高次脳機能障害とは、簡単に言えば、脳が疲れて、壊れてしまい、使い物にならなくなることだ。
僕の場合でいえば、まず言葉が出てこない。イヌやネコが、現物を見ても、その種類の名前が出てこない。妻や子どもの顔を見ても、何と呼んでいいかわからない。
本も読むことはできないのだが、それは内容が、脳の中に一瞬もとどまってはくれないからなのだ。
鈴木大介は、こんなふうに語っている。
「……僕は漫画すら読めなくなっていた。コマを追って台詞の文字を読んでいても、ストーリーが繫がらず、必死に集中していても『次にどこのコマ、どの吹き出しを読むのか』が分らず、やはり睡魔に襲われてほんの数ページで本を閉じざるを得ないのだ。」
僕の場合は、活字本を読んでいて、ページをめくると、文章の続きが分からなくなった。本当に信じられないことだが、ページをめくった一瞬の後、もう文章の続きを忘れている。そうして数ページ読むと、やたらに眠くなる。
そういう状態が、退院してからも、三カ月は続いた。
退院後、毎日一時間、朗読を、わが身に強制したが、最初は五分で、脳の中に響き渡る声が、ただ音として、意味なく流れていた。そして、とにかく眠くなった。
鈴木大介は、そのリハビリを、問題のある若者にも適応しろと、強く主張する。
「例えば、子ども集団の中でのイジメの原因には、イジメ被害者となる者の発達障害や発達のアンバランスが大きく関係していると僕は考えている。」
これは卓見である。でも、具体的にどうすればよいか。社会的なこととして考えると、たちまち費用その他が問題になる。
でもおそらく、今の段階で、これ以上の方策はない。それは費用の点でも結局、いちばん安くつくだろう。
また、貧困に直面する女性たちを、救済しようとしたことがあるという。そういう女性たちに、共通する行動があった。
「……役所に提出する所得証明などの書類の説明や、書き込みが必要な申請物などの説明を始めると、高確率で『気絶するような勢いで寝る』のだ。ファミレスのシートで横になってしまう者もいるし、仏像のような半眼状態でフラフラと寝てしまう者もいた。公的な書類などを用意しても、五行読めればいいほうで、音読してあげてもさっぱり頭に入っていかないようなのだ。」
こうして鈴木大介は、ある種の貧困者と、高次脳機能障害者が、ぴたりと重なることを探り当てる。
「貧困とは、多大な不安とストレスの中で神経的疲労を蓄積させ、脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害となった者と同様なほどに、認知判断力や集中力などが極端に落ちた状態なのではないか?」
鈴木はそれを、病院内の売店で、小銭をまったく処理できない自分を発見して、はじめて相手のことがわかったと言う。