三つの時を自在に描く――『グッバイ、レニングラード―ソ連邦崩壊から25年後の再訪―』(1)

この本は、WEBRONZAの書評頁「神保町の匠」で、駒井稔氏が書評していたので、期待をもって読んだ。駒井さんの書評は、かなり力の入ったものだったのだ。
 
著者の小林文乃(あやの)は、BSフジでドキュメンタリー企画、『レニングラード 女神(ミューズ)が奏でた交響曲』(2017年放映)を推進するために、ロシアを訪問した。
 
この番組で彼女は、最初に企画を立てるところから始めて、プロデューサーを務め、リポーター役をやった。
 
じつは彼女のロシア訪問は、二度目だった。一度目は、1991年の夏、著者が10歳のときテレビのドキュメンタリー企画に応募し、「こども特派員」としてモスクワに滞在したのだ。このときはロシアではなくて、ソビエト連邦だった。
 
二週間の取材を終えて、その直後に、ゴルバチョフが書記長のときだったが、モスクワで「八月クーデター」が起こった。

クーデターは結果として失敗に終わったが、それをきっかけに、ソ連共産党は解体され、その年のうちにソ連は崩壊した。

そこから帰ったばかりのソ連が、地球上から亡くなる。それは著者にとって、驚天動地のことだった。

「ソ連のひと夏の記憶は、いまでも私の中でくすぶり続けている。
 今回の旅は、表向きはひとつの曲の誕生から初演までの軌跡を追う取材旅行だ。しかし同時に、それは私が長年抱いてきた疑問への答えを探す旅でもあった。」
 
そしてそれは、著者の係累とも、直接に関係することだった。

「崩壊直前のソ連を見た十歳の私、学生運動の夢破れた両親、戦後捕虜となった祖父――。ソ連と私の家族の世代を超えた繫がりは、私の内面にも深く関わっている。」
 
ちなみに、著者がロシアに着いた日は、アメリカ大統領選挙の当日で、トランプが劇的な逆転勝利を収めた日だった。
 
今回のドキュメンタリーは、ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第七番』の、レニングラードでの初演を追うもので、著者が初めて企画した番組だった。
 
つまりこの本は、現在のロシアと、著者の10歳のときの1991年のソ連を比較し、そしてもう一つ、1941年以降の、ナチスのレニングラード包囲網の時代を、三つ重ねて描こうとしたものである。
 
このときナチスは、レニングラードを完全に包囲し、最終的に鉄道を破壊して、外からの食糧の途を絶った。

飢餓と闘うなかで、ショスタコーヴィチはレニングラードに留まり、『交響曲第七番』の作曲に没頭したのである。
 
それにしても、三つの時代を、これだけ自在に描くことができるのは、見事なものである。どの時代も、それがナチスに追い詰められた時代であっても、同じように筆は伸びている。
posted by 中嶋 廣 at 18:28Comment(0)日記