この話しづらさを突き詰めてゆくと、喉に何かが詰まった状態であるといえる。
僕の場合は、毎日、朗読しているときが、はっきり何かが詰まっているような印象があったが、そして今でも、何かが詰まっているが、これも二年間、朗読を続けていると、詰まるものが少しずつ変化してゆく。
著者は脳梗塞から、およそ一年四ヶ月後に、こういうふうに表現している。
「喉に飲み込めないゆで卵が詰まったままのように話しづらい」
これはまことに言い得て妙である。これをもう少し詳しく言うと、こんなふうになる。
「……この喉元のゆで卵飲みかけで止まっちゃった的違和感は、日によって大きくなったり小さくなったりするし、なんと話題によっても症状に変化があるから、やはりフィジカルの麻痺である構音障害とは無縁。にしては、ずいぶん物理的な違和感でもある。」
僕は三年経った今でも、とくに改まって何かを言おうとする場合、やっぱり突然、言葉が出なくなる。シャックリとは違うけれども、しかし、そういうふうな、言葉を飲み込むような、あの感じ、そう言えば分かってもらえるだろうか。
これはなかなか厳しいものがある。たとえて言ってみれば、もう世の中を、大手を振って生きてはいけない、という気になる。高次脳機能障害の、二次障害の典型例は、鈴木大介によれば、鬱病の発症、そして自殺である。
これは、脳卒中になる者の年齢にもよるだろう。著者が発症したのが、41歳、僕が発症したのが、62歳。僕の年齢はちょっと早いけれど、でも、さもありなんという年ではある。
鬱病から自殺へという経緯は、病院を退院した後の、環境によるだろう。僕はこの点は、じつに恵まれていた。いろんな方に感謝すべきなのだが、なかでも妻には、感謝という言葉では、とても言い尽くせないものがある。
僕の年齢では、高次脳機能障害は大変だけども、しかし、おおかた自分の好きに使える時間との引き換えならば、少々の不自由は、甘んじて受け入れようという気になる。本を読むのが、おっそろしく遅くなったが、このくらいの不便は、まあ仕方がない。
もちろんこの先、どうなるかはわからない。ある日突然、あるいは短期間で、人間が変わるかもしれない。でも今のところ僕は、およそ楽天的である。「世の中を、大手を振って生きてはいけない」と言うなら、世間の片隅で、懐手して暮らしたい。これが僕の、ただ今の心境である。
書評ブログが、自分のことを書き過ぎて、撚れてきてしまった。
ただ最後に、鈴木大介が提案している、大事なことを挙げておく。
高次脳機能障害の患者で、書類の申請作業が完遂できない場合には、休ませるしかないということだ。
「……実際に脳梗塞ベースの高次脳のケースでは、この状態でも『自立可能』として退院できてしまうことが多いが、ここは『自立以上・社会復帰未満』として、余分なストレスをかけずに可能な限り休息の時間とすべきだと思うし、この段階の生活を支える扶助の制度がないことは、大きな見落としだ。」
これは大至急議論して、制度を考える必要がある。
(『脳は回復する―高次脳機能障害からの脱出―』
鈴木大介、新潮新書、2018年2月20日初刷)
悪戦苦闘の日々――『脳は回復する―高次脳機能障害からの脱出―』(1)
鈴木大介による、『脳が壊れた』の続編である。
医療保険による回復期のリハビリは、脳出血・脳梗塞の場合は、病院にいられる期間は、最大半年と定められている。
そこを退院してから、社会復帰しようとする直前までの、ほとんど奥さんだけが頼りという、悪戦苦闘の日々を描く。
章見出しの「号泣とパニックの日々」、「夜泣き、口パク、イライラの日々」、「『話せない』日々」といったあたりで、その苦闘ぶりがよくわかるだろう。
とにかく鈴木は、よほど用心しないと、突然ぶあっと、涙が溢れてくる。一日中、用心しながら生活していると、夜にはフラフラになる。
著者はこれを、「四六時中号泣寸前」の状態といっている。著者には悪いが、なんというか、表現が面白い。
困ったのは、耳や目に入ってくる情報を、取捨できないことだ。
これは、僕も似たようなことがあって困った。病院の待合室で、人と話していて、関係のないいろんな人が、僕をめがけて、言葉で襲いかかってくる。もちろんそんなことはないのだが、しかし僕自身は、パニックに陥った。
著者の場合は、さらに厳しい。
「僕の場合は注意障害の結果『注意する必要がない情報』に注意が向き、しかもそれを自力でキャンセルできない状況にもなってしまっていた。
……
テレビを見ながら食事をすると、テレビばかりに注目(凝視)して、本来払うべき『一度箸に取った食べ物』への注意がおろそかになる子どもと同じだ。結果としてそんな子どもは箸から食べ物を落としてしまったり口から食べ物をこぼしたりする(ちなみにこれは注意障害もちの我が妻の日常風景)。」
これはけっこう大変だ、夫婦で強度の注意障害もちとは。
なお二年半余りの闘病を経て、著者に最後に残った障害は、上手く話せないことである。これは僕も全く同じである。
「話しづらさに苦しんでいた僕は、あらゆる会話の中でも『納得していない相手に説明・説得する会話』を最も苦手としていて、いくつもの挫折を繰り返した。」
鈴木大介の場合は、現役の執筆者に、復帰しなければいけなかったのだから、大変である。著者と編集者が丁々発止、やりあうところが、この仕事の醍醐味である。それができなくなる。
だから僕の場合は、その仕事を降りたのだ。
医療保険による回復期のリハビリは、脳出血・脳梗塞の場合は、病院にいられる期間は、最大半年と定められている。
そこを退院してから、社会復帰しようとする直前までの、ほとんど奥さんだけが頼りという、悪戦苦闘の日々を描く。
章見出しの「号泣とパニックの日々」、「夜泣き、口パク、イライラの日々」、「『話せない』日々」といったあたりで、その苦闘ぶりがよくわかるだろう。
とにかく鈴木は、よほど用心しないと、突然ぶあっと、涙が溢れてくる。一日中、用心しながら生活していると、夜にはフラフラになる。
著者はこれを、「四六時中号泣寸前」の状態といっている。著者には悪いが、なんというか、表現が面白い。
困ったのは、耳や目に入ってくる情報を、取捨できないことだ。
これは、僕も似たようなことがあって困った。病院の待合室で、人と話していて、関係のないいろんな人が、僕をめがけて、言葉で襲いかかってくる。もちろんそんなことはないのだが、しかし僕自身は、パニックに陥った。
著者の場合は、さらに厳しい。
「僕の場合は注意障害の結果『注意する必要がない情報』に注意が向き、しかもそれを自力でキャンセルできない状況にもなってしまっていた。
……
テレビを見ながら食事をすると、テレビばかりに注目(凝視)して、本来払うべき『一度箸に取った食べ物』への注意がおろそかになる子どもと同じだ。結果としてそんな子どもは箸から食べ物を落としてしまったり口から食べ物をこぼしたりする(ちなみにこれは注意障害もちの我が妻の日常風景)。」
これはけっこう大変だ、夫婦で強度の注意障害もちとは。
なお二年半余りの闘病を経て、著者に最後に残った障害は、上手く話せないことである。これは僕も全く同じである。
「話しづらさに苦しんでいた僕は、あらゆる会話の中でも『納得していない相手に説明・説得する会話』を最も苦手としていて、いくつもの挫折を繰り返した。」
鈴木大介の場合は、現役の執筆者に、復帰しなければいけなかったのだから、大変である。著者と編集者が丁々発止、やりあうところが、この仕事の醍醐味である。それができなくなる。
だから僕の場合は、その仕事を降りたのだ。