漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(13)

漱石はいってみれば太陽の位置にあって、それは死ぬまで揺るがない。

伊藤左千夫の「野菊の墓」を誉める、長塚節の「土」を自分には書けぬと激賞する、和辻哲郎のラヴ・レターとも見まごうような手紙に返事を書く、「白樺」の新進作家、武者小路実篤や志賀直哉を登用する、果ては岡本一平に漫画集の出版を勧める。

長谷川さんは、それをこんなふうに言う。

「漱石を中心とする精神気圏がこれまでも、師弟愛を超えた独特な知的、かつ友愛の空間であったことは繰り返すまでもない。……漱石という存在が、全身で――『頭』と『ハート』で――若人を惹きつける光源となっていたのだった。」
 
そして、締めの文句が来る。

「余計な一言をつけ加えるなら、『頭の論理』と同時に『ハートの論理』を起動させるのは、編集者気質(エディターシップ)の要諦ともいえる。惚れ込むことから、仕事は始まるのである。」
 
本当にそう言える。確かに。全面的にそれに賛成である。
 
しかし一方、前にも書いたが、漱石は作家として、人の間にかける橋はない、と「行人」で言っていなかったか。あの鬼気迫る文章は、心の底の叫びではなかったのか。僕には本当にわからない。

「心」における「先生」の自殺にしてからが、わからない。自死した友人は、一つのきっかけにすぎない。確かに「先生」は卑怯だったが、それは一つのジャンプ台であり、なぜ自殺したのかはわからない。漱石の心の闇は、はかり知れず深い。
 
その闇を持った漱石が、周りからは太陽のように思われている。
 
朝日新聞に、「心」の連載が終わると、新鋭作家の短篇競作が始まる。
 
これは漱石が書いた、来たるべき文学の見取り図である、と長谷川さんは言う。
 
そこに列挙された作家の名前は、武者小路実篤(「死」)、小川未明(「石炭の火」)、後藤末雄(「柳」)、野上彌生子(「或夜の話」)、長田幹彦(「老兵の話」)、青木健作(「梅雨の後」)、久保田万太郎(「路」)、田村俊子(「山茶花」)、里見弴(「母と子」)、谷崎潤一郎(「金色の死」)、そして最後に小宮豊隆(「礼吉の手紙」)。
 
編集者・漱石の面目躍如、新進気鋭の作家を並べて見事なものである。

漱石はそれに先立って、こんなことも書いている。

「予告に是等の人の姓名をずつと並べるか又はだまつてゐて不意に、明日から誰と断つて行くか夫は考えものでせう。」
 
長谷川さんは、ここをこう書く。

「編集者ならではの〝遊び〟感覚が躍動する。」

これが、あの「心」を脱稿した直後の出来事なのである。
posted by 中嶋 廣 at 19:30Comment(0)日記