官能の文体――『買えない味』(3)

そういう語彙の中では、「注ぎ口」に出てくる、醤油注(つ)ぎの「尻洩れ」という言葉も、知らなかった。
 
これは半身不随になる前も、ということは、いわば〈前世〉においても、知らなかった言葉だと思う。

「尻洩れ」または「尻洩れする」、というふうに使う。醤油の注ぎ口に関する、キレの良し悪しの話である。

初めてのとき、「尿洩れ」または「尿洩れする」と呼んでしまい、慌てた。でも「尻洩れ」は、うまい言葉だ。あの、ツツー、と漏れてくる感じを、よく捉えている。

さて話は変わって、「蒸籠(せいろ)」である。平松洋子は、蒸籠を数年間、打ち捨てておいた。ところが、これで蒸すと、じわーっと味わいが深くなるので、また復活させた。

そこのところを、著者は結びの一文で、こういうふうにまとめる。

「若気の至りで出奔して、再びおずおず舞い戻ってみたら『よしよし』と懐に抱きとめてもらえれば、そりゃあ涙にもくれる。」
 
うーん、うまい。「蒸籠」など、どっかに行ってしまうくらい、本当にうまい。
 
そうかと思えば、一転、「春の海」を象徴的に語ったような、これも極意としか言いようのない文章がある。「木の弁当箱」の項である。

「もう蕾はほころびただろうか――と、目の前がゆるやかにとろけた。
   春の海ひねもすのたりのたりかな
 若草色、朱鷺(とき)色、珊瑚色に桃色……優しげに混ざり溶け合って、ほわんとおだやか。いつもの和菓子屋の軒先に、春の海が柔らかくたゆとうていた。
 萌葱(もえぎ)色のきんとんと桜色のういろう。
 春の情景を胸に抱いて家路を急げば、四季の始まりをいち早くひとり占めして心が弾む。」
 
郵便局へ切手を買いに行った帰り、ふと回り道がしたくて、そんな道を歩くと、そこに忽然と、象徴的な春の海が現れるというわけだ。
 
それにしてもこの度は、一転うって変わって、限りなくゆったりとしたリズムで、本当に自由自在だ。