2004年に是枝祐和監督が、『誰も知らない』を制作し、カンヌ映画祭ほかで賞を獲った。
これは実際にあった話で、2歳から14歳までのきょうだいたちは全員、無戸籍だった。
「こうした『親の住居が定まらず、貧困他の事情もあり、出産しても出生届を出すことまで意識が至らないか意図的に登録を避けるケース』の相談は減るどころか増加している。子どもたちはまさに『誰も知らない』状況で生き、『自分で自分を証明できないこと』に葛藤を抱きながら暮らしているのである。」
こういう子どもを、どうすればいいのだろうか。
人間の集団には、必ず一定程度、その集団からおちこぼれる者が出る、と言ってすましてるわけにはいかない。
こういう相談が増えることについては、実際に数が増加しているのか、相談がしやすくなった結果、増えているのかはわからない。
日本人の貧富の差が、広がった結果という考えが、どうも当てはまりそうだが、内実はわからない。
『誰も知らない』は学齢期の子どもがテーマだったが、無戸籍者が本当にどうしようもない現実に直面するのは、成人になるときである。
「戸籍がなければ基本的には住民票もないため、給与の振込先の銀行口座を開設することもできず、携帯電話の契約もマンションやアパートを借りることもできない。」
結局、大手を振りながら表を歩くことはできない。するとどうなるか。
「……かれらは『誰かに頼む』か『誰かになりすます』しか生きる術がない状況に追い込まれるのだ。」
このあとも、いろんな議論が重ねられる。そして著者はこう言うのだ。
「人としての尊厳すら消してしまう戸籍制度は、実は万能ではなく、登録制度としてはむしろ未熟であることは本書を通じて見てきた通りだ。『世界に冠たる戸籍制度』は、住民票やマイナンバーの支えがなければ立っていけないほどになっているのである。」
正直、僕は著者と同じところに立って、そうだとは言えない。話がややこしすぎて、よくわからないのだ。
ただ、今朝の毎日新聞のネットニュースを見ていると、「日本に住民登録し、小中学校の就学年齢にある外国籍の子どもの少なくとも約2割にあたる約1万6000人が、学校に通っているか確認できない『就学不明』になっていることが、全国100自治体を対象に」したアンケートで、明らかになったという。
もちろん、母国に帰った例も多いだろうが、しかし日本にいて、まったく教育を受けていない、という例も多いに違いない。
そういう外国人が増えると、治安が悪くなるのは当たり前だ。外国人でなくとも、そういう環境に置かれれば、だれでもそうなる。
今年から日本は、外国人をさらに受け入れやすくする。いよいよ本格的な、というよりも異次元の「雑種文化」の時代を迎える。戸籍が運用できなければ、早急に別の手を考える必要があると思うが、どうか。
(『日本の無戸籍者』井戸まさえ、岩波新書、2017年10月20日初刷)