前作とはちょっと違う――『本屋な日々 青春篇』(3)

その次の「ズルい本屋」は、岩波ブックセンターの柴田信さんのこと。それにしても見出しが、「ズルい本屋」とは。

柴田さんは、2016年10月に急逝した。ほんとに急性という感じで、ほとんど一日も寝つかなかったんじゃないか。トランスビューとしても、本を売っていただき、ずいぶんお世話になった。

元講談社の鷲尾賢也さんと仲が良くて、信山社で待ち合わせをすると、ときに二人の掛け合いが、丁々発止見られて、実に面白かった。お二人は、たまに本気で喧嘩もした。それほど仲が良かったのだ。

鷲尾さんの『編集とはどのような仕事なのか』は、僕が作った本だが、信山社では、ついに最初から終わりまで、というのは閉店のときまで、ずっと平積みになっていた。

石橋さんは、2015年の春に『口笛を吹きながら本を売る―柴田信、最終授業』を出している。しかし私は、この本は読んでいない。

石橋さんは今度の本では、柴田さんを、こんなふうに評している。

「柴田サンは、これまでのしがらみを断つことなく、むしろそこにどっぷりと浸かりながら前に進む本屋の姿を、僕に書かせた。いわば、彼は多くの既存の書店や出版社の権化である。」
 
難しい問題である。柴田さんは柴田さんで、どこにも見せない顔が、あったと思う。そういう顔を、偶然僕は、ほんとにちらっとだけ、見たことがある。それは、誰にも見せない顔だから、僕もとっさに、顔を合わせるのを避けた。
 
石橋さんは、「ズルい本屋」の最後を、こういうふうに締めくくっている。

「柴田サン、一九三〇年生まれ。僕、一九七〇年生まれ。
 たびたび齟齬を生じさせながら、共に学び合い、刺激し合う、先生と生徒の間柄である。年の離れた友人である。」
 
そういう関係をまっとうできたことは、ほんとによかった。いまはただ、柴田さんのご冥福を祈りたい。
 
このあとは、沖縄でジュンク堂を辞めて、古本屋ウララをやっている宇田智子さん(「3坪の自由」)、『傷だらけの店長』を書いて店長を辞め、新たに石垣島で古本屋を始めた伊達雅彦(「もがきのさいはて」)と続く。
 
この本の後半は、かなり自由に、筆が伸びている。今度は、本屋が題材でないものを読みたい。

(『本屋な日々 青春篇』石橋毅史、トランスビュー、2018年6月20日初刷)