装幀家の危機意識――『彼方の本―間村俊一の仕事―』(1)

これは豪華な本である。本体4700円、でもその価値は、十分すぎるほどある。

間村俊一の装幀の仕事を、主として2000年ごろからたどった本で、およそ半分が写真ページで、装幀の仕事は約300点を数える。

しかもその写真は、単に装幀を立体的に見せるだけでなく、書名によってゆるやかにカテゴライズしてあり、またときに、装幀に用いたさまざまなオブジェを配している。
 
残り半分は装幀をめぐるエッセイ集で、これが図版ページとつかず離れず、見事である。

初めの方の「古本グラフティ〈青春篇〉」では、同志社大学にはいってアングラ演劇に熱中し、耽読したのは唐十郎、澁澤龍彦、種村季弘、また短詩型文学は加藤郁乎、塚本邦雄と覚醒的な出逢いをしている。

何のことはない、間村俊一の装幀の核心的な仕事は、学生の頃から、一本が通っていたのだ。

けれども今では、平穏無事に装幀の仕事をこなしていくわけには行かない。

「時代はまさに携帯電話とインターネットに席巻され、もはやジャズ喫茶の暗闇で、あらぬ世界を夢見て本を開く若者もいなくなってしまった。」
 
実際、装幀の仕事もコンピュータで行い、ラフスケッチを何枚も出してくる時代なのだ。そんなとき、間村俊一はあくまでも手作業にこだわる。表の帯に言う。

「道具は糊、定規、カッターナイフ。/情緒に回収されない端正な造本を続ける/職人気質の装幀家……」
 
もちろん何通りものラフスケッチなど、出してくることはない。それは和田誠が言うように、レストランにはいってカレーとチャーハンの上手くできた方を食べたい、ということがないのと同じことだ。
 
巻頭の「下駄とリヤカー」では最初から、装幀の秘密を実に微妙に、かつあっけらかんと開示している。

「深夜、仕事場の窓をたたく音がする。開けると又三郎だ。『困っているようだから、これを持ってきてやった。』闇の向こうでガラスのマントのこすれる音がしたと思ったらもう姿はない。すさまじい風が吹いて仕事机にアンモナイトがひとつ残された。そうかこれを使えというのか。しらじらと夜も明ける頃合、化石をちりばめた『新校本宮澤賢治全集』の装幀プランが成った。」
 
そこで併せて図版ページ(六頁)の、『新校本宮澤賢治全集』の数冊を見れば、なるほどこういうふうに出来上がるのかと、言葉を介することなく、深く納得できるのである。
posted by 中嶋 廣 at 19:25Comment(0)日記