にわかには信じられない――『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』(1)

まず、オビ表の全文を引く。

「『死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます』
1944年11月の第一回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に『必ず死んでこい!』と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた。
僕はどうしても、この人の生涯を本にしたかった――鴻上尚史」
 
まったく信じられない話である。兵士の名前は佐々木友次(ともじ)、特攻兵に選ばれたときは、21歳だった。
 
陸軍の第一回の特攻隊は、『万朶(ばんだ)隊』という名で、九九式双発軽爆撃機に800キロの爆弾をつけて、体当たりするものであった。
 
ちなみに海軍の特攻隊は、『神風特別攻撃隊』と名付けられ、零戦に250キロ爆弾を装備して、敵に体当たりするものだった。
 
特攻隊として九回出撃し、九回とも戻ってくる。そういうことも、にわかには信じられないが、それもふくめて、この時代をつぶさに見ておく必要がある、と急に思ったのである。
 
僕は『きけわだつみのこえ』でしか、この時代の精神史を知らない。考えてみれば、いろんな人がいて、全然おかしくないはずである。
 
例によって戦争も末期になってくると、たとえば第三陸軍航空技術研究所は、「崇高な精神力は、科学を超越して奇跡をあらわす」といった具合に、技術研究所なのに精神論を説き、体当たりを主張する。日本中を、オウム真理教が覆い尽くすようなものだ。
 
もちろん新聞もオウムの手先、というか重要な一翼を担っていた。特攻隊の「大戦果」を、「神鷲の忠烈 萬世に燦たり」と書き、「戦死」はすべからく、「悠久の大義に殉ず」であった。
 
その時代、オウムが日本のすみずみまで浸透していた時代に、一体どのようにして、特攻隊から、何度も帰ってくることができたのか。
 
原理そのものは簡単だ。次の会話は、佐々木友次さんと奥原伍長の間でなされたものだ。

「『佐々木、俺も考えたよ。特別攻撃隊だからといって、なぜ死ななければならないかということなんだ』奥原伍長は佐々木を見た。
『そうだ。死ぬことが目的じゃないさ。爆弾を必ず命中させればいいじゃないか。爆弾の落ちないような飛行機に乗せることはないよ。体当たりをする必要はない、と思ってるんだ』
 二人は同時にうなづいた。うかつに第三者には言えないことだった。」
 
原理は確かにこの通りだ。しかし、口に出しては絶対に言えない。
posted by 中嶋 廣 at 17:57Comment(0)日記