真っ向から斬り込む――『沖縄報道―日本のジャーナリズムの現在―』(2)

一般に新聞は、権力に近い読売、産経と、それと距離を置く朝日、毎日、権力と対峙する東京というふうに分けられる。
 
沖縄ではそれが、より先鋭になって出てくる。2016年12月13日、名護市で起きた、オスプレイ機の事故に関する報道では、それが大きく分かれた。
 
まず「不時着」は、読売、産経、日経。
「大破した事故」は、朝日、毎日。
「墜落事故」は、琉球新報、沖縄タイムス。
 
見事に分かれている。そしてこれは、すべてにおいてそうなのだ。
 
山田先生はそれを、「第一章 地図」「第二章 歴史」「第三章 分断」「第四章 偏見」「第五章 偏向」「終章 権力」に分けて、こと細かく論じていく。それは見事なものだ。
 
でも沖縄の報道を問題にするについては、どこか徒労感を滲ませずにはいられないものではないか。そしてそれは、山田先生もよく心得ている。

「……沖縄に対する関心は一定程度広がりを見せつつあるものの、『日本』には沖縄でいま起きていることはまったくといってよいほど伝わっていない。」
 
そういうときに、ではどうすればよいのか。

「……日常的にオキナワを繰り返し報じること、しかもその時に必ず歴史的視点を入れることだ。同じことは原発報道にもいえる。……複雑な歴史をすべて飛ばして、再稼働反対だけを唱えても、少なくとも推進側の理解はまったく得られないし、まさにいまの全体状況が、総論としては原発はなくした方がいいけど、各論としてはおらが町の原発は早く再稼働してほしい、ということになっているわけだ。
 こうした『国策』を根本から問い直すことは難しい。」
 
だから結局、何度でも言い続けなければならない。
 
しかも沖縄は、日本の他の地域とは、まったく様相が違う。

「沖縄報道は日本のジャーナリズムの写し鏡であり、沖縄は日本の民主主義のリトマス紙であるということだ。あるいは逆に考えれば、沖縄から日本のいまが見えるのであって、沖縄ジャーナリズムこそがその窮地に立つ日本を救うことができる可能性を秘めていると思う。」
 
だから、沖縄報道については、何度でも声をあげるのだ。

(『沖縄報道―日本のジャーナリズムの現在―』
 山田健太、ちくま新書、2018年10月10日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:19Comment(0)日記