漱石の全体像とは――『編集者 漱石』(4)

長谷川さんは、叙述を進めていくうえで、荒正人の「増補改訂漱石研究年表」(小田切秀雄・監修)と、漱石の妻、鏡子の「漱石の思ひ出」の二冊を、基礎資料として用いている。
 
これは最初に述べた通り、言ってみれば外側から漱石を見ているとして、秋山豊さんは使わなかったものだ。ここではそれが、主として使われているということは、秋山さんの漱石像とは、全く別の漱石像が描かれているということだ。
 
鏡子の「漱石の思ひ出」には、漱石の内面に分け入って、理解しようという側面は全くない。そもそもそんなことは、考えてもいない。
 
漱石と鏡子の夫婦関係は、次のようなものだった。

「新婚生活も度重なる引っ越しで落ち着く暇がなかった。『ドメスチツク ハツピネス』の基盤が築かれることがなかったのである。生い立ちにまつわる家族との距離感から、夏目金之助には夫婦のあり方そのものが理解の外にあった、とも考えられる。」
 
この、意思疎通の十全ではない夫婦にして初めて、外側からの漱石像が、逆によけいに描けているということなのだ。
 
同時に、漱石の編集者としての世話好きも、夫婦のディスコミュニケーションが、かえってもう一方の、言ってみれば編集者魂を、加速させているのではないだろうか。
 
漱石はロンドンに留学する前に、「ホトトギス」に「英国の文人と新聞雑誌」という文章を載せている。
 
そこでは「おもに十八世紀からディケンズに至る英国の詩人・作家とジャーナリズムとの密接な関係を粗述したものである。『スペクテイター』から『デイリー・ニュース』までのさまざまな新聞・雑誌に言及した。」
 
こんなことをするのは、丸善のPR誌、「學燈」を編集した内田魯庵くらいしかいない、と長谷川さんは言う。
 
漱石は、ジャーナリズムと出版が密接に絡んで発展していくことを、このころからはっきり見抜いていたのだ。
 
じっさい僕など、出版の世界から遠ざかってしまうと、新聞や雑誌が頼みの綱なのに、昨今の本に対する情報のヘタレぶりは、まったくどうしようもない。やはり、緩やかなブッククラブを組織して、自分でやるしかないか、と思わざるを得ない。
 
また漱石は、「ホトトギス」を編集する高浜虚子に、編集のことで、厳しい叱責の手紙を送っている。
 
それは、毎月きちんと発行日を守り遅れるな、から始まって、著者たちの内輪話を書くな、というところまで、いずれ競争誌が現れるのを見越していたかのようだ。
 
明治三十三年の英国留学に至る以前に、漱石はすでにこれだけの、編集者の片鱗を見せている。
posted by 中嶋 廣 at 17:45Comment(0)日記