11回目に気づくこと――『夫・車谷長吉』

今年の初めから、高橋順子の『夫・車谷長吉』を、何度も朗読している。今回で11回目だ。

さすがに、これを繰り返し読むだけでは退屈してしまうので、途中から若菜晃子の『街と山のあいだ』を、交互に朗読している。
 
僕の高次脳機能障害は、完全には治りきらず、どちらも、何度読んでも、相変わらず閊(つか)える。
 
それでもだんだんスムーズに、脳機能障害といわれなければ、それとは気づかないほどに、読めるようになってきた。
 
と同時に、11回目になって、なお気づくことがある。
 
僕は、高橋順子が『新潮』の『業柱抱き』の原稿に、自分の名前のあるのを見て、初めて車谷を恋人として意識するようになった、と思っていた。高橋も、そういうふうに書いている。
 
その式に出かけて行く日――。

「三島賞の授賞式に私は長吉が送ってくれたヨシエ・イナバの服を着た。二次会には行かなかった。」
 
賞をもらう前に、男からプレゼントがあり、男が賞をもらった後に、女が決心をして、その服を着ていく。映画やテレビドラマなら、女の颯爽としたアップが映るところだ。
 
こういうところが、11度目の朗読で初めて、具体的に意識される。そういう言葉が、身体の中を、初めて降りて行く。それは非常に不思議な感じだ。
 
そして言葉の神経が、より整ってくるにしたがって、手足の神経も、すこしは通じてくるような気がする。

(『夫・車谷長吉』高橋順子、文藝春秋、2017年5月17日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:12Comment(0)日記