官能の文体――『買えない味』(1)

平松洋子の新刊、『そばですよー立ちそばの世界ー』をアマゾンで見ていたら、著者は2006年に、『買えない味』でドゥマゴ賞を受賞していた。

このとき賞を与えたのは、山田詠美。これはやっぱり、読んでおこうと思うでしょうが。

食の雑誌『dancyu』に連載されたもので、単行本にまとめたときは、まだ連載している最中だった(今はどうなっているか、知らない)。

「買えない味」という、ちょっと変わったタイトルは、次のような意味だ。

「……『金に糸目はつけんぞ』といくら騒いでみても、けっして買うことも出会うこともできない味がある。
 買えない味。そのおいしさは日常のなかにある。」
 
なるほど。そういうことならよく分かる。僕は逆に、不味くてとても買えない味のことかと思った。これでは何のことやらわからない。でも、そういう含みもあるかと思う。タイトルを見たとき、一瞬躊躇する。それが、頭の中に印象を残す。
 
中身は50本のごく短いエッセイ。「箸置き」「白いうつわ」「取り皿」「豆皿」など、台所の品々から、「レモン」「唐辛子」「野菜の皮とへた」などの食材、「水」「風」「熟れる、腐る」といった、台所で感じることまで。
 
とはいっても、今回の連載は、なかなか調子が上がらない。達者なことは達者だが、これはいつものことだ。
 
全体の五分の一を過ぎるころから、調子が上がってくる。

「わたしは激しい衝撃に打たれて動揺した。ものの味を味わうのは、口だけではなかった。一瞬からだは空中分解して混乱を示したが、ただちに官能が先に反応し、やわらかな理解を開いたものだ。
 そうか、指も舌なのだった!」

「指」と題するエッセイ。これはもう、突然全開になる。

「だから、つまみ食いは指に限る。箸なんか興醒めもいいところ。誰にも秘密でこっそり味わうなら、ざらざら、すべすべ、しっとり、ひんやり、ぬるぬる。もはや、指というもうひとつの舌をないがしろになどできるわけがない。
 ああ、指先が疼いてきました。」
 
エッセイはエッセイだが、乙にすましてはいない。それどころか、否応なく文章に引きずり込まれてしまう。