脳卒中仲間は興味津々――『脳が壊れた』(3)

だから、困窮者に手を差しのべるときには、よく考えないといけない。

「……彼ら彼女らに必要なのは、いち早く生産の現場に戻そうとする就業支援ではなく、医療的ケアなのではないか。それも精神科領域ではなく、僕の受けているようなリハビリテーション医療なのではないか。」
 
これはまことに卓見である。子どもや若い人が、その方向へ、何とか進んでいけるようにしたいけど、これは実に困難な道である。
 
鈴木大介は、身体に障害が、ほとんど残らなかったぶん、かえって高次脳機能障害に集中して、悲惨な事態が起きた。
 
スムーズに作業がやれないことよりも、「『やれないことを他者に分かってもらえない』という経験が、何より辛かった。」
 
鈴木大介は、いろんな困難の中で、「話しづらい」ということが、最も長く尾を引くことになったという。
 
これは僕も、身体の不具合と並んで、不調が最も長く残った。そして、じつはまだ残っている。
 
鈴木の言うことを聞いてみよう。

「いわば口から喉全体に歯科医療で使う麻酔をかけられたような状態で、こうした障害は総じて『構音障害』と呼ばれる。
 僕の場合は、唇や舌だけではなく咽喉や鼻腔にも麻痺があったために、音の高低や発声のテンポも調節できなくなり、流ちょうに話すことが出来なくなってしまった。」
 
程度の差はあれ、僕も、音の高低やテンポが、第一声を発してみないと、上手く見当がつけられなくなった。
 
これは今も、話すときに、尾を引いて、残っている。妻はそんなことは、いちいち気にしない。たまに訪れる友人たちも、最初こそ気にするのかも知れないが、話しているうちに、たいして気にならなくなってくる(ようだ)。

何よりも、僕の話すテンポなり音程なりが、話しているうちに、安定してくる。

しかし、最初に話すときは、まだダメだ。三年半たって、ダメということは、もう一生、治らないのかも知れない。

そうすると、これは僕の、新しい「個性」といえるかもしれない。そうとでも思わなければ、やっていけない。
 
鈴木大介の場合は、まだ四十代初め。構音障害を、新しい個性だといって済ますわけにはいかない。しかしこれは、難物の障害だった。

「結果から言うと、僕の中の『話しづらさ』は、口周りの麻痺が改善しても、それどころか病後半年以上を経て、こうして闘病記の仕上げを書いている発症七ヶ月半の今も残り続ける、最も苦しい後遺症となった。」
 
これに、「感情失禁」と呼ばれるものがついてくる。これはいろんなケースがあるが、僕の場合は、突然可笑しくなることが多かった。人としゃべっていて、深刻な状況に来ると、突然爆発的に可笑しくなる。笑いが止まらなくなるのである。
 
これは、じつは今でも多少、その気味が残っている。鈴木大介の場合も、まったく同じことだった。
 
しかし鈴木の場合は、病院を退院して、自宅に帰ってからが、本当に辛い時期の始まりだった。