これは、いったい何の本か――『知性は死なない―平成の鬱をこえて―』(2)

第4章、5章は、反知性主義をどう考えるか、という問題である。ここでは橋下徹と安倍晋三が、反知性主義の典型例として挙げられる。
 
橋下徹は、大阪市長・日本維新の会の共同代表を務めているとき、自分を批判する大学教授や論壇人を、「現場を知らないバカ」と、しきりに切り捨てていた。
 
安倍晋三は、ほとんどの憲法学者が、「集団的自衛権は行使できない」と述べていたのに、国会で、これをできることにしてしまった。

「そういう時代の状況をなげくことばとして、彼らに批判的な大学教員や評論家が使いはじめたのが『反知性主義』でした。橋下や安倍を支えている民意は、知性を尊重しない反知性主義だ、というわけです。」
 
そして著者も、同じ立場でものを書いていた。でもそれは間違いだったという。
 
ここで著者は、物事を切り分けるのに、「身体」と「言語」という、二分法を持ち出す。これはけっこう斬新で、しかもちょっと危険ではある。

「言語」は「ことばを使って論理的に分析するもの」であるのに対し、「身体」は「論理でわりきれなかったり、そもそも言語化不可能だったりする、感覚や情動の母体となるもの」というふうに分けられる。
 
こういうふうに分けると、いうまでもなく、「身体」のほうが「言語」よりも、共感する人が多い。
 
日本人はもともと、職人の知恵みたいなものが好きだし、実際にはどういうものかわからないが、「机上の空論よりも現場主義」が好まれる。
 
それが極論までいったのが、「『流行作家は現実を知ってる。ビジネスマンも現実を知ってる。小理屈だけで現実を知らないのは大学教授だけだ』と公言する、橋下徹氏」だ。

「大学の黄昏」はまた、大学の外で読まれた、たとえば『超訳 ニーチェの言葉』や『嫌われる勇気』にも見られる。どちらも百万部くらい、売れたんじゃないかな。
 
著者は、こういうものは自己啓発本の類いで、実につまらない、つまらないけれども、でも大学の先生による本よりも、断然読まれると説く。
 
しかしこういう本は、話題にするところからして、つまらんというか、間違ってると思うよ。とにかく、あまりにも例が悪すぎる。
 
実際に大学がピンチなのは、極端に言えば、政治が大学をもてあそぶからだろう。そこは著者も、大事なところとして、的確にとらえている。

「じっさい、『人文系の大学教育じたいがむだだ、もっと実業に役立つことを教える、職業訓練校に改組しろ』といった声さえ、近年ではめずらしくなく、平成時代の最後の月となる来年4月からは、企業と連携して特定の職業に特化した内容を教える『専門職大学』なる制度がスタートします。」
 
大学教育は、ここしばらくの、政治家とそれを取り巻く者たちによる「大学改革」によって、ズタボロにされてしまったのだ。
posted by 中嶋 廣 at 19:12Comment(0)日記