本当の疑問――『散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道ー』(2)

梯久美子は、プロローグの末尾を、こんなふうに締め括っている。

「このとき、私はまだ知らなかった。死んでゆく兵士たちを『悲しき』とうたうことが、指揮官にとってどれほど大きなタブーであったかを。エリート軍人たる栗林が、いたずらに将兵を死地に追いやった軍中枢部への、ぎりぎりの抗議ともいうべきこの歌を詠むまでに、どのような戦場の日々があったのかを。」
 
これが、全体を通したテーマであり、以下に書くべきことがらである。
 
資料が限られている中を、梯は新しい資料を発掘し、ゆかりの人に会い、想像力を駆使して、栗林忠道の足跡をたどっている。それは、鬼気迫る、といってもいいくらいだ。
 
しかし一点だけ、注意しておきたい。硫黄島で「いたずらに将兵を死地に追いやった」のは、直接的には、栗林忠道の命令であることを。
 
その硫黄島は、本当のところ、どういうところだったか。梯久美子は、栗林が妻に手紙で書いているのを、引いている。

「『一口に言えば、信州の飯綱原とか菅平とか不毛の原野で穴居生活している訳で、考えようによっては地獄の生活』と書いているように、硫黄島はまさに荒野のごとき場所であった。」
 
あるいは栗林の、手紙そのものを引いている。

「水は湧水は全くなく、全部雨水を溜めて使います。それですからいつも、ああツメたい水を飲みたいなあと思いますが、どうにもなりません。
 蚊と蠅と多い事は想像以上で全く閉口です。……兵隊達は全部、天幕露営か穴居生活です。穴居は風通し悪く蒸しあつく、ソレハソレハ大変です。私も無論そういう生活です。」
 
栗林忠道の手紙は、類を見ないほど、戦場を率直に描写しているという。
 
それならもう一歩、この戦争は何のためなのか、というところには、踏み込めなかったのか。それは、天地がひっくり返るほど、びっくりするような問いだったのか。本当のところは、どうだったのか。
 
ともかくも、栗林の指向は、うわべに現われた限りでは、この戦争は何のためにあるのか、というふうには進んでいかない。

その代わりに、アメリカに対し、どう抵抗すればよいか、という点に、ただひたすら集中していく。
 
実際、栗林忠道は、アメリカをもっとも苦しめた指揮官だった。

「硫黄島は、太平洋戦争においてアメリカが攻勢に転じた後、米軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦場である。最終的には敗北する防御側が、攻撃側にここまで大きなダメージを与えたのは稀有なことであり、米海兵隊は史上最大の苦戦を強いられた。」
 
その栗林は、一方で、日常的なことを、戦場からの手紙に淡々と書く、「当時の軍人としては女々しいとさえ言える」、異色の指揮官であり、梯久美子は、そこに惹かれたのだった。
posted by 中嶋 廣 at 09:26Comment(0)日記