題を中心に取材し、「現代ビジネス」や「ニューズウィーク日本版」など、雑誌やウェブ媒体に寄稿している。株式会社コモンセンスの代表を務め、非営利団体等の支援にも携わっている。
こういう、現代の第一線で活躍しているらしい人の略歴を見ると、「東大大学院を出て経済産業省」以外は、どういうふうに食っていけてるのか、ほとんどわからない。実に興味がある。
それはともかく、まず読んでみよう。
2018年末の臨時国会で、新たな在留資格である「特定技能」の創設が決まった。これについては、後で詳しく見ていくが、これによって、日本で働く外国人は、ますます増えてゆくに違いないと思われる。
けれども、肝心の私たちの「視線」は、今も大して変わっていない。
「大きく変化した現実に対して、私たちの感覚は追いつけていない。」
著者は、そう言う。なぜか。
「日本では長らく『移民』という言葉自体がタブー視されてきた。……今でもなお政府は『移民』という言葉を意図的に避け、まるで日本が一つの巨大な人材会社でもあるかのように、労働者たちを『外国人材』と呼んでいる。日本にはいまだに移民や外国人の支援や社会統合を専門とする省庁も存在しない。」
そこでこの本で、私たちを覚醒し、外国人のいる日本の風景を、というよりも、その風景を見る私たちの「視線」を、変えてしまおうというのが、著者の目論見である。
『コンビニ外国人』は、全体の流れを理解するには役に立つが、2018年秋の入管法改正前の刊行なので、話が少しずれている。
『知っておきたい入管法』は、入管法改正以後の本で、それを含み込んで書いている。しかしこれは、どちらかといえば、外国人を取り締まる側の本なので、現実を見れば、絵に描いた餅のところがあり、ちぐはぐなところもある。
その点では、『ふたつの日本』が、もっとも現実を抉り、先の見通しも正確であるとおもわれる。そもそも、「『移民国家』の建前と現実」という、サブタイトルにしてからが、当たり前のことではあるが、現実を直視している。
著者の望月優大(もちづき・ひろき)氏は1985年生まれ、日本の移民文化・移民事情を伝える、ウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」の編集長を務めている。
もともとは東大の大学院修士課程を出て、経済産業省に勤め、その後グーグル、スマートニュースなどを経て、2017年に独立。移民・難民問題を中心に取材し、「現代ビジネス」や「ニューズウィーク日本版」など、雑誌やウェブ媒体に寄稿している。株式会社コモンセンスの代表を務め、非営利団体等の支援にも携わっている。
こういう、現代の第一線で活躍しているらしい人の略歴を見ると、「東大大学院を出て経済産業省」以外は、どういうふうに食っていけてるのか、ほとんどわからない。実に興味がある。
それはともかく、まず読んでみよう。
2018年末の臨時国会で、新たな在留資格である「特定技能」の創設が決まった。これについては、後で詳しく見ていくが、これによって、日本で働く外国人は、ますます増えてゆくに違いないと思われる。
けれども、肝心の私たちの「視線」は、今も大して変わっていない。
「大きく変化した現実に対して、私たちの感覚は追いつけていない。」
著者は、そう言う。なぜか。
「日本では長らく『移民』という言葉自体がタブー視されてきた。……今でもなお政府は『移民』という言葉を意図的に避け、まるで日本が一つの巨大な人材会社でもあるかのように、労働者たちを『外国人材』と呼んでいる。日本にはいまだに移民や外国人の支援や社会統合を専門とする省庁も存在しない。」
そこでこの本で、私たちを覚醒し、外国人のいる日本の風景を、というよりも、その風景を見る私たちの「視線」を、変えてしまおうというのが、著者の目論見である。
上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(6)
1999年、井上さんは長年親しんできた編集部から、営業部に異動することになる。これは、神保町界隈では、驚きの人事異動であった。
それはそうでしょう。『大往生』が200万部売れ、続編が何十万部も売れる編集者を、そこから外して、いったいどうするのか。岩波は、そんなに人材を取りそろえた、多士済々の会社なのか(もちろん皮肉)。
営業に異動する挨拶にきた井上さんに、永六輔は、こんな言葉を投げかける。
「部署が変わったから後任は誰々というのは、ぼくは好きじゃない」「いまはJAだって生産者が売っている。君も自分でつくって、自分で売ればいいじゃないか」
これは驚天動地の言葉であり、編集者にしてみれば、いわば勲章である。「覚書」を送って、著者の心臓を打ち抜いた成果だ。
井上さんは、こう書く。
「驚き、困惑するいっぽう、嬉しくも思ったことを正直に告白します。永さんが『仕事は君としたい』と言ってくれたわけで、こんな嬉しい言葉もない。」
そこで会社に戻って報告すると、なんと会社は、永六輔の担当は、従来通り君がやれ、ということになった。
このあと、「六輔ワールド第二幕」では、営業部の重役になった井上さんが、永六輔と一緒に、サイン会をやりながら、全国の書店を旅してまわることになる。
この全国の書店でサイン会をやるという案は、永六輔のプランだった。永六輔のプランではあるのだが、しかし見ようによっては、永さんは最後まで、井上さんの掌の上で踊り続けていたのである。
(『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』
井上一夫、集英社、2019年3月10日初刷)
それはそうでしょう。『大往生』が200万部売れ、続編が何十万部も売れる編集者を、そこから外して、いったいどうするのか。岩波は、そんなに人材を取りそろえた、多士済々の会社なのか(もちろん皮肉)。
営業に異動する挨拶にきた井上さんに、永六輔は、こんな言葉を投げかける。
「部署が変わったから後任は誰々というのは、ぼくは好きじゃない」「いまはJAだって生産者が売っている。君も自分でつくって、自分で売ればいいじゃないか」
これは驚天動地の言葉であり、編集者にしてみれば、いわば勲章である。「覚書」を送って、著者の心臓を打ち抜いた成果だ。
井上さんは、こう書く。
「驚き、困惑するいっぽう、嬉しくも思ったことを正直に告白します。永さんが『仕事は君としたい』と言ってくれたわけで、こんな嬉しい言葉もない。」
そこで会社に戻って報告すると、なんと会社は、永六輔の担当は、従来通り君がやれ、ということになった。
このあと、「六輔ワールド第二幕」では、営業部の重役になった井上さんが、永六輔と一緒に、サイン会をやりながら、全国の書店を旅してまわることになる。
この全国の書店でサイン会をやるという案は、永六輔のプランだった。永六輔のプランではあるのだが、しかし見ようによっては、永さんは最後まで、井上さんの掌の上で踊り続けていたのである。
(『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』
井上一夫、集英社、2019年3月10日初刷)
上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(5)
永六輔・井上一夫のコンビは、『大往生』『二度目の大往生』に続いて、『職人』『芸人』『商(あきんど)人』を出す。「覚書」を送った後は、実に快調である。
「このときわたしのなかには、こんな了解ができていました。永さんの語りは、ときに俗説っぽいことを平気で言ったりするけれど、すべてみずからの身体をくぐった『知恵』に転化している。……つまりは永さんの『生き方講座』であり、期待すべきは永さんのボルテージの高まり。大きなテーマさえ定まれば、あとは彼のセンスが解決する。」
こう見てくると、井上さんは、場合によってはお釈迦様であり、永六輔は、その掌の上で踊る孫悟空といった趣である。もちろん、どちらが偉いとか何とかいうことではないので、誤解のないよう。
結局、編集の究極の極意とは、編集者が自分をさらけ出す、ということに尽きる。
もちろん、より効果的な見せ方はあるだろう。しかし、小手先のことをどうこうしても、人間が勝負となれば、すべてをかなぐり捨てて、著者にぶつかっていくしかない。
それにしても、そういうことを、最初から教えていてくれればなあ、と思わずにはいられない。
とくに、そこそこの学歴を持った人間は、とかく格好をつけたがる。僕もそうだった。
トランスビューという、まったく新しい出版社を作って初めて、何もかもかなぐり捨てて、前に進めたのだ。
そのときはもう、四十歳代の後半だった。まったく、回り道をしたものだ。
この本には他に、例えば手紙のコビーを取る、ということが出てくる。
「編集者たる者、大事な手紙はコピーをとっておくというのは、わたしならずとも心がけておくことです。」
これは、著者の手紙のコピーではない。編集者が、自分の方から出す手紙である。これは本当に難しい。
僕は、五十歳を過ぎたあたりから、やむを得ずコピーを取り始めたが、そしてそれは役に立ったが、それでも最初は、コピーを取るのは嫌だった。
自分の手紙は、時間がたってみると、へたくそな点ばかりが目立つのだ。もちろん、コピーを取っているうちに、それはたいして気にならなくなるのだが。
さらに井上さんが、ひそかにこの本で、計画していることがある。それは、表立ってはっきりとは書かれていないが、彼が試みる「文体」のことである。
井上さんは、永さんの本、永さんの文体を、横目で見ながら、この本を書いている。永さんの岩波新書は、独特の文体で書かれているのだ。
「ここで編み出された疑似講演録という手法は、……永さん本の大きな特徴のひとつとなります。これはじつは、新たな文体を生み出す作業でもありました。
………
あたかもしゃべったような文体、それこそが課題だったのです。」
井上さんは、これを換骨奪胎、自分でもやってみるのである。
その出来栄えは、どうぞ読者が確認してください。
「このときわたしのなかには、こんな了解ができていました。永さんの語りは、ときに俗説っぽいことを平気で言ったりするけれど、すべてみずからの身体をくぐった『知恵』に転化している。……つまりは永さんの『生き方講座』であり、期待すべきは永さんのボルテージの高まり。大きなテーマさえ定まれば、あとは彼のセンスが解決する。」
こう見てくると、井上さんは、場合によってはお釈迦様であり、永六輔は、その掌の上で踊る孫悟空といった趣である。もちろん、どちらが偉いとか何とかいうことではないので、誤解のないよう。
結局、編集の究極の極意とは、編集者が自分をさらけ出す、ということに尽きる。
もちろん、より効果的な見せ方はあるだろう。しかし、小手先のことをどうこうしても、人間が勝負となれば、すべてをかなぐり捨てて、著者にぶつかっていくしかない。
それにしても、そういうことを、最初から教えていてくれればなあ、と思わずにはいられない。
とくに、そこそこの学歴を持った人間は、とかく格好をつけたがる。僕もそうだった。
トランスビューという、まったく新しい出版社を作って初めて、何もかもかなぐり捨てて、前に進めたのだ。
そのときはもう、四十歳代の後半だった。まったく、回り道をしたものだ。
この本には他に、例えば手紙のコビーを取る、ということが出てくる。
「編集者たる者、大事な手紙はコピーをとっておくというのは、わたしならずとも心がけておくことです。」
これは、著者の手紙のコピーではない。編集者が、自分の方から出す手紙である。これは本当に難しい。
僕は、五十歳を過ぎたあたりから、やむを得ずコピーを取り始めたが、そしてそれは役に立ったが、それでも最初は、コピーを取るのは嫌だった。
自分の手紙は、時間がたってみると、へたくそな点ばかりが目立つのだ。もちろん、コピーを取っているうちに、それはたいして気にならなくなるのだが。
さらに井上さんが、ひそかにこの本で、計画していることがある。それは、表立ってはっきりとは書かれていないが、彼が試みる「文体」のことである。
井上さんは、永さんの本、永さんの文体を、横目で見ながら、この本を書いている。永さんの岩波新書は、独特の文体で書かれているのだ。
「ここで編み出された疑似講演録という手法は、……永さん本の大きな特徴のひとつとなります。これはじつは、新たな文体を生み出す作業でもありました。
………
あたかもしゃべったような文体、それこそが課題だったのです。」
井上さんは、これを換骨奪胎、自分でもやってみるのである。
その出来栄えは、どうぞ読者が確認してください。
上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(4)
これは本当に、離れ業である。
そもそも、「『二度目の大往生』編集始末記」と題する「覚書」をものすることが、稀有なことなのに、それを著者に送り届けるとは。
「……これからもお付き合いが続く以上、気持ちよく仕事をしてもらうためには、こちらの姿勢を理解してもらう必要があると。わたしの『「二度目の大往生」編集始末記』はもともと個人的覚えに過ぎませんが、何を考えたのかは詳しく記されている。まったくの『予定外』ではありましたが、正直なところを知っていただこうと、思い切ってこの覚書をお送りします。」
「覚書」という矢は、永六輔という的の、ど真ん中を射抜いたに違いない。
著者と編集者の組み合わせは、初めは「偶然」に過ぎない。しかしそれが、「必然」に変わる瞬間がある。それが、この時である。井上さんは、「必然」の糸をたぐり寄せていたのである。
むろんこんなことは、ずっと前から、永六輔という著者を担当するときから、計ってやっているわけではない。この瞬間、手紙で「覚書」を送ったということ、つまりその反射神経が、素晴らしいのである。
このとき永六輔は、もはや編集者・井上一夫をおいて、ほかの人と組むことは考えられない、と思ったに違いない。
「永さんはすぐに読んでくれて、葉書で返事が届きました。いわく『ちょっとしたカルチャー・ショック』。」
ここには、「カルチャー・ショック」としか書かれていないが、永六輔の胸中は、感嘆とともに、複雑だったろう。井上さんと組むのは、容易なことではないぞ、しかし井上さん以外に組む人はあり得ない、と。
ここまで来ると編集も、究極は才能の問題である、と言わざるを得ない。
僕が、鷲尾賢也さんに書いてもらった本は、それに比べれば、ごく初級である。鷲尾さんは、『編集とはどのような仕事なのか』の「あとがき」に書いている。
「現場に即した編集の教科書が欲しい。現役のときからずっと思っていたことである。企画を発想する。原稿の書ける人を発掘する。それらは簡単なようでじつはむずかしい。あるいは、どのようにしたら読者に迎えられる本になるのか。そこにコツはあるのか。そのような、いわば実用に徹した手引きがほしかった。」
ここから、井上さんと永六輔の地平に至るまでには、気の遠くなるような道のりがある。
というか、これはもう、ほとんど誰も真似のできない、高みの存在にある。
そもそも、「『二度目の大往生』編集始末記」と題する「覚書」をものすることが、稀有なことなのに、それを著者に送り届けるとは。
「……これからもお付き合いが続く以上、気持ちよく仕事をしてもらうためには、こちらの姿勢を理解してもらう必要があると。わたしの『「二度目の大往生」編集始末記』はもともと個人的覚えに過ぎませんが、何を考えたのかは詳しく記されている。まったくの『予定外』ではありましたが、正直なところを知っていただこうと、思い切ってこの覚書をお送りします。」
「覚書」という矢は、永六輔という的の、ど真ん中を射抜いたに違いない。
著者と編集者の組み合わせは、初めは「偶然」に過ぎない。しかしそれが、「必然」に変わる瞬間がある。それが、この時である。井上さんは、「必然」の糸をたぐり寄せていたのである。
むろんこんなことは、ずっと前から、永六輔という著者を担当するときから、計ってやっているわけではない。この瞬間、手紙で「覚書」を送ったということ、つまりその反射神経が、素晴らしいのである。
このとき永六輔は、もはや編集者・井上一夫をおいて、ほかの人と組むことは考えられない、と思ったに違いない。
「永さんはすぐに読んでくれて、葉書で返事が届きました。いわく『ちょっとしたカルチャー・ショック』。」
ここには、「カルチャー・ショック」としか書かれていないが、永六輔の胸中は、感嘆とともに、複雑だったろう。井上さんと組むのは、容易なことではないぞ、しかし井上さん以外に組む人はあり得ない、と。
ここまで来ると編集も、究極は才能の問題である、と言わざるを得ない。
僕が、鷲尾賢也さんに書いてもらった本は、それに比べれば、ごく初級である。鷲尾さんは、『編集とはどのような仕事なのか』の「あとがき」に書いている。
「現場に即した編集の教科書が欲しい。現役のときからずっと思っていたことである。企画を発想する。原稿の書ける人を発掘する。それらは簡単なようでじつはむずかしい。あるいは、どのようにしたら読者に迎えられる本になるのか。そこにコツはあるのか。そのような、いわば実用に徹した手引きがほしかった。」
ここから、井上さんと永六輔の地平に至るまでには、気の遠くなるような道のりがある。
というか、これはもう、ほとんど誰も真似のできない、高みの存在にある。
上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(3)
井上一夫さんが、かたちにしていたコンセプトを、永六輔は鮮やかにひっくり返した。それまでに用意していた講演原稿は、すべて捨てるという。
その理由は、「三冊目の準備もあわせて考えるべきだ。三冊目の材料となるものは使わない。」
井上さんは一瞬、呆然とする。
永六輔の提案は、「署名にふさわしく(『二度目の大往生』というタイトルはすでに決まっていました)、『大往生』の路線を踏襲する。語録はもっと拡充し(当初案ではむしろ控えめでいいという発想でした)、講演は『宗教』について語る一本に絞り、それを今度の本の目玉にする。」
もともと井上さんの作業は、永六輔の了解を取り付け、その意向に沿ったかたちで、考えてきたものだ。何度も手紙のやり取りをし、たたき台として案を示し、原稿例まで準備してきたというもの。
「いかに『閃き』の人とはいえ、こうあっさり『積み重ね』を覆されたのでは、さすがに呆然です。しかし、虚心にみるなら、たしかにこのコンセプトのほうがおもしろそうで、かつすっきりしています。
意表をつかれてうろたえたあと、わたしは感動していました。これは永さんの覚悟を示すものだったからです。」
ここでまず、編集者が自分の意見をひっくり返されて、感動できるかどうか。瞬時にひっくり返されて、打てば響くように感動できるかどうか、どうです、皆さん。
しかし、井上さんが本当にすごいのは、ここから先だ。
『二度目の大往生』の編集作業が始まったとき、「わたしは仕事の合間をぬって、自分自身のための『覚書』を書きました。わたしはしばしば、担当した本の経験を私家版文書として文字化していますけれど、編集途中で書いたのはこれが初めてです。臨場感あるうちに、この間の出来事を自分なりに整理しておきたいという、やむにやまれぬ思いがありました。」
これはなかなか、というよりも、とうてい真似のできることではない。「編集」の究極の極意である。
井上さんは、この「覚書」の中で、率直に、自分は永六輔の個性を、把んでいなかったと書く。
ふつう、著者と本を作るときは、企画のイメージを固め、できれば目次の試案まで、作ることが望ましい。けれども、永六輔の場合は違うのだ。
「企画を決めたあと、そのときどきの『気分(?)』といって悪ければ『思い』で自由に展開していく。おそらくご本人も結果としてどんなかたちになるのか、予想できない。多分、そうなのである。
だから、ともかく二冊目を決めておけばよかったのである。内容はあとで考えればいいことだった。」
ここにおいて井上さんは、永六輔の勘どころを、ついに捕まえるのである。
『二度目の大往生』を作る上では、「一言一句にこだわるのではなく、永さんの個性を考えて判断すべきことだったのだ。そんなことは、『大往生』の編集過程を経験したものとして当然気づいているべきことであり、不明を恥じるのみだ。」
「覚書」を書いたことによって、井上さんはすっきりした気持ちで、以後の永さんの企画に臨むことができた。
しかし井上さんは、この後、あっと驚く離れ業を見せる。なんと永六輔に、この「覚書」を送ったのである。
その理由は、「三冊目の準備もあわせて考えるべきだ。三冊目の材料となるものは使わない。」
井上さんは一瞬、呆然とする。
永六輔の提案は、「署名にふさわしく(『二度目の大往生』というタイトルはすでに決まっていました)、『大往生』の路線を踏襲する。語録はもっと拡充し(当初案ではむしろ控えめでいいという発想でした)、講演は『宗教』について語る一本に絞り、それを今度の本の目玉にする。」
もともと井上さんの作業は、永六輔の了解を取り付け、その意向に沿ったかたちで、考えてきたものだ。何度も手紙のやり取りをし、たたき台として案を示し、原稿例まで準備してきたというもの。
「いかに『閃き』の人とはいえ、こうあっさり『積み重ね』を覆されたのでは、さすがに呆然です。しかし、虚心にみるなら、たしかにこのコンセプトのほうがおもしろそうで、かつすっきりしています。
意表をつかれてうろたえたあと、わたしは感動していました。これは永さんの覚悟を示すものだったからです。」
ここでまず、編集者が自分の意見をひっくり返されて、感動できるかどうか。瞬時にひっくり返されて、打てば響くように感動できるかどうか、どうです、皆さん。
しかし、井上さんが本当にすごいのは、ここから先だ。
『二度目の大往生』の編集作業が始まったとき、「わたしは仕事の合間をぬって、自分自身のための『覚書』を書きました。わたしはしばしば、担当した本の経験を私家版文書として文字化していますけれど、編集途中で書いたのはこれが初めてです。臨場感あるうちに、この間の出来事を自分なりに整理しておきたいという、やむにやまれぬ思いがありました。」
これはなかなか、というよりも、とうてい真似のできることではない。「編集」の究極の極意である。
井上さんは、この「覚書」の中で、率直に、自分は永六輔の個性を、把んでいなかったと書く。
ふつう、著者と本を作るときは、企画のイメージを固め、できれば目次の試案まで、作ることが望ましい。けれども、永六輔の場合は違うのだ。
「企画を決めたあと、そのときどきの『気分(?)』といって悪ければ『思い』で自由に展開していく。おそらくご本人も結果としてどんなかたちになるのか、予想できない。多分、そうなのである。
だから、ともかく二冊目を決めておけばよかったのである。内容はあとで考えればいいことだった。」
ここにおいて井上さんは、永六輔の勘どころを、ついに捕まえるのである。
『二度目の大往生』を作る上では、「一言一句にこだわるのではなく、永さんの個性を考えて判断すべきことだったのだ。そんなことは、『大往生』の編集過程を経験したものとして当然気づいているべきことであり、不明を恥じるのみだ。」
「覚書」を書いたことによって、井上さんはすっきりした気持ちで、以後の永さんの企画に臨むことができた。
しかし井上さんは、この後、あっと驚く離れ業を見せる。なんと永六輔に、この「覚書」を送ったのである。
上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(2)
『大往生』刊行後、半年余りで編集部に届いた、読者からの手紙は、200通から300通。これはそうとう凄いことなのだか、永六輔はこれに、必ず返事を書いた。
ここはさらっと書いているけれど、実は大変なことだ。著者で実際にこれをやる人は、いないんじゃないか。
戦前、加藤謙一が『少年倶楽部』を編集していたとき、編集部員は朝来て、まず読者カードに返事を書くのが仕事だった、という話を聞いたことがある。『少年倶楽部』も100万部を記録したが、その陰には、地道な努力があったのだ。
僕の知っているところでは、読者カードに必ず返事を書いたのは、池田晶子さんだった。『14歳からの哲学』が出るまでは、必ず返事を書いていた。
池田さんは、読者の善意を信じていたから、返事を書くのは、苦痛ではなかったようだ。というか、むしろ嬉々として、軽やかにやっていた。
『14歳からの哲学』が出て、10万部を超えたあたりから、自分と結婚してくださいなどの、いわゆるストーカー的な人々が出てきて、直接の手紙のやり取りはできなくなった。
しかし、永さんの場合は、さらにその先がある。
「読者からこれほど数多くの熱烈な手紙が寄せられるのは異例ですが、それ以上に異例だったのは、返事をもらって感激したという、再度ないし再々度の手紙がいくつも届いたこと。つまりこの本、著者=永六輔と読者との間に回路ができていました。それこそが特筆されるべきことで、その後もずっと続く関係になります。」
いやもう、ただ参りました、というほかはない。
『大往生』が爆発的に売れたので、必然的に続編の話が出る。
永六輔が提案したのは、「大往生その後」。
「『大往生』がなぜ売れたか、ベストセラー誕生物語がその内容だという。」
これはまあ、まともな出版社ならやらない。タコが自分の足を食うようなもので、いかにもみっともない。たいていの編集者なら、そう考えるところだ。
井上さんも、そういうふうに考えた。「結局、このテーマでは厳しいと判断せざるをえず、『残念ながら』とお返事することになります。」
しかしそうなると、井上さんの方から、プランを出さなければならない。これは大変なプレッシャーだ。何しろ『大往生』は、200万部に届かんとする勢いなのだから。
「苦吟する中で思いついたのが、『永六輔語録』です。永さんの言葉を出し、それに長いコメントをつけるかたち。これなら、講演そのままという重複感はかなり救えるし、方法としても特徴あるものにできそうだ。」
いろいろやってみた結果だろうが、「永六輔語録」なら、僕でも考えつきそうだ。
「かくして講演からいろいろ抜き出し、ワープロに打ち込む作業に取り組みます。とりあえず四〇〇字詰原稿でほぼ四〇枚分が完成、これをもとに仮目次をつくって、永さんに送る。ようやく展望が開けたように思いました。」
企画の最初の準備が整って、「永さん、苦笑していわく、『こういうのが出てくると、ホントにやるのかという気分になるな。』」
ところがこの後、事態はとんでもない方向に、向かうのである。
ここはさらっと書いているけれど、実は大変なことだ。著者で実際にこれをやる人は、いないんじゃないか。
戦前、加藤謙一が『少年倶楽部』を編集していたとき、編集部員は朝来て、まず読者カードに返事を書くのが仕事だった、という話を聞いたことがある。『少年倶楽部』も100万部を記録したが、その陰には、地道な努力があったのだ。
僕の知っているところでは、読者カードに必ず返事を書いたのは、池田晶子さんだった。『14歳からの哲学』が出るまでは、必ず返事を書いていた。
池田さんは、読者の善意を信じていたから、返事を書くのは、苦痛ではなかったようだ。というか、むしろ嬉々として、軽やかにやっていた。
『14歳からの哲学』が出て、10万部を超えたあたりから、自分と結婚してくださいなどの、いわゆるストーカー的な人々が出てきて、直接の手紙のやり取りはできなくなった。
しかし、永さんの場合は、さらにその先がある。
「読者からこれほど数多くの熱烈な手紙が寄せられるのは異例ですが、それ以上に異例だったのは、返事をもらって感激したという、再度ないし再々度の手紙がいくつも届いたこと。つまりこの本、著者=永六輔と読者との間に回路ができていました。それこそが特筆されるべきことで、その後もずっと続く関係になります。」
いやもう、ただ参りました、というほかはない。
『大往生』が爆発的に売れたので、必然的に続編の話が出る。
永六輔が提案したのは、「大往生その後」。
「『大往生』がなぜ売れたか、ベストセラー誕生物語がその内容だという。」
これはまあ、まともな出版社ならやらない。タコが自分の足を食うようなもので、いかにもみっともない。たいていの編集者なら、そう考えるところだ。
井上さんも、そういうふうに考えた。「結局、このテーマでは厳しいと判断せざるをえず、『残念ながら』とお返事することになります。」
しかしそうなると、井上さんの方から、プランを出さなければならない。これは大変なプレッシャーだ。何しろ『大往生』は、200万部に届かんとする勢いなのだから。
「苦吟する中で思いついたのが、『永六輔語録』です。永さんの言葉を出し、それに長いコメントをつけるかたち。これなら、講演そのままという重複感はかなり救えるし、方法としても特徴あるものにできそうだ。」
いろいろやってみた結果だろうが、「永六輔語録」なら、僕でも考えつきそうだ。
「かくして講演からいろいろ抜き出し、ワープロに打ち込む作業に取り組みます。とりあえず四〇〇字詰原稿でほぼ四〇枚分が完成、これをもとに仮目次をつくって、永さんに送る。ようやく展望が開けたように思いました。」
企画の最初の準備が整って、「永さん、苦笑していわく、『こういうのが出てくると、ホントにやるのかという気分になるな。』」
ところがこの後、事態はとんでもない方向に、向かうのである。
上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(1)
元岩波の編集者、井上一夫さんが、『大往生』に始まる、永六輔との日々を回想した本だが、とにかく面白い。いや、もう、本当に面白い。
井上さんは1994年に、岩波新書の『大往生』を編集した。この本は、発売後一年で190万部を突破し、2018年12月で、累計246万部に達した。
井上さんはその後、永六輔を著者として、『二度目の大往生』『職人』『芸人』『商(あきんど)人』『夫と妻』『親と子』『嫁と姑』『伝言』と、8冊の本を編集している。
最後の『伝言』は、2004年の刊行だから、足掛け10年余り、永さんと本作りをしていたことになる。
そういう日々の回想だから、いろいろ自慢話が出てくるかと思いきや、そういう話では全然ない。
これは、僕が編集した鷲尾賢也さんの、『編集とはどのような仕事なのかー企画発想から人間交際までー』を初級本とするなら、中級あるいは上級の編集本に当たる。
「編集の仕事とは、著者がやりたいことを理解し、それに即したもっともいいかたちを考えることです。いわば著者とキャッチボールをしながら、練り上げていく。」
最初にまず、編集上の「公理」が来る。
ところが永六輔の場合は、それが、そういうふうには行かない。
「こちらが受け取ったボールを投げ返すと、もうそこにはいない。はるか彼方で思わぬ方向に投げている。慌てて拾いに行くと、彼はすでに別のボールを手にしている。つまり、ふつうに考えるキャッチボールが成立しないのです。しかも直球ばかりじゃなく、しばしば変化球が交じるから、いよいよ捕球はむずかしい。」
最初に、永六輔という人物の難しさが、あますところなく描かれる。
これに対し編集者は、特に優れた編集者は、どういう態度をとるか。
「わたしはなかば呆れつつ、しだいにこの関係をおもしろがるようになりました。……ぽんぽん飛び出すアイデアがどれも秀逸で、ボール拾いも苦にならない。ウン、こんな新しいかたちのキャッチボールも悪くないなと。」
これが名編集者の、いわば模範回答。
しかし実際には、なかなかこうはいかない。著者に翻弄され、会社の中のもろもろの軋轢もあって、結構大変だが、そういうことも含めて、その全体を面白がれるかどうか。
その面白がれるところを、実際の永さんの本に合わせて、細かく伝授していこうというのが、この本の肝だ。
井上さんは1994年に、岩波新書の『大往生』を編集した。この本は、発売後一年で190万部を突破し、2018年12月で、累計246万部に達した。
井上さんはその後、永六輔を著者として、『二度目の大往生』『職人』『芸人』『商(あきんど)人』『夫と妻』『親と子』『嫁と姑』『伝言』と、8冊の本を編集している。
最後の『伝言』は、2004年の刊行だから、足掛け10年余り、永さんと本作りをしていたことになる。
そういう日々の回想だから、いろいろ自慢話が出てくるかと思いきや、そういう話では全然ない。
これは、僕が編集した鷲尾賢也さんの、『編集とはどのような仕事なのかー企画発想から人間交際までー』を初級本とするなら、中級あるいは上級の編集本に当たる。
「編集の仕事とは、著者がやりたいことを理解し、それに即したもっともいいかたちを考えることです。いわば著者とキャッチボールをしながら、練り上げていく。」
最初にまず、編集上の「公理」が来る。
ところが永六輔の場合は、それが、そういうふうには行かない。
「こちらが受け取ったボールを投げ返すと、もうそこにはいない。はるか彼方で思わぬ方向に投げている。慌てて拾いに行くと、彼はすでに別のボールを手にしている。つまり、ふつうに考えるキャッチボールが成立しないのです。しかも直球ばかりじゃなく、しばしば変化球が交じるから、いよいよ捕球はむずかしい。」
最初に、永六輔という人物の難しさが、あますところなく描かれる。
これに対し編集者は、特に優れた編集者は、どういう態度をとるか。
「わたしはなかば呆れつつ、しだいにこの関係をおもしろがるようになりました。……ぽんぽん飛び出すアイデアがどれも秀逸で、ボール拾いも苦にならない。ウン、こんな新しいかたちのキャッチボールも悪くないなと。」
これが名編集者の、いわば模範回答。
しかし実際には、なかなかこうはいかない。著者に翻弄され、会社の中のもろもろの軋轢もあって、結構大変だが、そういうことも含めて、その全体を面白がれるかどうか。
その面白がれるところを、実際の永さんの本に合わせて、細かく伝授していこうというのが、この本の肝だ。
角度を変えて見てみれば――『知っておきたい入管法ー増える外国人と共生できるかー』(2)
2018年秋に、入管法改正が行われた。最大の要点は、新たな在留資格である、「特定技能」の創設である。
これは、国内で人材が不足するのは、もうどうしようもないので、そこを外国人に埋めてもらおう、というものだ。
次の14業種が指定されている。
介護業、ビルクリーニング業、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、建設業、造船・舶用工業、自動車整備業、航空業、宿泊業、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業
これだけ見ると、日本のあらゆるところで、人不足が起きていることが分かる。
とくに介護業は、これから老人が、爆発的に増えそうで、けさのニュースでも、70歳以上の老人が、総人口の2割を超えたといっていた。もう待ったなしである。
私が通っている、二箇所のデイサービスでも、本当に高齢者は多い。老人向けのデイサービスなんだから、老人しかいなくて当たり前だろう。それはそうなんだけど、高齢者の層が違うのだ。
どちらも20人前後の集団で、私がいちばん若い。コアになっているのは、80後半から、90前半である。そしてどちらの集団にも、100歳を超える人がいる。
本当にこのまま老人が、爆発的に増えていけば、どうなるか……。自分のことはさておいて、私はもう、あまり考えたくない。外国から、介護のためにやってくる人が、果たして間に合うか。
もうすでに介護者は、30万人以上が不足している、という話もある。
そういうこととは別に、この著者は、入国管理局で難民審査の参与をしている割には、事態をまっすぐに見ていない、というか、押し寄せる外国人を、より大きく捉えることが、うまくできていない。
あるいは、難民審査をしているから、かえって、木を見て森を見ず、ということになるのだろうか。
「最近、政府は『特定技能』という新たな在留資格を創設し、人材不足の分野における外国人の受け入れを拡大する方針を打ち出し、そのための法改正を行いました。ただ『特定技能』創設の法改正のための国会の審議では、『特定技能』そのものの該当性については緻密な審議がなく、『移民政策ではないか』といったレトリック論が目立ったのは残念です。」
ここは、うまく言えないが、移民政策ではないか、といったレトリック論が目立ったのは、そういう必然性があったからだと思う。
日本は、広い意味での「移民」について、ギリギリのところまで煮詰めて、態度を決定すべきなんじゃないか。
そういうところも含めて、この本は、ややピントがずれていると思う。
(『知っておきたい入管法ー増える外国人と共生できるかー』
浅川晃広、平凡社新書、2019年3月15日初刷)
これは、国内で人材が不足するのは、もうどうしようもないので、そこを外国人に埋めてもらおう、というものだ。
次の14業種が指定されている。
介護業、ビルクリーニング業、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、建設業、造船・舶用工業、自動車整備業、航空業、宿泊業、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業
これだけ見ると、日本のあらゆるところで、人不足が起きていることが分かる。
とくに介護業は、これから老人が、爆発的に増えそうで、けさのニュースでも、70歳以上の老人が、総人口の2割を超えたといっていた。もう待ったなしである。
私が通っている、二箇所のデイサービスでも、本当に高齢者は多い。老人向けのデイサービスなんだから、老人しかいなくて当たり前だろう。それはそうなんだけど、高齢者の層が違うのだ。
どちらも20人前後の集団で、私がいちばん若い。コアになっているのは、80後半から、90前半である。そしてどちらの集団にも、100歳を超える人がいる。
本当にこのまま老人が、爆発的に増えていけば、どうなるか……。自分のことはさておいて、私はもう、あまり考えたくない。外国から、介護のためにやってくる人が、果たして間に合うか。
もうすでに介護者は、30万人以上が不足している、という話もある。
そういうこととは別に、この著者は、入国管理局で難民審査の参与をしている割には、事態をまっすぐに見ていない、というか、押し寄せる外国人を、より大きく捉えることが、うまくできていない。
あるいは、難民審査をしているから、かえって、木を見て森を見ず、ということになるのだろうか。
「最近、政府は『特定技能』という新たな在留資格を創設し、人材不足の分野における外国人の受け入れを拡大する方針を打ち出し、そのための法改正を行いました。ただ『特定技能』創設の法改正のための国会の審議では、『特定技能』そのものの該当性については緻密な審議がなく、『移民政策ではないか』といったレトリック論が目立ったのは残念です。」
ここは、うまく言えないが、移民政策ではないか、といったレトリック論が目立ったのは、そういう必然性があったからだと思う。
日本は、広い意味での「移民」について、ギリギリのところまで煮詰めて、態度を決定すべきなんじゃないか。
そういうところも含めて、この本は、ややピントがずれていると思う。
(『知っておきたい入管法ー増える外国人と共生できるかー』
浅川晃広、平凡社新書、2019年3月15日初刷)
角度を変えて見てみれば――『知っておきたい入管法ー増える外国人と共生できるかー』(1)
これは、『コンビニ外国人』の流れで、読んでみた。
こちらは昨年秋の、入管法改定を踏まえて、書かれているものだ。
カバー袖に簡潔に、本書の内容が記されている。
「日本には既に永住許可を得た約76万人の/『移民』がおり、出稼ぎ目的の偽装難民も/空港に押し寄せている。/政府は介護や外食産業など、人手不足の分野を/担う外国人の受け入れをさらに拡大。/政府による法改正の意図とは。」
そして色を変え、文字を大きくして、
「世界第4位の移民大国・日本は、/入管法改正でどう変わるのか?」
入管法は、2018年秋、外国人労働者の受け入れ拡大のために、政府が、法の改正案を国会に提出し、それが成立して、劇的に変わった。
しかし、そもそも、その前提となる、おおもとの国籍が、よくわからない。
例えば、テニスの全米オープンで優勝した、大坂なおみさんは、どうして英語が、主たる言語なのに、日本人だというのか。
「〔彼女は〕父親はアメリカ人ですが、母が日本人であったため、生まれた際に日本国籍も取得し、現在アメリカと日本の二重国籍です。」
だから入管法上は、アメリカ国籍は持っていたとしても、日本国籍も持っているので、日本人にもなるわけである。
ふーん、日本人でも、一人の人が、日本を含む、2つ以上の国籍を持っていてもいいんだ。これは知らなかった。
では大坂なおみさんは、アメリカでも、自分の国のテニス界の誇りとして、有名になり、歓迎されているのだろうか。そういう疑問が、すぐに浮かぶが、この本では、それには答えていない(まあ、当たり前である)。
著者は、叙述に客観性を持たせようとして、勿体をつけているような気が、私にはする。
「〔開国人の技能実習という〕制度をあくまでも『技術移転』として位置づけるのか、それとも正面切って『労働力不足解消』と位置づけるのかについては議論の分かれるところだと思います。」
私は、議論は分かれないと思う。「労働力不足解消」と位置づけるに、決まっているではないか。だから外国人を、非常識に安い賃金で働かせるな、という議論になるのだ。
「二〇一八年の入管法改正で創設された在留資格『特定技能』については、明確に人手不足分野での外国人受け入れとして位置づけています。」
これはもう、位置づけるなんてもんじゃない、とにかく、安倍首相以下、政治家と、産業界のトップは、待ったなしである。人が来なくて潰れるところが、続出しているのだ。
コンビニの24時間営業も、人手が足りなくて、時短を余儀なくされているのだ。
こちらは昨年秋の、入管法改定を踏まえて、書かれているものだ。
カバー袖に簡潔に、本書の内容が記されている。
「日本には既に永住許可を得た約76万人の/『移民』がおり、出稼ぎ目的の偽装難民も/空港に押し寄せている。/政府は介護や外食産業など、人手不足の分野を/担う外国人の受け入れをさらに拡大。/政府による法改正の意図とは。」
そして色を変え、文字を大きくして、
「世界第4位の移民大国・日本は、/入管法改正でどう変わるのか?」
入管法は、2018年秋、外国人労働者の受け入れ拡大のために、政府が、法の改正案を国会に提出し、それが成立して、劇的に変わった。
しかし、そもそも、その前提となる、おおもとの国籍が、よくわからない。
例えば、テニスの全米オープンで優勝した、大坂なおみさんは、どうして英語が、主たる言語なのに、日本人だというのか。
「〔彼女は〕父親はアメリカ人ですが、母が日本人であったため、生まれた際に日本国籍も取得し、現在アメリカと日本の二重国籍です。」
だから入管法上は、アメリカ国籍は持っていたとしても、日本国籍も持っているので、日本人にもなるわけである。
ふーん、日本人でも、一人の人が、日本を含む、2つ以上の国籍を持っていてもいいんだ。これは知らなかった。
では大坂なおみさんは、アメリカでも、自分の国のテニス界の誇りとして、有名になり、歓迎されているのだろうか。そういう疑問が、すぐに浮かぶが、この本では、それには答えていない(まあ、当たり前である)。
著者は、叙述に客観性を持たせようとして、勿体をつけているような気が、私にはする。
「〔開国人の技能実習という〕制度をあくまでも『技術移転』として位置づけるのか、それとも正面切って『労働力不足解消』と位置づけるのかについては議論の分かれるところだと思います。」
私は、議論は分かれないと思う。「労働力不足解消」と位置づけるに、決まっているではないか。だから外国人を、非常識に安い賃金で働かせるな、という議論になるのだ。
「二〇一八年の入管法改正で創設された在留資格『特定技能』については、明確に人手不足分野での外国人受け入れとして位置づけています。」
これはもう、位置づけるなんてもんじゃない、とにかく、安倍首相以下、政治家と、産業界のトップは、待ったなしである。人が来なくて潰れるところが、続出しているのだ。
コンビニの24時間営業も、人手が足りなくて、時短を余儀なくされているのだ。