間奏曲――「昔、ハルビンでお会いしましたね」

「それにしてもなんか調子、悪そうやねえ」
 
Nやんがそう言いながら、煙草に火を点けようとして、僕の顔を見ながら、ためらいを見せた。

「煙草はかまへんよ。自分ではもう吸えんけど、人が吸う分には、かえって落ち着くんや」

「ブログの更新が一日、途絶えとるのは、風邪でも引いてたんかいね」

「うん、風邪が元になった、老人性知恵熱やね」

「なんとまあ、懐かしい言葉を聞いたもんや」

「ただしく老人になる道を、歩んでるんや」

「ワシは去年から、尿漏れパンツを穿いとる。これやと安心して、どこへでも行ける」

「テレビや新聞でやってるアレか。アレを友だちがしとるとは」

「ハズキルーペと尿漏れパンツは、老人の必需品やで」
 
それから一呼吸あって、僕が言った。

「話は違うけど、僕が週1回行ってる、全日のデイサービスに、Uさんという、89歳の男性がおるんや。Uさんは東大の文Ⅰを出て、役人にはならんと、そのまま、今は無くなったT銀行に勤めたんや」

「東大文Ⅰにしては珍しいのう」

「T銀行は合併で無くなったけど、Uさんは、当時は副頭取まで行った人や。この人が、ちょっと認知が入ってて、面白いんや」

「話はできるんかいな」

「うん。面と向かって、正面からきちっと喋ると、大丈夫やね」

「編集者の極意が、こんなところで役に立つとはね」

「Uさんは、T銀行の副頭取をやめた後は、東大の文Ⅰに入り、次に福岡の修猷館高校に入るんや。つまり、頭の中では、経歴を遡っとるわけやね」

「なんと、おもろいなあ。しかし全然、会話にならんやないか」

「そんなことはないよ。頭の中で逆にたどっとるとわかれば、それはそれで、コードははっきりする」

「そういうもんかのう」

「Uさんとは、なんとなく気が合うて、中嶋さんとは、最初はハルビンでお会いしましたねえ、と言うたのには、ちょっと参ったね」

Nやんは、思わず噴き出した。

「満蒙開拓団で、苦労されたんやろか」

「いや、お父さんは、満鉄のエライさんやったらしくて、引き上げるのに、そう苦労はしとらん、という話や」

「それにしても、ハルビンでお会いしましたねえ、は傑作や」

「俺らは戦後の生まれやで。しかし、そのUさんも、もう来んようになってしもた」

「亡くなったんか」

「いや、たぶん老人ホームに入られたんやろけど、個人情報ということで、だれも教えてはくれんのや」
 
Nやんと僕は、そこでしばらく黙った。
posted by 中嶋 廣 at 23:10Comment(0)日記