漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(14)

その「心」は、岩波書店から自費出版される。創業者の岩波茂雄は、それまでは古本屋である。
 
漱石がなぜこれを、自費出版しなければならなかったのかは、わからない。
 
長谷川さんも、「なにが漱石を瞬時に突き動かしたのかは、無意識の声を聞くほかはない」と、少々お手上げである。
 
ただ漱石は、今回は自分で、装幀の一切をした。この本に自序が掲げられている。

「装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で書いた」。
 
それで表紙に、あの漱石全集などに見る、橙色の地に薄緑の「石鼓文」が用いられる。
 
それにしても、なぜ自費出版なのかがよくわからない。装幀の件は、ひょっとすると、岩波茂雄に任せておくと、贅を尽くそうとするので、とんでもなく高い本になると、心配したのかも知れない。
 
ただ漱石は、若い作家を起用するときに、決して才能を見まちがえなかったように、出版社を見る眼も、実に正確だった。まだ出版に乗り出す前なのに、漱石は岩波茂雄に、全幅の信頼を置いた。
 
夏目鏡子はそれを、次のように語る。

「或る時岩波さんが夏目のところへお見えになつて、何かとお話になつて居ります。と、夏目が私を書斎に呼びまして、いきなり株券を三千円ばかり持つて来て岩波へ貸してやれと、藪から棒にかういふのです。……
 かういふ例があつてからといふもの、時々大口の注文などにお金がいると、よく私どものところへいらして、事情を打ちあけて融通をつけていらつしゃいました」。
 
著者に金の都合をつけてもらう岩波茂雄も、なかなかのものだが、それを何度も都合してやる漱石も、それに輪をかけて凄いと思う。著者と出版社のこんな例は、他にもあるのだろうか。

「岩波書店の土台づくりに、漱石は文字通りの物心両面で多大な、とは決定的な貢献をしたのである。岩波茂雄が阿部次郎や安倍能成を頼りにしたのは無論のことだが、やがて寺田寅彦や中勘助、野上彌生子、和辻哲郎、やや遅れて小宮豊隆らの門弟またその周囲にいた思想家・文学者の著作が続々と岩波書店から発刊され、……」という具合である。
 
出版社を潰した例は、たとえば埴谷雄嵩、花田清輝を筆頭に枚挙に遑がないが、著者が金まで出して出版社を作った例は、あるのだろうか。しかも岩波書店という、日本を代表する出版社を。
posted by 中嶋 廣 at 18:57Comment(0)日記