健在! 養老節――『骸骨考―イタリア・ポルトガル・フランスを歩く―』(1)

朗読用に、高橋順子の『夫・車谷長吉』を繰り返し読み、黙読用は伊藤比呂美の『たそがれてゆく子さん』を読んでいると、女詩人のものばかりで、ちょっと嫌になる。

あけすけで風通しはいいのだが、あまりによすぎると、風圧がつらい。こんなときは、養老孟司さんに限る。

これはイタリア、ポルトガル、フランスの、墓地を回った記録である。いろんな墓地を回って、ぶつぶつ勝手なことを言っている、そういう本である。

これは、談話を記録した本である。さらに口絵図版が48頁、図版点数にして72点、入っている。こういう本を見ると、余計なことだが、ついつい編集者の苦労がしのばれる。

しかも図版頁とは別に、巻末に細かい字で、図版の解説が出ている。もう至れり尽くせりである。ここまでやるのは、さすが新潮社と敬服しました。

ここではまず、養老さんが前提を述べる。

「生物の進化が歴史的な身体の変遷であるなら、ヒトの歴史は脳の産物つまり意識内容の変化の歴史である。思想の変化といってもいい。常識的に考えるなら、身体の歴史的な変遷と、思想の変遷はまったく無関係だ、ということになろう。/でも生物の性質が時間的に変化する、その過程をヒトの意識はどう扱うか。どう記述するか。そういう角度から考えるなら、両者はよく似た話になるかもしれない。ヒトの考え方にそうたくさん種類があるわけではあるまい。」
 
養老さんの独自の前提は、「生物の性質が時間的に変化する、その過程をヒトの意識はどう扱うか。どう記述するか。そういう角度から考えるなら、両者はよく似た話になるかもしれない」、というところに典型的に表れる。

「両者はよく似た話になるかもしれない」かどうかは、実はよく分からない。
 
しかしとにかく、その方向で話を進めてみよう。最近はコンピュータが普及して、専門的な壁を取り去ってくれるから、論理で押すことのできる範囲が、ぐんと広がっているはずだ。だからいろいろなことができてしまう。

「工場と銀行はまったく違う仕事をするが、双方ともに今ではコンピュータで管理される。論理とは、さほど高級なものではなく、手続きだとわかってしまった。現代はそれをアルゴリズムと一言で呼ぶ。」
 
そうしてこんどは、アルゴリズムをまな板に載せるのだが、それはいよいよ養老さんの術中にはまって、読者は身動きが取れなくなる。
 
その快感が、養老孟司を読む醍醐味である。
posted by 中嶋 廣 at 10:54Comment(0)日記