およそ30年ぶりの伊藤比呂美――『たそがれてゆく子さん』(2)

伊藤比呂美の夫は、いよいよ危ない。しかし、まだ生きている。

「ERで念入りに検査され、治療されて、少しだけ蘇った。百年前なら、ああいう状態の年寄りはそのまま動かなくなり、しゃべらなくなり、食べなくなり、萎んで死んでいったはず。それをこうやって蘇らせる。ゴールに着いたと思うと、ゴールが移動していて向こうにある。こんな現状は自然に反していると思わないでもない。」
 
今は延命治療をするから、どうしてもこうなる。

でも、そうならない場合もある。
 
この本を読みはじめてすぐ、私の父が亡くなった。まるでこの本の、伊藤比呂美の夫と並行関係にあるようだった。
 
私は半身不随で、関西へ行くことはできない。二人兄弟で、弟は関西にいるが、父とは絶縁状態である。母は施設にいるから、父は一人である。そこで私の妻が、たった一人、活躍することになる。本人は嫌がっているが、ほかに人がいないのだから仕方がない。
 
いつかも書いたが、この父は陸軍士官学校出で、ついに戦後の世の中に馴染めなかった。世間的には、良い地位について裕福だったが、そういうことと内面は、まったく関係がない。
 
父はたとえば、人間はみな平等に権利を持っている、というのが、ついに解らなかった。私に向かって、どうも解せない、皆が人権を持っているというのは、どういうことなのか、と最後まで腑に落ちなかったようだ。
 
病院で、酸素マスクを外し、強硬に家に帰ると言い募り、病院の医師も困り果てていた。帰れば、治療はできないのだから。そうして病院にいて、一週間ほどで亡くなった。
 
私は、とにかく延命措置は絶対にしないようにと、妻を通じて言った。医師は、それでは「引き気味に」治療をしましょう、と言ったそうだ。
 
遺体を焼くときに、母に最期の別れをするように言ったが、ちらっと見て、いかにもめんどくさそうに、というか、もうこれ以上は関わりたくない、もういい、というふうにしていたそうだ。
 
父の遺体を焼いた直後、認知症が進んでいると見えた母は、言葉も劇的に復活し、表情は戻り、にこにこしていたそうだ。
 
伊藤比呂美の夫は、いよいよだめなようだ。

「前から歩けなかったが、もはや立つこともできない、体の向きも変えられない。うんこも寝たまま。おしっこは導尿に頼り、呼吸は酸素の管に頼っている。」
 
普通はこうなる。医師が、「引き気味に」治療をしなければ。

「ああ、どうして最初にERに連れていったか。そもそもどうしてこんな老人をこうまでして生かす必要があるか。でも本人はまだ生きたがっている。と何回も何十回も考えているところにぐるぐる回っていく。」
 
これが普通だ。でも私の父は、普通ではなく、例外を選ばされた。選んだのは私であり、それを医師に伝えたのは妻だ。
posted by 中嶋 廣 at 17:28Comment(0)日記