優雅なイギリス小説――『日の名残り』

カズオ・イシグロは前に、『わたしを離さないで』を読んだことがある。
 
そのとき、臓器移植用に人体のスペアを考えることは、ヨーロッパではできても、日本では無理じゃないかと思い、どうも合わない作家だ、と思った記憶がある。
 
ところで話は変わるが、7月から、カレアというデイサービスに通うことになり、そこでМさんという介護職員と、本について話していたら、『日の名残り』を推薦された。
 
派手なことは何も起こらないけれど、場面場面がじわりと染み込んできて、とてもいいのよ、というМさんの言葉が魅力的だったので、読んでみることにした。
 
読んでみると、なかなか微妙で面白い。まず、ある前提を受け入れるかどうかが、この小説を楽しめるかどうかの分岐点になる。
 
それは、「偉大な執事とは何か」という問い。もちろんカズオ・イシグロは、主人公がこう問うのを、皮肉な目で見ている。
 
しかしカズオ・イシグロの皮肉な目も含めて、こんな問いはただただナンセンスだと打っちゃってしまえば、この小説は立ち行かなくなる。そこを我慢して読めば、なかなか面白い。
 
この執事は昔、同じ屋敷に勤めていて、密かに思いを寄せた女性に会いにゆく。たった六日間の旅行が、「日の名残り」としての、しみじみとした老境を、よく照らし出している。
 
その老境は、作者の次のような皮肉な目にも、さらされたりする。

「私どもの世代の理想主義を――執事はすべからく、人類の進歩に貢献している偉大な紳士にお仕えすべきだ、少なくともそう心掛けるべきだ、という理想論を――現実に根差さない空論だと切り捨てて顧みない人がいます。そのような否定論を口にする人が、まず一人の例外もなく凡庸な執事であることは、注目すべき事実と思われます。」
 
執事の一人称で話が運んでゆくために、皮肉は時に痛烈である。
 
また最後の場面、女性と執事が何年ぶりかで出会うところは、痛切である。

「でも、そうは言っても、ときにみじめになる瞬間がないわけではありません。とてもみじめになって、私の人生はなんて大きな間違いだったことかしらと、そんなことを考えたりもします。そして、もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生を――たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生を――考えたりするのですわ。」
 
そういう女の告白に、執事は心の中で呼応する。

「私の胸中にはある種の悲しみが喚起されておりました。いえ、いまさら隠す必要はありますまい。その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました。」
 
しかしもちろん、どんなときも「立派な執事」は、たたずまいを崩さない。このあたりは、優れた時代小説にありそうだ。
 
丸谷才一は「解説」にこう書いている。

「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺してゐる。ただしじつに温和に、優しく、静かに。それは過去のイギリスへの讃嘆ではないかと思われるほどだ。」

(『日の名残り』カズオ・イシグロ/土屋政雄訳
 早川書房、2001年5月31日初刷、2017年10月17日第29刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:19Comment(0)日記