ホームドラマはテレビでたくさん!――『すぐ死ぬんだから』

これは、途中までは抜群に面白い。

今年78歳になる婆さんが、「六十代に入ったら、男も女も絶対に実年齢に見られてはならない」、をモットーに、どこへでも出しゃばって、周りの讃嘆を独り占めにする話だ。

「年を取ったら『見た目ファースト』。くすんだバアサンなんて大嫌い!」という帯の文句が、実に小気味いい。
 
さすがに内館牧子は、通俗(の極み)小説でも、じつにツボを心得ているなあ、と思ったのだけれど、小説のちょうど半ばまで来て、亭主がコロッと死んでからは、たちまち失速、もうどうにもなるものではない。
 
死んだ亭主にお決まりの女がいて、これが女医で、ひとりむすこを、認知もされないのに、けなげに育てている。もちろん女医は颯爽としていて、その一人息子は極めて優秀。
 
亭主が死んだ後で、それを知ることになる若作り婆さんは、最初は烈火の如く怒るが、だんだんに、二号とその息子を許すようになる。
 
これで予定調和では、本当にどうしようもない。
 
途中、若作り婆さんと嫁の、「ブス」をめぐる会話がある。

「『一番最低はね、頑張らないブス。わかる? 同じブスなら、頑張らないブスが最低』
 私は『それはアンタだよ』と言うように、しっかりと由美〔=嫁の名〕を見た。
『お義母様、私もブスだからわかるんですが、頑張るブスは痛いだけですよ。同じブスなら頑張らない方が笑われません』
『そうかもね。ま、ブスそれぞれでいいんだよ。しょせん、頑張るブスは痛いって笑われて、頑張らないブスは貧乏くさいって笑われてんだからさ。どっちみち笑われるなら、本人の好きがいいよ』」
 
ホームドラマ仕立ての、ちゃちな、安い道具立てのなかに、妙にリアルな話が出てくる。これは内館牧子が、自分で血と涙を流しながら書いていると思われる。

(『すぐ死ぬんだから』内館牧子、
 講談社、2018年8月21日初刷、9月20日第2刷)
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優雅なイギリス小説――『日の名残り』

カズオ・イシグロは前に、『わたしを離さないで』を読んだことがある。
 
そのとき、臓器移植用に人体のスペアを考えることは、ヨーロッパではできても、日本では無理じゃないかと思い、どうも合わない作家だ、と思った記憶がある。
 
ところで話は変わるが、7月から、カレアというデイサービスに通うことになり、そこでМさんという介護職員と、本について話していたら、『日の名残り』を推薦された。
 
派手なことは何も起こらないけれど、場面場面がじわりと染み込んできて、とてもいいのよ、というМさんの言葉が魅力的だったので、読んでみることにした。
 
読んでみると、なかなか微妙で面白い。まず、ある前提を受け入れるかどうかが、この小説を楽しめるかどうかの分岐点になる。
 
それは、「偉大な執事とは何か」という問い。もちろんカズオ・イシグロは、主人公がこう問うのを、皮肉な目で見ている。
 
しかしカズオ・イシグロの皮肉な目も含めて、こんな問いはただただナンセンスだと打っちゃってしまえば、この小説は立ち行かなくなる。そこを我慢して読めば、なかなか面白い。
 
この執事は昔、同じ屋敷に勤めていて、密かに思いを寄せた女性に会いにゆく。たった六日間の旅行が、「日の名残り」としての、しみじみとした老境を、よく照らし出している。
 
その老境は、作者の次のような皮肉な目にも、さらされたりする。

「私どもの世代の理想主義を――執事はすべからく、人類の進歩に貢献している偉大な紳士にお仕えすべきだ、少なくともそう心掛けるべきだ、という理想論を――現実に根差さない空論だと切り捨てて顧みない人がいます。そのような否定論を口にする人が、まず一人の例外もなく凡庸な執事であることは、注目すべき事実と思われます。」
 
執事の一人称で話が運んでゆくために、皮肉は時に痛烈である。
 
また最後の場面、女性と執事が何年ぶりかで出会うところは、痛切である。

「でも、そうは言っても、ときにみじめになる瞬間がないわけではありません。とてもみじめになって、私の人生はなんて大きな間違いだったことかしらと、そんなことを考えたりもします。そして、もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生を――たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生を――考えたりするのですわ。」
 
そういう女の告白に、執事は心の中で呼応する。

「私の胸中にはある種の悲しみが喚起されておりました。いえ、いまさら隠す必要はありますまい。その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました。」
 
しかしもちろん、どんなときも「立派な執事」は、たたずまいを崩さない。このあたりは、優れた時代小説にありそうだ。
 
丸谷才一は「解説」にこう書いている。

「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺してゐる。ただしじつに温和に、優しく、静かに。それは過去のイギリスへの讃嘆ではないかと思われるほどだ。」

(『日の名残り』カズオ・イシグロ/土屋政雄訳
 早川書房、2001年5月31日初刷、2017年10月17日第29刷)
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よくわからん――『世界経済 危険な明日』

河村小百合という人が、東京新聞に毎週一回、経済コラムを書いている。
 
僕は、経済の世界は門外漢だが、その僕に分かった限りで、河村小百合は実に面白い。

安倍首相や、日銀の黒田総裁を相手に、何よりも赤字国債をどうするかという点で、真っ向から論戦を挑んでいる(もっとも向こうは、相手にしてないように見えるけど)。
 
その河村さんが、少し前のコラムで、この本を挙げていた。

「成長か、崩壊か。命運を分かつ『T字路』に備えよ!」というのが帯の文句。「世界屈指のエコノミストによる警告/ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー!」とも書かれている。
 
こりゃあ面白いぞ、と誰でも思うでしょ。でも、そうでもない。
 
一つは、僕がまったく経済音痴のせいで、経済書を読んでもよく分からないせいだが、もう一つは、翻訳のせいもあるのではないかな。
 
いま世界は、T字路に差しかかっている。その二つの道のうち、一つは活発な経済成長や金融の安定を約束するものだが、もう一つはそれとは対照的に、「経済成長のさらなる鈍化、周期的な景気後退、金融のサイドの不安定化」をもたらすことになるだろう。
 
そのT字路から、どんな道が続いているかは、世界の主要な中央銀行(日本で言えば日本銀行)の過去、現在、未来を、よく考察することであるという。
 
ところが、その具体的な考察が、よくわからんのですね、情けないことに。

「中央銀行は、世界の経済と金融の間により適切な機能的関係を築くことが現世代にも将来世代にも重要であることを認識し、世界的な金融危機以降、時間を稼ぐために従来の枠を超えて活動してきた。」ところが、その活動の内容がよくわからない。
 
訳がこなれていないのは、たとえば次のところ。

「本章を締めくくる最後のポイントは、技術進歩がきわめて多くの個人や集団を魅了し、彼らに力を与えている世界をうまく管理するには、賢明(スマート)なコミュニケーションを責任をもって実現させることがもっとも重要だということである。」
 
これはまだ、試訳の段階だろう。編集者が、もう少し積極的に、介入しなければ。
 
河村小百合さんは、これを原書で読んでいる可能性があるので、推薦したのを、いけなかったとは言えない。
 
そういうわけで、今度は河村さんご自身の本、『中央銀行は持ちこたえられるか――忍び寄る「経済敗戦」の足音』を読もうと思っている。

(『世界経済 危険な明日』モハメド・エラリアン/久保恵美子訳、
 日本経済新聞出版社、2016年10年25日初刷)
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にわかには信じられない――『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』(5)

佐々木友次さんは2016年に、92歳で、札幌の病院で呼吸不全のために亡くなった。鴻上の取材が間に合ったのは、ほとんど奇跡的であった。
 
それにしても佐々木さんは、本当はどういう気持だったのだろうか。そして鴻上の取材を受けているときの気持ちは、どうだったのだろう。

「――友次さんは生き延びられるだろうなと思いながら、内地には帰れないとも思っていた?
『そうそう、それは思いましたね』
――やっぱり死んだ奴らに対して申し訳ないって思いが大きかったんですか?
『大きいどころじゃないですよ』
――それが一番ですか?
『一番ですね』」
 
戦争で死んだ戦友というのは、どう考えたらいいか、わからない。
 
僕の父は陸軍士官学校を出て、将校として満洲に出兵し、そこで終戦を迎え、そのあとソ連に捕虜に取られ、2年間かそこら抑留された。
 
ことし94歳になるが、自分の葬式については、死体を焼き場へ持っていって、あとはいっさい何もするな、骨上げもするな、墓も作るなという。骨はその場で、捨ててほしいのだそうだ。
 
父は外を歩いていて、葬式にぶつかると、烈火のごとく怒り出す。これはもう、どうしようもなく、そういうふうになってしまう。葬式に集まっている人間を、なんと形式ばったつまらん奴らだ、と罵倒し始める。
 
僕はそんなとき、シベリアに捕虜に取られ、そこで死んだ戦友を、思い出しているんだなと思う。酷寒の中、朝起きると死んでいた、葬式などいっさい無縁の戦友を。
 
もちろんそんなことは、一度も話したことはない。しかし間違いないと思う。
 
戦後は、一部上場会社の役員まで勤めたが、定年になってからは、周りとの付き合いをほとんど絶っていた。戦後の日本を生きながら、どこにもないところ、シベリアの地を、死んだ戦友とさまよっているに違いない。
 
こういう人間は、本人のためにも、というと変だけど、当人のためにも、縁あって家族になった者のためにも、もう絶対に出してはいけない。
 
ちなみに、鴻上尚史の最後の文章は、次のようなものだ。

「佐々木さんの存在が僕と日本人とあなたの希望の星になるんじゃないか。
 そう思って、この本を書きました。」

(『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』鴻上尚史
 講談社現代新書、2017年11月20日初刷、2018年3月14日第13刷)
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にわかには信じられない――『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』(4)

鴻上は「特攻」についても、資料を読み込んだ上で、深く考察している。

「特攻が『志願』だったのか、『命令』だったのかという問いかけの時に、司令官ではなく、隊員たちが書いた多くの手記は、『志願』の形をした『命令』だったと断じます。
 佐々木友次さんのように、はっきりと『命令』の場合もありましたし、『志願せよ』と命令した場合もありました。命令すれば、それは『志願』ではありません。」
 
しかしはっきり、「志願した」といえる場合もあった。それは、陸軍なら少年飛行兵学校、海軍なら予科練で、十代の頃から軍人教育を叩きこまれた場合である。

これなら批判することなく、特攻を受け入れるのである。この辺は、オウムと寸分たがわぬところだ。

なお一点、鴻上と、意見の全く異なるところがある。それは、特攻隊員の死である。鴻上は言う。

「『特攻はムダ死にだったのか?』という問いをたてることそのものが、亡くなった人への冒瀆だと思っています。死は厳粛なものであり、ムダかムダでないかという『効率性』で考えるものではないと考えるからです。」
 
僕は全く違う。「特攻はムダ死にだったのか?」その通りである。それは「効率性」などとは違う、人間性の基準に照らし合わせたとき、そう思う。

「特攻はムダ死にである」と断定する精神が、二度と特攻を生まないことに通じる。特攻なんて、本当に一度で十分である。

でもたぶん、二度、三度とやるだろう。骨の髄まで納得するためには、非常に不幸なことだが、歴史を見れば、そういうことを二度、三度、経験せざるを得ないだろう。そうならないようにしたいとは思うが、こればかりは、本当に如何ともしがたい。
 
鴻上は最終的に、次のように結論づける。

「特攻隊員の死は、『犬死に』や『英霊』『軍神』とは関係のない、厳粛な死です。日本人が忘れてはいけない、民族が記憶すべき死なのです。」
 
厳粛な結論だが、上の文章から、「『犬死に』や」を取ってほしい。
 
なお鴻上によれば、「特攻」を生み出した大西瀧次郎中将が、その当時、こんなことを言っていたという。
 
一つ目は、天皇が特攻のことを聞いたならば、必ず戦争を止めにしろというであろう。
 
二つ目は「……日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。」
 
もちろん、特攻のことを聞いても、天皇は戦争を止めなかった。二つ目のことについては、これはもう「オウム天皇教」そのものである、としか言いようがない。
 
しかし、この大西中将の話には裏がある、と鴻上は指摘する。

「大西長官が神風特別攻撃隊の編成を命令する以前から、組織として特攻兵器の生産に、海軍中枢が関わり、決定を出していることがやがて分かってきました。
 陸軍は言わずもがなです。」
 
戦争中は、みな「オウム」病に罹っているから、上層部は同じことを考える。しかし、戦争が終わってしまえば、なんてバカなことをしたのだろうか、こんなことをしでかしたとあっては、戦争が終わって表は歩けない、そうだ、自決した大西中将一人の責任にしてしまえ、ということなのだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:54Comment(0)日記

にわかには信じられない――『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』(3)

鴻上尚史は佐々木友次さんに、全部で五回会って、取材を進めている。その取材が確かなもの、信頼に足るものだというのは、たとえば次のようなところで分かる。

「――飛行機の上で、おしっこしたくなったらどうするんですか?
『いや、たれっぱなしですよ。どうしようもない。タオル持って行くわけにいかんし』
――ズボン汚れるじゃないですか。
『仕方ない。そのうちに乾きますからね』
――それはよくあることですか?
『よくある、みなさんよくあったと思いますよ。2時間か3時間飛んでますからね』」
 
そうか、あの飛行機乗りたちは、本番の戦闘になれば、みんな垂れ流しなのか。でも確かにどうしようもない。
 
佐々木友次さんは敗戦で帰ってきたが、その過程で、自分に銃殺の命令が出ていたのを知った。大本営発表で、特攻で死んだ者が、生きていては困るから、銃殺しようとしたのだ。

敗戦の無条件降伏が遅れていたら、佐々木さんは本当に危なかった。そのことを知ったとき、どんな思いがしたろうか。その胸中は、ちょっと想像できない。

日本国のために命をかけて戦ったのに、その日本に裏切られたのだ。

鴻上尚史は、そこのところは、あまり深く掘り下げていない。というよりも、佐々木さんの方で、もういいじゃないかという、あきらめとも何ともつかないものが、濃厚に出ている。

そこは、実際に戦争に行って、そして最終的に国に裏切られたものでなければ、わからないことなのだろう。

佐々木さんは、鴻上が取材したときは、九十歳を超えていた。仮にその思いがどれほどのものだったとしても、それを言葉にするのは難しかったろう。
posted by 中嶋 廣 at 18:00Comment(0)日記

にわかには信じられない――『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』(2)

次の言葉は『万朶隊』隊長、岩本大尉のものである。

「操縦者も飛行機も足りないという時に、特攻だといって、一度だけの攻撃でおしまいというのは、余計に損耗を大きくすることだ。要は、爆弾を命中させることで、体当たりで死ぬことが目的ではない。……
 体当たり機は、操縦者を無駄に殺すだけではない。体当たりで、撃沈できる公算は少ないのだ。こんな飛行機や戦術を考えたやつは、航空本部か参謀本部か知らんが、航空の実際を知らないか、よくよく思慮の足らんやつだ。」
 
これを聞いた佐々木友次さんは、身体中が熱くなり、そしてつかえていた迷いがなくなった。爆弾を落として、帰ってくればいいのだ。
 
それにしても、この岩本隊長の話は、明らかに命令違反であり、軍隊では死刑に値する話だった。
 
最前線の特攻隊の中で、このような発言が、隊の中だけとはいえ、聞かれたのだ。『きけわだつみのこえ』だけではない、もう一つ別の、なまの声、それを是非とも聞かなければならない。
 
三度の特攻隊で帰還した佐々木さんは、四度目の出撃のとき、猿渡参謀長からきつく注意を受けた。

「佐々木伍長は、ただ敵艦を撃沈すればよいと考えているが、それは考え違いである。爆撃で敵艦を沈めることは困難だから、体当たりをするのだ。……今度の攻撃には、必ず体当たりで確実に戦果を上げてもらいたい」。
 
これに対する佐々木さんの答えはこうだ。

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」。
 
こんなふうに、自分の意見を言うこともできたんだ。これがどのくらい、例外的なことかはわからない。しかしとにかく、ここでは佐々木さんは、自分の意見を述べている。
 
それに対する猿渡参謀長の答えはこうだ。

「佐々木の考えは分かるが、軍の責任ということがある。今度は必ず死んでもらう。……」。
 
しかし佐々木さんは納得しなかった。

「『佐々木伍長、出発します』それだけ言って、その場を離れた。」
 
佐々木さんを死なせるについては、これは軍として、絶対に守らなければならなかった。何しろ天皇に「上聞」した以上、生きていては困るのだ。
 
このあたりは、もう軍は十分に気が狂っている。いまでも官僚は、こういう気の狂い方をする。当時はなにしろ、日本中を「オウム」が覆っていたのだ。

『きけわだつみのこえ』は、時代を覆う「オウム」に、なんとか特攻兵の思索を、ギリギリのところで、合わせようとしたものだ。だから読んでいて、どうにもたまらなくなるのだ。
posted by 中嶋 廣 at 19:44Comment(0)日記

にわかには信じられない――『不死身の特攻兵―軍神はなぜ上官に反抗したか―』(1)

まず、オビ表の全文を引く。

「『死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます』
1944年11月の第一回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に『必ず死んでこい!』と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた。
僕はどうしても、この人の生涯を本にしたかった――鴻上尚史」
 
まったく信じられない話である。兵士の名前は佐々木友次(ともじ)、特攻兵に選ばれたときは、21歳だった。
 
陸軍の第一回の特攻隊は、『万朶(ばんだ)隊』という名で、九九式双発軽爆撃機に800キロの爆弾をつけて、体当たりするものであった。
 
ちなみに海軍の特攻隊は、『神風特別攻撃隊』と名付けられ、零戦に250キロ爆弾を装備して、敵に体当たりするものだった。
 
特攻隊として九回出撃し、九回とも戻ってくる。そういうことも、にわかには信じられないが、それもふくめて、この時代をつぶさに見ておく必要がある、と急に思ったのである。
 
僕は『きけわだつみのこえ』でしか、この時代の精神史を知らない。考えてみれば、いろんな人がいて、全然おかしくないはずである。
 
例によって戦争も末期になってくると、たとえば第三陸軍航空技術研究所は、「崇高な精神力は、科学を超越して奇跡をあらわす」といった具合に、技術研究所なのに精神論を説き、体当たりを主張する。日本中を、オウム真理教が覆い尽くすようなものだ。
 
もちろん新聞もオウムの手先、というか重要な一翼を担っていた。特攻隊の「大戦果」を、「神鷲の忠烈 萬世に燦たり」と書き、「戦死」はすべからく、「悠久の大義に殉ず」であった。
 
その時代、オウムが日本のすみずみまで浸透していた時代に、一体どのようにして、特攻隊から、何度も帰ってくることができたのか。
 
原理そのものは簡単だ。次の会話は、佐々木友次さんと奥原伍長の間でなされたものだ。

「『佐々木、俺も考えたよ。特別攻撃隊だからといって、なぜ死ななければならないかということなんだ』奥原伍長は佐々木を見た。
『そうだ。死ぬことが目的じゃないさ。爆弾を必ず命中させればいいじゃないか。爆弾の落ちないような飛行機に乗せることはないよ。体当たりをする必要はない、と思ってるんだ』
 二人は同時にうなづいた。うかつに第三者には言えないことだった。」
 
原理は確かにこの通りだ。しかし、口に出しては絶対に言えない。
posted by 中嶋 廣 at 17:57Comment(0)日記

トリックはいらない!――『鏡の背面』

これは篠田節子の新境地。とにかく、とびきり面白い。
 
DV被害者や薬物依存症に苦しむ女性たちが暮らすシェルターで、火災が起きる。そこで母子を助け、身代わりになって、小野尚子が焼け死ぬ。
 
小野尚子は長年、「先生」と呼ばれ、誰からも慕われていた。
 
しかし火災事故を検証した警察は、死んだのは小野尚子ではないという。それは半田明美という、誰も知らない女だった。小野尚子と半田明美は、いつのまにか入れ替わっていたのだ。
 
ライターの山崎知佳は、生前の小野尚子に魅了されていたが、実はそれは半田明美であり、しかも調べて行くと、その女は連続殺人鬼だった。

そんなことが、実際にどうして起こったのか。しかも、山崎知佳と会った連続殺人犯は、聖母のような女だった。
 
篠田節子は、たとえば新興宗教教団を描いた『仮想儀礼』のように、閉じた世界で、狂気すれすれまで行くところが、実にうまい。

だからこんども、その方向かと思っていたら、全然違った。
 
ここからはネタバレだけど、でもかまわない。今度の作品は、なんというか、トリックはない。あるのはただ筆力のみ。
 
トリックがないということが、壮大なトリックなのだ。というと何を言っているのかわからなくなるが、でもそういうことなのだ。
 
火災が起こった折り、目の見えない老女が「小野尚子先生」の後に続き、二階に上っていく。その老女は、「そうはさせませんよ」という言葉を残して、先生と一緒に炎に捲かれる。
 
最初はみんな、老女が、目が見えないにもかかわらず、勇敢に先生を助け出そうとし、巻き添えになって死んだと思っていた。

しかしどうやら、老女だけは、「先生」の入れ替わりを、知っていたのではないか。すると、「そうはさせませんよ」というセリフも、意味が変わってくる。

しかし篠田節子は、そこをそれ以上推理し、書き込むことは避けている。それで最後にポツンと、小さな謎が残る。そこがまた、実にうまい。

小説は、今年は本当に読んでいない。にもかかわらず、これは数多ある小説をさしおいて、ベストワンだと言いたい。

(『鏡の背面』篠田節子、集英社、2018年7月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 17:02Comment(0)日記

漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(16)

それにしても実作者と編集者を、もっとも高度な領域で兼ね備えるというのは、いったいどういうことだろうか。個を強烈に表わすものと、個を群衆の中に沈めるもの、それは一個の人格の中で、共存できるものなのか。――僕にはやはりわからない。
 
長谷川さんは、冒頭に書いている。

「森鷗外にも、永井荷風にも、編集者としてのすぐれた資質はあった。鷗外には評論雑誌「しからみ草紙」をはじめ「めさまし草」「藝文」「スバル」などの創刊があり、「東京方眼図」のアイデアマンでもあった。荷風は……雑誌「文明」を発刊したりもした。與謝野鐵幹は詩誌「明星」を創刊する。」
 
たしかにこういう人たちは、編集者という機能を兼ね備えていた。けれども、その編集は、あくまで実作を推進するうえで、両輪として役に立つものだったのである。

「吾輩は猫である」から、絶筆の「明暗」に至るまで、作家・漱石はじつに勤勉に、「ホトゝギス」、朝日新聞に連載し続けた。
 
しかし一方、編集者としても、必ずしも実作とは関わりないところで、「ホトゝギス」と朝日新聞の大立者として、大活躍したのだ。
 
結局、僕なんかには、どういうことだかよくわからない、及びもつかないことなのである。
 
長谷川さんは「あとがき」に、十年ばかり前のこととして、こんなことを書いている。

「詩人の平出隆さんに誘われて根岸・子規庵を訪ね、近くの会場での子規をめぐるシンポジウムに参加した。その一、二年前に平出さんがそこで編集少年・正岡子規という展示を企画したと聞いたとき、瞬時に子規が漱石の内面に潜んでいた編集機能を目覚めさせたのだと直覚した。」
 
十年前、僕もこのシンポジウムに、聴衆とした参加していた。そしてただボンヤリと、子規と漱石の友情に思いを馳せていた。このとき、覚醒するかしないか、そういうことである。

「これはたんに友情などという語では表わせない。交流は濃密に過ぎる。……陰影に富んだ心理の深い淵、不可知の領域を覗くために、「無意識」という不明瞭な一語を頻用せざるを得なかった所以である。」
 
長谷川さんも、「無意識」を用いることについては、補助線であることを、分かっていたのだ。これは、いま仮に「無意識」というものを仮定すれば、こういう話ができるということなのだ。
 
それにしても漱石は巨大だ。巨大といって悪ければ、たいへん複雑だ。小説家と編集者の両方が、最初から当分の比重がかかっているものとして、よく納得されたのち、初めて漱石は、今よりも我々に、少し親しくなるのかも知れない。
 
そのためには、もう一度、漱石の小説を頭から読み、そして長谷川さんの『編集者・漱石』を読み返すほかはない。

(『編集者 漱石』長谷川郁夫、新潮社、2018年6月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:19Comment(0)日記