三つの時を自在に描く――『グッバイ、レニングラード―ソ連邦崩壊から25年後の再訪―』(2)

現在のロシアは、一応は「自由」だ。しかしプーチンの政敵は、次々に変死を遂げている。街の陰翳は独特だ。通訳のナターシャは、著者に指さして、こんなことを言う。

「あれは、このホテルのオーナーです。彼は元KGBでした。」
 
10歳の時のソ連は、全体の把握はとてもできないけれど、「まず外国人というものが珍しかった。外国人、しかもアジア人の子供によるロケには皆興味深々だったが、映りたくはないようで、カメラの後ろに人が集まる。
 振り返ると、カメラマンの背後にものすごい数のモスクワ市民が鈴なりになって、全員がじっとこちらを見ていた時は、さすがにゾッとした。」
 
そして三番目の、レニングラードで交響曲第七番が初めて演奏されたとき、もちろんこれが、本書のメインになる。
 
ナチスによって完全に包囲され、餓えで次々と人が倒れてゆく。

「死は突然訪れる。前を歩いている人が、突然パタリと倒れる。階段の途中で疲れてちょっと座る。少しだけと目を閉じる。次の瞬間には、その人はもう死んでいるのだ。」
 
レニングラードの人口、三百万人余のうち百万人が、この包囲網の中で、飢えて死んだ。
 
だが、たった125グラムの配給のパンと交換で、芝居の切符を手に入れる人もいたのだ。

「『芝居を観た後は、身体の中からシャワーで洗い流したようだったと言います。劇場があれば、もしかしたらもう少し生き延びることができるかもしれない。人々はそう思ったのです』
 私がロシア人の特殊性を最も強く感じるのは、こういう時だ。
 ……
 こんな時私は、ロシア人の底知れない生命力に戦くのだ。」
 
こういうとき著者は、われしらずロシア人に、底知れない共感を示していると思う。
 
けれども、そこにはもう一つ、著者の奥底に、両親の話が横たわっている。
 
地方の裕福な地主の娘だった母と、大学で学生運動にのめり込む貧しい父が、出会ってしまった。マルクスとレーニンが、二人を結びつけたのだ。

「ソ連は、私にとって初めての海外だった。しかし、当時のモスクワの様子に私はある疑問を抱く。これがお父さんの憧れの国? だって、皆どこか疲れている。
 私の両親への微妙な違和感は、その時から始まった気がする。」
 
この両親との関係という、いわば著者にとっての地の部分が、本書を極めて陰翳深いものにしているのだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:52Comment(0)日記