石橋毅史による『「本屋」は死なない』の続編。出版を巡る状況は、近年ますます悪くなるばかりで、良い話は全く聞こえてこない。
しかしそれでも、著者はかたくなに、「本屋」のあるべき姿を追求している。
「だがいっぽうで僕は、一見すると破滅へ向かうような道にしか、書店業がつづく手掛かりはないようにも思う。一心不乱に本と客に向き合う、という愚直な『本屋』の部分を保持している書店だけが、最後は残るのではないだろうか。」
これはもう信仰に近い(そして私もやはり、こういう信仰をもっている)。
この信仰に基づき、深夜、書店の仕事が終わってから、石橋は責任者から、こういう話を聞いたりする。
「並んでる人たち見ながら、コイツとコイツはいつかウチの店に引っ張れるんじゃないか、なんて思ったりして。」
これはギリギリの会話なので、それなりに面白い。
けれども、それは前作『「本屋」は死なない』で、もう十分に述べられている。正直、ちょっと食傷気味ではある。
と思っていたら後半の、「青春の本屋」の章からあとが面白い。最初は「愛する本屋」と題して、ヴィレッジヴァンガードの花田菜々子による独白。
花田菜々子はトークの中で、「私はヴィレッジヴァンガードを愛している」と、さらっと述べている。
「自分は小さいころからずっと……生きづらさを感じていて。世間となじめない、普通になれないという違和感、苦しさはずっとあって。……
いちばんしんどかったのは中高生の頃なんですよ。親とも学校とも、まわりの同級生とも、全然嚙み合わない。……だから、やっぱり、そういう鬱屈した中高生くらいの子に、ここに味方がいるよー、って言いたいような。ヴィレッジっていうのは、お祭り騒ぎの楽しさのいっぽうで、ひっそりとそういうメッセージを伝え続ける店であってほしいし、そういう本のときは自然とPOPもアツく、長くなってます(笑)。」
どうしたら本屋を続けられるか、というのは、見方によっては、だからもう本屋を続けることはできない、となるが、花田菜々子が本屋をやる理由は、目的がほかにある。だから、よそが不況だの何だのは、関係がない。
ついでに言うと、ヴィレッジヴァンガードは、本屋「も」やる店である。だから、石橋さんの、本屋に対する「信仰」とは、対象が微妙にずれている。そして、そこが面白い。
「社内でもけっこう『こんなのはヴィレッジヴァンガードじゃない』とか『ヴィレッジらしさって何なんだ』みたいな、思春期全開みたいな議論は、よくしてますよね。……だから、私だけじゃなくて、たぶん他のみんなもヴィレッジを愛してるんだと思うんですよね。ただモノを置いて売ってもしょうがないだろ、って話もよくしてます。ヴィレッジを愛してなかったら、そんなことでアツくなったり、怒ったり、しないじゃないですか?」
石橋さんの信仰とは違っているけど、花田さんには花田さんなりの信仰が、それも強固な信仰がある。それがある限り、本屋はなかなか死なないのだ。