ハードボイルドと見せて、じつは――『泥濘(ぬかるみ)』(3)

「しかし、そういう掛け合い漫才やと、会話はようても、地の文はどないなってるんや。それも漫才やと、どうもこうもならんで。」

「そこは実に微妙や。黒川博行の手並みが、冴えわたるとこで、たとえば二宮が桑原のことを、ボロクソに言う場面や。

『こいつは尻尾の先が三角になった悪魔や。ついて歩いたら尻からぽろぽろ金を落とすけど、ポケットに入れるのは並大抵やない――。君子危うきに近寄らず。火中の栗は火箸でも拾うな。マキとふたりの安寧な日々を失ってはいけない。』
 
マキいうのは、事務所で飼うてるオカメインコな。」

「なかなかうまいもんやな。二宮が桑原に惹かれていくとこが、鮮やかに出てるなあ。」

「それとな、今度の本では、本を読めというのが、露骨に出てくるんよ。例えばこんなとこ、二宮と桑原の会話や。

『「大正のアパートの近くにね、山羊汁を食わす店がありますねん」
「わしは沖縄で食うたな。どえらい匂いやった」
 箸はつけたが喉をとおらなかった、と桑原はいう。
「羊を食いつけてる人間には旨いらしいですよ、あの匂いも」
「おまえは五拍子揃うとる。悪食、大食い、強欲、怠惰、ブサイク」
「七つの大罪ね。ほかにどんなんがあったかな」
「嫉妬や。憤怒もあったな」
「なんでもよう知ってるんですね」
「本を読め、本を。世のすべてのことがらは本の中にある」』
 
どや、ええセリフやろ。」

「そら、ええセリフかも知らんけど、ちょっと浮いてるなあ。」

「ちょっとどころか、浮きまくっとる。関西弁の悪漢小説とは思えんやろ。けど、ええセリフや。そう言えば、こんなところもある。本とは関係ないとこやけどな。

『「大正橋に寄ったんです。おふくろの顔を見に」
「ちがうやろ。おまえは金を借りに行ったんや」
「当たってますね、その読みは」
「なにが読みじゃ。四十にもなって恥ずかしいないんかい」
「忸怩たるものがあります」
「書けるんか、忸怩」
「買ってください、電子辞書」』
 
どや、オチがベタッとしてのうて、うまいもんやろ。」

「紙の本と対になるように、電子媒体も忘れたらいかんというんで、取り上げたんやね。」