11回目に気づくこと――『夫・車谷長吉』

今年の初めから、高橋順子の『夫・車谷長吉』を、何度も朗読している。今回で11回目だ。

さすがに、これを繰り返し読むだけでは退屈してしまうので、途中から若菜晃子の『街と山のあいだ』を、交互に朗読している。
 
僕の高次脳機能障害は、完全には治りきらず、どちらも、何度読んでも、相変わらず閊(つか)える。
 
それでもだんだんスムーズに、脳機能障害といわれなければ、それとは気づかないほどに、読めるようになってきた。
 
と同時に、11回目になって、なお気づくことがある。
 
僕は、高橋順子が『新潮』の『業柱抱き』の原稿に、自分の名前のあるのを見て、初めて車谷を恋人として意識するようになった、と思っていた。高橋も、そういうふうに書いている。
 
その式に出かけて行く日――。

「三島賞の授賞式に私は長吉が送ってくれたヨシエ・イナバの服を着た。二次会には行かなかった。」
 
賞をもらう前に、男からプレゼントがあり、男が賞をもらった後に、女が決心をして、その服を着ていく。映画やテレビドラマなら、女の颯爽としたアップが映るところだ。
 
こういうところが、11度目の朗読で初めて、具体的に意識される。そういう言葉が、身体の中を、初めて降りて行く。それは非常に不思議な感じだ。
 
そして言葉の神経が、より整ってくるにしたがって、手足の神経も、すこしは通じてくるような気がする。

(『夫・車谷長吉』高橋順子、文藝春秋、2017年5月17日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:12Comment(0)日記

三つの時を自在に描く――『グッバイ、レニングラード―ソ連邦崩壊から25年後の再訪―』(3)

この本の書評を、駒井稔氏は最後に、「理想」をもってくることで、締めくくっている。

「この本の本当の主役は『理想』である。そう、ロシア人が決して忘れないもの、それが理想であることを著者はよく知っている」。
 
これは実に見事な締め方だ。ひょっとすると著者だって、虚を突かれたかもしれない。
 
2016年の現在のロシア、10歳の時のソ連、1940年代のナチスに包囲されたレニングラード、著者の通奏低音となっている両親との葛藤、それらすべてを貫いているものが、隠れた「理想」なのだ。著者の軽快な文章は、そこをめがけているからこそ、芯があって、しかも溌剌としている。
 
でも僕は、ここでは断片的な両親の話を、次の本では、突っ込んで読んでみたい。
 
著者が大学を出て、出版界で働き出すと、「父」はそれに反比例するように、働かなくなったという。

「私は布団の端に膝をついて、『ねぇ、働かないの?』と声を掛けた。
 すると、父は身を起こして、意外にはっきりした口調でこういった。
『誰がやったかなんて関係ないだろ。家族なんだから。』
 ……
 これは家庭内社会主義とでも呼ぶべきものか。」
 
こういう会話を、ここから始めて本にするのは、なかなか難しいだろうが、でも読みたい。

「家族とは、気付かないうちにだんだんと重くなる石のようなものだ。膝に抱えているうちはわからないが、立ち上がろうとすると、もう立ち上がれないのである。
 私はその年のうちに家を出て、二度と帰らなかった。」
 
父母と私の葛藤、父と母を結びつけることになる学生運動、その痕は、私に色濃く残っている。次に書くのはそれだろう。そういう話が読みたい。
 
このロシア紀行は、2016年11月9日に始まり、15日に終わる。題名の『グッバイ、レニングラード』は、ドイツ映画の『グッバイ、レーニン!』を掛けている。元ネタの映画も、すごく面白い。
 
レニングラードという名前は、ソ連崩壊の後、市民投票により、ふたたびピヨートル大帝の都を意味する、サンクトペテルブルクに変わった。

(『グッバイ、レニングラード―ソ連邦崩壊から25年後の再訪―』
 小林文乃、文藝春秋、2018年3月10日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:38Comment(0)日記

三つの時を自在に描く――『グッバイ、レニングラード―ソ連邦崩壊から25年後の再訪―』(2)

現在のロシアは、一応は「自由」だ。しかしプーチンの政敵は、次々に変死を遂げている。街の陰翳は独特だ。通訳のナターシャは、著者に指さして、こんなことを言う。

「あれは、このホテルのオーナーです。彼は元KGBでした。」
 
10歳の時のソ連は、全体の把握はとてもできないけれど、「まず外国人というものが珍しかった。外国人、しかもアジア人の子供によるロケには皆興味深々だったが、映りたくはないようで、カメラの後ろに人が集まる。
 振り返ると、カメラマンの背後にものすごい数のモスクワ市民が鈴なりになって、全員がじっとこちらを見ていた時は、さすがにゾッとした。」
 
そして三番目の、レニングラードで交響曲第七番が初めて演奏されたとき、もちろんこれが、本書のメインになる。
 
ナチスによって完全に包囲され、餓えで次々と人が倒れてゆく。

「死は突然訪れる。前を歩いている人が、突然パタリと倒れる。階段の途中で疲れてちょっと座る。少しだけと目を閉じる。次の瞬間には、その人はもう死んでいるのだ。」
 
レニングラードの人口、三百万人余のうち百万人が、この包囲網の中で、飢えて死んだ。
 
だが、たった125グラムの配給のパンと交換で、芝居の切符を手に入れる人もいたのだ。

「『芝居を観た後は、身体の中からシャワーで洗い流したようだったと言います。劇場があれば、もしかしたらもう少し生き延びることができるかもしれない。人々はそう思ったのです』
 私がロシア人の特殊性を最も強く感じるのは、こういう時だ。
 ……
 こんな時私は、ロシア人の底知れない生命力に戦くのだ。」
 
こういうとき著者は、われしらずロシア人に、底知れない共感を示していると思う。
 
けれども、そこにはもう一つ、著者の奥底に、両親の話が横たわっている。
 
地方の裕福な地主の娘だった母と、大学で学生運動にのめり込む貧しい父が、出会ってしまった。マルクスとレーニンが、二人を結びつけたのだ。

「ソ連は、私にとって初めての海外だった。しかし、当時のモスクワの様子に私はある疑問を抱く。これがお父さんの憧れの国? だって、皆どこか疲れている。
 私の両親への微妙な違和感は、その時から始まった気がする。」
 
この両親との関係という、いわば著者にとっての地の部分が、本書を極めて陰翳深いものにしているのだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:52Comment(0)日記

三つの時を自在に描く――『グッバイ、レニングラード―ソ連邦崩壊から25年後の再訪―』(1)

この本は、WEBRONZAの書評頁「神保町の匠」で、駒井稔氏が書評していたので、期待をもって読んだ。駒井さんの書評は、かなり力の入ったものだったのだ。
 
著者の小林文乃(あやの)は、BSフジでドキュメンタリー企画、『レニングラード 女神(ミューズ)が奏でた交響曲』(2017年放映)を推進するために、ロシアを訪問した。
 
この番組で彼女は、最初に企画を立てるところから始めて、プロデューサーを務め、リポーター役をやった。
 
じつは彼女のロシア訪問は、二度目だった。一度目は、1991年の夏、著者が10歳のときテレビのドキュメンタリー企画に応募し、「こども特派員」としてモスクワに滞在したのだ。このときはロシアではなくて、ソビエト連邦だった。
 
二週間の取材を終えて、その直後に、ゴルバチョフが書記長のときだったが、モスクワで「八月クーデター」が起こった。

クーデターは結果として失敗に終わったが、それをきっかけに、ソ連共産党は解体され、その年のうちにソ連は崩壊した。

そこから帰ったばかりのソ連が、地球上から亡くなる。それは著者にとって、驚天動地のことだった。

「ソ連のひと夏の記憶は、いまでも私の中でくすぶり続けている。
 今回の旅は、表向きはひとつの曲の誕生から初演までの軌跡を追う取材旅行だ。しかし同時に、それは私が長年抱いてきた疑問への答えを探す旅でもあった。」
 
そしてそれは、著者の係累とも、直接に関係することだった。

「崩壊直前のソ連を見た十歳の私、学生運動の夢破れた両親、戦後捕虜となった祖父――。ソ連と私の家族の世代を超えた繫がりは、私の内面にも深く関わっている。」
 
ちなみに、著者がロシアに着いた日は、アメリカ大統領選挙の当日で、トランプが劇的な逆転勝利を収めた日だった。
 
今回のドキュメンタリーは、ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第七番』の、レニングラードでの初演を追うもので、著者が初めて企画した番組だった。
 
つまりこの本は、現在のロシアと、著者の10歳のときの1991年のソ連を比較し、そしてもう一つ、1941年以降の、ナチスのレニングラード包囲網の時代を、三つ重ねて描こうとしたものである。
 
このときナチスは、レニングラードを完全に包囲し、最終的に鉄道を破壊して、外からの食糧の途を絶った。

飢餓と闘うなかで、ショスタコーヴィチはレニングラードに留まり、『交響曲第七番』の作曲に没頭したのである。
 
それにしても、三つの時代を、これだけ自在に描くことができるのは、見事なものである。どの時代も、それがナチスに追い詰められた時代であっても、同じように筆は伸びている。
posted by 中嶋 廣 at 18:28Comment(0)日記