ハードボイルドと見せて、じつは――『泥濘(ぬかるみ)』(3)

「しかし、そういう掛け合い漫才やと、会話はようても、地の文はどないなってるんや。それも漫才やと、どうもこうもならんで。」

「そこは実に微妙や。黒川博行の手並みが、冴えわたるとこで、たとえば二宮が桑原のことを、ボロクソに言う場面や。

『こいつは尻尾の先が三角になった悪魔や。ついて歩いたら尻からぽろぽろ金を落とすけど、ポケットに入れるのは並大抵やない――。君子危うきに近寄らず。火中の栗は火箸でも拾うな。マキとふたりの安寧な日々を失ってはいけない。』
 
マキいうのは、事務所で飼うてるオカメインコな。」

「なかなかうまいもんやな。二宮が桑原に惹かれていくとこが、鮮やかに出てるなあ。」

「それとな、今度の本では、本を読めというのが、露骨に出てくるんよ。例えばこんなとこ、二宮と桑原の会話や。

『「大正のアパートの近くにね、山羊汁を食わす店がありますねん」
「わしは沖縄で食うたな。どえらい匂いやった」
 箸はつけたが喉をとおらなかった、と桑原はいう。
「羊を食いつけてる人間には旨いらしいですよ、あの匂いも」
「おまえは五拍子揃うとる。悪食、大食い、強欲、怠惰、ブサイク」
「七つの大罪ね。ほかにどんなんがあったかな」
「嫉妬や。憤怒もあったな」
「なんでもよう知ってるんですね」
「本を読め、本を。世のすべてのことがらは本の中にある」』
 
どや、ええセリフやろ。」

「そら、ええセリフかも知らんけど、ちょっと浮いてるなあ。」

「ちょっとどころか、浮きまくっとる。関西弁の悪漢小説とは思えんやろ。けど、ええセリフや。そう言えば、こんなところもある。本とは関係ないとこやけどな。

『「大正橋に寄ったんです。おふくろの顔を見に」
「ちがうやろ。おまえは金を借りに行ったんや」
「当たってますね、その読みは」
「なにが読みじゃ。四十にもなって恥ずかしいないんかい」
「忸怩たるものがあります」
「書けるんか、忸怩」
「買ってください、電子辞書」』
 
どや、オチがベタッとしてのうて、うまいもんやろ。」

「紙の本と対になるように、電子媒体も忘れたらいかんというんで、取り上げたんやね。」
posted by 中嶋 廣 at 12:29Comment(0)日記

ハードボイルドと見せて、じつは――『泥濘(ぬかるみ)』(2)

「話の筋はこうや。二蝶会の桑原が、組長・嶋田に、こんなことをしゃべってるんや。

『あの事件で不起訴になった元警視の岸上いう経営コンサルが、白姚会と組んで大東の「悠々の杜やすらぎ」いう老人ホームを乗っ取って、理事長におさまったんです。「やすらぎ」にはさっきいうた歯医者が出張診療に行ってて、入居者の保険証を不正受給に使うてたんやけど、その不正受給にからんでワルどもが稼いだ裏の金を攫えんか、いうのが飯沢のネタですわ。』
 
これを横からかすめとろちゅうのが、今回の発端やけど、なんとここまでで、五百ページのうち、おおかた半分や。」

「しかし、なんや、ややこしいなあ。高次脳障害には無理やで。」

「しかもこの話は、蛇行してて、こういうふうには、ぜんぜん進まへん。結局は、老人ホームを乗っ取った警察のOBが、その先へ行くと、オレオレ詐欺の元締もやってる、という話なんやわ。」

「それはまた、むちゃくちゃな。しかし、そんな話だけで、五百ページも持つんかいな。」

「さあ、そこや。話の筋はハードボイルドやけど、そうとみせて、実は桑原と二宮の掛け合い漫才なんや。」

「ふーん。まあもともと、そういうとこはあったけどな。しかし、主従逆転して、漫才が前面に出てくるとは、驚きやなあ。」

「お前、そういうの、好きやろ。」

「うん、俺はやすし・きよしみたいなモダンなやつより、エンタツ・アチャコの、格式ばった、背広着てる漫才が好きなんや。知ってるか、オバンの岩石落とし、知らんやろ。」

「なんや、それは。しかし、えらい古いなあ。おおかた五、六十年前やんけ。そのくらいやと、ダイマル・ラケットのほうが、懐かしいなあ。ほれ、あの『スチャラカ社員』の前にやってた『どろん秘帖』。いまでも歌、覚えてるで、〽どーろん、どーろん、ぱっぱっぱっ~」

「懐かしいな。エンタツ・アチャコは、藤田まことの『てなもんや三度笠』の前にやってたんや。」

「しかし、そんな昔の漫才とは、違うんや。というて、やす・きよほど軽快やない。そんなことしたら、ほんまに、ただの漫才になってしまう。」

「そうすると、やす・きよのちょっと前に、焦点をもってくると、……これはもう、はんじ・けんじしかおらんね。」

「うん、それや。」
posted by 中嶋 廣 at 18:50Comment(0)日記

ハードボイルドと見せて、じつは――『泥濘(ぬかるみ)』(1)

都内で初めて四十度を超えた日、Nやんが久しぶりに、ぶらりと立ち寄った。最後に会ってから、一年半ほど経っている。

「『泥濘(ぬかるみ)』、読んだか。黒川博行の、極道桑原と建設コンサルタントの二宮の話や。」

「『週刊文春』で立ち読みはしたけど。」

「お前、半身不随やと、立ち読みなんか、でけへんやん。」

「それはものの喩えや。デイサービス太陽いうところで、風呂の介助をしてくれて、時間待ちしてるとき、読んだんや。」

「で、どうや。」

「うーん、読むには読んだけどな。……よう分からんかった。高次脳機能障害が治っとらんから、週刊誌で続きものを読むのは無理やな。」

「そうか。でも週刊誌やと、こんどの『泥濘(ぬかるみ)』は、たぶん筋を理解するのは、無理とちゃうか。」

「そうなんや。」

「なにしろこんどのは、シノギのタネを見つけるところから、始まるさかいな。」

「ほうか、それはちょっと斬新やな。俺がさっと読んでも、分からんかったわけや。」

「しかし、とはいうものの、お前の頭の方は、どの程度治ったんや?」

「最低限、日常会話はできる。しかし、ちょっともつれた話をするのは無理や。」

「本はどうや。」

「読めることは読める。けど、むちゃくちゃ遅うなってる。病気の前は、一時間に百ページが標準やったけど、今は三十ページいうところや。」

「それでも、読めることは読めるんやな。」

「うん。それと読み方が、ちょっと変わってきた。うまいこと言えんけど、文章の一つ一つが、いちいち腑に落ちるようになって、なんというか、病気した後の方が、染みわたってくるんよ、胸に。」

「ふーん。そうすると『泥濘(ぬかるみ)』なんか、ピッタリやな。」

「そうなんや。」

「とにかく、シノギのタネを見つけないかん、ということは、話の筋を見つけないかんちゅうことやからな。」

「えーっ、筋を見つけるのが、本筋の芯の話とは……。それ、ハードボイルドと違うやん。」
posted by 中嶋 廣 at 18:47Comment(0)日記

これは、いったい何の本か――『知性は死なない―平成の鬱をこえて―』(3)

著者は、精神的危機は脱出したらしいが、行く手を考えると、前途多難という気がする。やっぱり最終的に、著者は、大学における知性というものを信じている。

「いまもなお吹き荒れているだろう各種の大学改革が、見るべき成果を挙げていないのは、『大学教員はバカ』・『文系なんてカネにならない』・『税金を使ってるんだから政治家にしたがえ』といった、およそ知性を感じさせないポピュリストに主導されたことで」、みんな全くやる気がなくなったように見える。
 
でも、必ずしもそうではない。

「知性のある改革者によって、『知性主義』を脱したより広い知性のために変わるのであれば、積極的に協力を申し出る大学関係者は多いはずだ。
 そう考えるくらいには、私はいまも『知性の砦』としての、大学を信じています。」
 
残念ながら、そうは行かないんじゃないか。政治というのは年々、巧妙になっていくから、むしろ大学の荒廃は、ますます進んでいくんじゃないか。それを食い止めるためには、おおもとの政治を転換させる以外に、方法はないんじゃないかと思う。
 
この本には、さまざまな考えるべきヒントが、詰め込まれている。ただ残念なことに、どの考え方をとっても、生煮え、あるいは独りよがりであると、私には思われる。

独創的な考え方は、とくに頭のいい人の場合は、先走ってしまうものだ。

しかし、私はこの人の本を、読み続けることにする。それは最終的に、こういうことを信じているからだ。

「既存の社会に『いかに適応するか』ではなく、『いかに疑うか・変えていくか』という、知性がほんらい持っていたはずの輝きを、とりもどそうではないか。
 けっきょくはそれが、いまいちばん伝えたいことなのだと再確認させられたのが、私にとっての療養生活だったのだと思います。」

「いかに適応するか」ではなく、「いかに疑うか・変えていくか」ということ、これは本の企画を作る場合と、まったく同じことなのだ。

「いかに適応するか」を謳っているものは、もうそれだけで、揉み手をした、いやしく、小汚い、本に似ているけれども違う、「本もどき」なのだ。
 
そういう思いで、書籍広告を見れば、企画として取り上げるべきものと、取り下げるべきもの、ペッと唾を吐き、近寄ってはいけないものは、一目瞭然である。

(『知性は死なない―平成の鬱をこえて―』與那覇潤、文藝春秋、2018年4月5日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 17:59Comment(0)日記

これは、いったい何の本か――『知性は死なない―平成の鬱をこえて―』(2)

第4章、5章は、反知性主義をどう考えるか、という問題である。ここでは橋下徹と安倍晋三が、反知性主義の典型例として挙げられる。
 
橋下徹は、大阪市長・日本維新の会の共同代表を務めているとき、自分を批判する大学教授や論壇人を、「現場を知らないバカ」と、しきりに切り捨てていた。
 
安倍晋三は、ほとんどの憲法学者が、「集団的自衛権は行使できない」と述べていたのに、国会で、これをできることにしてしまった。

「そういう時代の状況をなげくことばとして、彼らに批判的な大学教員や評論家が使いはじめたのが『反知性主義』でした。橋下や安倍を支えている民意は、知性を尊重しない反知性主義だ、というわけです。」
 
そして著者も、同じ立場でものを書いていた。でもそれは間違いだったという。
 
ここで著者は、物事を切り分けるのに、「身体」と「言語」という、二分法を持ち出す。これはけっこう斬新で、しかもちょっと危険ではある。

「言語」は「ことばを使って論理的に分析するもの」であるのに対し、「身体」は「論理でわりきれなかったり、そもそも言語化不可能だったりする、感覚や情動の母体となるもの」というふうに分けられる。
 
こういうふうに分けると、いうまでもなく、「身体」のほうが「言語」よりも、共感する人が多い。
 
日本人はもともと、職人の知恵みたいなものが好きだし、実際にはどういうものかわからないが、「机上の空論よりも現場主義」が好まれる。
 
それが極論までいったのが、「『流行作家は現実を知ってる。ビジネスマンも現実を知ってる。小理屈だけで現実を知らないのは大学教授だけだ』と公言する、橋下徹氏」だ。

「大学の黄昏」はまた、大学の外で読まれた、たとえば『超訳 ニーチェの言葉』や『嫌われる勇気』にも見られる。どちらも百万部くらい、売れたんじゃないかな。
 
著者は、こういうものは自己啓発本の類いで、実につまらない、つまらないけれども、でも大学の先生による本よりも、断然読まれると説く。
 
しかしこういう本は、話題にするところからして、つまらんというか、間違ってると思うよ。とにかく、あまりにも例が悪すぎる。
 
実際に大学がピンチなのは、極端に言えば、政治が大学をもてあそぶからだろう。そこは著者も、大事なところとして、的確にとらえている。

「じっさい、『人文系の大学教育じたいがむだだ、もっと実業に役立つことを教える、職業訓練校に改組しろ』といった声さえ、近年ではめずらしくなく、平成時代の最後の月となる来年4月からは、企業と連携して特定の職業に特化した内容を教える『専門職大学』なる制度がスタートします。」
 
大学教育は、ここしばらくの、政治家とそれを取り巻く者たちによる「大学改革」によって、ズタボロにされてしまったのだ。
posted by 中嶋 廣 at 19:12Comment(0)日記

これは、いったい何の本か――『知性は死なない―平成の鬱をこえて―』(1)

著者の與那覇潤は、『中国化する日本』で一躍文名をあげた人。そのときは、地方の公立大学の准教授であった。
 
私はこの本を読んでない。ちょうど東大の小島毅先生のところに通っていて、『父が子に語る日本史』と、その続編である『父が子に語る近現代史』を作っていて、そのおり雑談で話を聞いた。そのときは、まあそんなに大したことはない、というふうに思った。
 
考えてみれば、小島先生は中国儒教の専門家だから、はるかに若い後輩を、手放しで褒めるわけはないのであった。
 
それはともかく、その後、著者はうつ病になり、教職を辞している。そういう目から見た、もうすぐ終わろうとする平成の話である。
 
その特徴は端的にいって、知識人、大学人の敗北ということだ。

「ほとんどの学者のとなえてきたことは、たんに実現しないか、実現した結果まちがいがわかってしまった。そうしたさびしい状況で、『活動する知識人』の時代でもあった平成は、終焉をむかえようとしています。」
 
著者もまた、学者として「現実にコミットしようとした」が、かたちとして成し遂げたことは何もない、そういう意味では、「挫折と自己反省の手記」と言わざるを得ない。
 
それどころか、「その過程で躁うつ病(双極性障害)という精神の病をわずらい、教育・研究という任務をになうことができなくなったために、大学を離職することにもなりました。」
 
著者自身が、一度は日常会話すら不自由になる体験から、うつろいゆく知性とは何か、ということを考えた話である。
 
第一章から三章までは、著者のうつ病の症状と考察、さらにはその社会的な意味といった内容。

しかし、うつ病については、いくら読んでも、十全な理解は得られない。うつ病は経験してみなければ、わからない。
 
実は高校生の頃に、うつ病になりかけたことがある。そのころ中学・高校一貫校に通っており、高校に入っても、また同じことか、と思うとすっかり嫌になった。何をする気もせず、起きてるのも大儀で、ともすれば、死んでしまいたかった。ひと夏の、ほんとうに苦しい経験であった。

こういう経験はもうたくさんだ。だから人のものを読んでも、身を入れるのを、むしろ、避けている。
 
しかし、では徹底的に避けているかというと、それは微妙で、半身で、いつの間にか擦り寄っていってる。だからこの本も、出てすぐに買った。買ったけれども、相変わらず、半身の姿勢は変わらない。
posted by 中嶋 廣 at 16:23Comment(0)日記

前作とはちょっと違う――『本屋な日々 青春篇』(3)

その次の「ズルい本屋」は、岩波ブックセンターの柴田信さんのこと。それにしても見出しが、「ズルい本屋」とは。

柴田さんは、2016年10月に急逝した。ほんとに急性という感じで、ほとんど一日も寝つかなかったんじゃないか。トランスビューとしても、本を売っていただき、ずいぶんお世話になった。

元講談社の鷲尾賢也さんと仲が良くて、信山社で待ち合わせをすると、ときに二人の掛け合いが、丁々発止見られて、実に面白かった。お二人は、たまに本気で喧嘩もした。それほど仲が良かったのだ。

鷲尾さんの『編集とはどのような仕事なのか』は、僕が作った本だが、信山社では、ついに最初から終わりまで、というのは閉店のときまで、ずっと平積みになっていた。

石橋さんは、2015年の春に『口笛を吹きながら本を売る―柴田信、最終授業』を出している。しかし私は、この本は読んでいない。

石橋さんは今度の本では、柴田さんを、こんなふうに評している。

「柴田サンは、これまでのしがらみを断つことなく、むしろそこにどっぷりと浸かりながら前に進む本屋の姿を、僕に書かせた。いわば、彼は多くの既存の書店や出版社の権化である。」
 
難しい問題である。柴田さんは柴田さんで、どこにも見せない顔が、あったと思う。そういう顔を、偶然僕は、ほんとにちらっとだけ、見たことがある。それは、誰にも見せない顔だから、僕もとっさに、顔を合わせるのを避けた。
 
石橋さんは、「ズルい本屋」の最後を、こういうふうに締めくくっている。

「柴田サン、一九三〇年生まれ。僕、一九七〇年生まれ。
 たびたび齟齬を生じさせながら、共に学び合い、刺激し合う、先生と生徒の間柄である。年の離れた友人である。」
 
そういう関係をまっとうできたことは、ほんとによかった。いまはただ、柴田さんのご冥福を祈りたい。
 
このあとは、沖縄でジュンク堂を辞めて、古本屋ウララをやっている宇田智子さん(「3坪の自由」)、『傷だらけの店長』を書いて店長を辞め、新たに石垣島で古本屋を始めた伊達雅彦(「もがきのさいはて」)と続く。
 
この本の後半は、かなり自由に、筆が伸びている。今度は、本屋が題材でないものを読みたい。

(『本屋な日々 青春篇』石橋毅史、トランスビュー、2018年6月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 15:44Comment(0)日記

前作とはちょっと違う――『本屋な日々 青春篇』(2)

次の「フォーエバー・ヤング」は、石橋毅史さんが若かりし頃、出版社の営業部で、奮闘した話。それを焼肉屋で、かつての先輩社員と、ほろ苦い気分で懐かしむ。
 
でも、ただ懐かしむだけではない。ここに出てくる「Y社」の社長というのが、曲者というか、食わせ物というか、とにかくワンマン極まりない人物で、昔、出版社にはときどきいましたねえ。
 
ついでに言うと「Y社」というのは、悠飛社のことだが、そして「Y社」の、たとえば『私も虐待ママだった』というのが挙げられているので、インターネットで調べればすぐにわかるけれど、ここは「Y社」のことよりも、石橋さんの回想に意味があるので、「Y社」のままとしたい。この辺りは、石橋さんの芸の細かいところだ。
 
でこの「Y社」だが、これがなんというか、「とんでも出版社」だったのである。とにかく、石橋さんのいた二年余りの間に、三十人ほどが入っては辞めていった。
 
これは経営状態が不安定で、給料が安く、しかもその額も、社長の一存で決まるためだ。

営業部は、とにかく書目を、書店に押し込みさえすればよい。あとで全部、返品になろうが、気にしない。いや、気にはするけど、社長の手前、仕方がない。

「――僕がいた頃は、土曜日は注文を百冊とれた人から帰っていい、という競争もやらされてました。
『たまに社長も「手本を見せてやる」って一緒にやるんだけど、「今度の新刊が!」「こういう既刊も売れてまして!」とか一方的にまくしたてて一店だけで合計百冊くらいとったりしてたもんなあ。ほんとムチャクチャだった。』」
 
いやあ、懐かしいなあ。これとおんなじことを、僕らは、やっていたことがある。法蔵館の東京事務所にいたころだ。
 
書目はいろいろあったけど、基本的に売れていないものを、押し込むことはしなかった。今でもよく憶えているのは、養老孟司先生の『カミとヒトの解剖学』と、布施英利さんの『死体を探せ!』『図説・死体論』である。北海道から沖縄まで、とにかく一生懸命、注文を取った。その点では、「Y社」の社長と、まったく同じことをやっていた。
 
でも石橋さんは、苦い思いを込めて、往時を反省する。

「――やっぱりY社は、つくっていた本が市場に出る資格がない出来だったということになるのかな。」
 
これではどうしようもない。
 
しかしよく売れた本でも、返品は多かった。嫌なことだが、本はそういうふうに、売れていくものだと思っていた。ものすごい無駄を出しながら、そういうふうに、回っていくものだと思っていた。
 
もちろん、それで良しとは思っていなかったけれど、その時は、どうしようもなかった。
posted by 中嶋 廣 at 18:53Comment(0)日記

前作とはちょっと違う――『本屋な日々 青春篇』(1)

石橋毅史による『「本屋」は死なない』の続編。出版を巡る状況は、近年ますます悪くなるばかりで、良い話は全く聞こえてこない。
 
しかしそれでも、著者はかたくなに、「本屋」のあるべき姿を追求している。

「だがいっぽうで僕は、一見すると破滅へ向かうような道にしか、書店業がつづく手掛かりはないようにも思う。一心不乱に本と客に向き合う、という愚直な『本屋』の部分を保持している書店だけが、最後は残るのではないだろうか。」
 
これはもう信仰に近い(そして私もやはり、こういう信仰をもっている)。
 
この信仰に基づき、深夜、書店の仕事が終わってから、石橋は責任者から、こういう話を聞いたりする。

「並んでる人たち見ながら、コイツとコイツはいつかウチの店に引っ張れるんじゃないか、なんて思ったりして。」
 
これはギリギリの会話なので、それなりに面白い。
 
けれども、それは前作『「本屋」は死なない』で、もう十分に述べられている。正直、ちょっと食傷気味ではある。
 
と思っていたら後半の、「青春の本屋」の章からあとが面白い。最初は「愛する本屋」と題して、ヴィレッジヴァンガードの花田菜々子による独白。
 
花田菜々子はトークの中で、「私はヴィレッジヴァンガードを愛している」と、さらっと述べている。

「自分は小さいころからずっと……生きづらさを感じていて。世間となじめない、普通になれないという違和感、苦しさはずっとあって。……
 いちばんしんどかったのは中高生の頃なんですよ。親とも学校とも、まわりの同級生とも、全然嚙み合わない。……だから、やっぱり、そういう鬱屈した中高生くらいの子に、ここに味方がいるよー、って言いたいような。ヴィレッジっていうのは、お祭り騒ぎの楽しさのいっぽうで、ひっそりとそういうメッセージを伝え続ける店であってほしいし、そういう本のときは自然とPOPもアツく、長くなってます(笑)。」
 
どうしたら本屋を続けられるか、というのは、見方によっては、だからもう本屋を続けることはできない、となるが、花田菜々子が本屋をやる理由は、目的がほかにある。だから、よそが不況だの何だのは、関係がない。
 
ついでに言うと、ヴィレッジヴァンガードは、本屋「も」やる店である。だから、石橋さんの、本屋に対する「信仰」とは、対象が微妙にずれている。そして、そこが面白い。

「社内でもけっこう『こんなのはヴィレッジヴァンガードじゃない』とか『ヴィレッジらしさって何なんだ』みたいな、思春期全開みたいな議論は、よくしてますよね。……だから、私だけじゃなくて、たぶん他のみんなもヴィレッジを愛してるんだと思うんですよね。ただモノを置いて売ってもしょうがないだろ、って話もよくしてます。ヴィレッジを愛してなかったら、そんなことでアツくなったり、怒ったり、しないじゃないですか?」
 
石橋さんの信仰とは違っているけど、花田さんには花田さんなりの信仰が、それも強固な信仰がある。それがある限り、本屋はなかなか死なないのだ。
posted by 中嶋 廣 at 17:39Comment(0)日記

一つ、賢くなる――『一発屋芸人列伝』

「雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞」とあるから、つい買ってしまった。
 
著者は「髭男爵」二人の片割れ、山田ルイ53世。前作、『ヒキコモリ漂流記』の、特に後半が面白かったので、ついつい期待してしまった。
 
というと、もう結論は出てしまったようなもので、あまり面白くない。
 
取り上げる一発芸の芸人は、以下の通り。レイザーラモンHG、コウメ太夫、テツandトモ、ジョイマン、ムーディ勝山と天津・木村、波田陽区、ハローケイスケ、とにかく明るい安村、キンタロー。、髭男爵。
 
僕が知っているのは、この中で、半分くらいである。そしてこの中では、波田陽区の章が、かろうじて面白い。

「端正とは言えぬ顔立ちに、よれよれの一張羅の着物。所謂、華は……無い。」
 
一世を風靡した、このくらいの芸だと、文章も挙げて落として、張りがあって、面白い。そうでないと、一発芸を文章で再現してから、それをいじくるので、話が恐ろしく狭くなる。
 
波田陽区は、生まれ故郷の福岡に帰り、そこで地道に舞台に立っている。でも、「残念!」で観客を切るのは、かつてと違って、あまりうまくいかない。

「武器を失った波田は苦しんでいた。
『営業でギター侍をやっても2005年からずーっと〝ややウケ〟で……』
 シチューならとろ火でコトコト良い感じだが、お笑いで10年以上〝ややウケ〟……スパイ機関の新しい拷問に採用されそうである。」
 
文章は、ちょっと上滑りだけど、まあまあ快調である。
 
でもここまで。あとは本当に、どうしようもない。

「雑誌ジャーナリズム賞」は、どういう団体が選んでいるのかは知らないが、この賞に選ばれたものは、絶対に買ってはいけない、という点は、一つ賢くなった。

(『一発屋芸人列伝』山田ルイ53世、新潮社、2018年5月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 17:51Comment(0)日記