じつに伸びやかな文体――『街と山のあいだ』(1)

若菜晃子という名前は、全然知らなかった。1968年生まれだから、今年ちょうど50歳になる。大学を出て、山と渓谷社に入社し、『山と渓谷』副編集長を経て、独立している。

これまで、結構いろんなところから、本を出している。『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社)などなど。版元を見れば、手が伸びそうだが、本そのものは、ちょっとパンチに欠けるような気がする。
 
で、この『街と山のあいだ』だが、端的に言って素晴らしい。文体はどこまでも細やかに伸びており、山と自然を中心に、元いた会社、そこにいた人など、自然や人事のすべてを、温かく、包み込むように、哀惜を込めて語る。
 
冒頭、「美しい一日」は、これ一篇だけが詩である。一部、抜粋する。

「一年に数度、たとえようもなく美しい日がある。/朝から光がさんさんと降り注いで、/あたり一面明るく輝いていて、/吹く風は澄んで心地よく、/ことのほか静かで、/足もとにはやわらかな影ができる。/そうした日に、街を歩きながら、今日は山はいいだろうなあと思う。」
 
最初から素晴らしい。これはやはり、朗読しなければと思い、最初から終わりまで朗読して、それからもう一度、最初に返って、二度、声に出して読んだ。
 
どこを読んでも素晴らしいが、たとえば、北八ヶ岳なら、こうなる。

「夜になればオレンジ色の灯がぽつりとつき、心づくしの食事が終わって灯が消えれば、窓の外から月明かりが入ってくる。
 もちろん、テントを張って、湿った地面の固さを背に感じ、梢を渡る風の音を耳に聴きながら、森に眠るのもわるくない。」
 
僕は、山には縁がない。海は一日、ぼうっと眺めていても、飽きることがない。しかし山はだめだ。鬱蒼とした森に入ると、全身が痒くなってきて、もうだめだ。
 
その僕ですら、山はいいなあ、と思わされる。とくに「……湿った地面の固さを背に感じ、梢を渡る風の音を耳に聴きながら、森に眠るのもわるくない」というところ、たまりません。
 
河原に掘られた野天風呂の赤湯温泉では、月の光が「見たことのないくらい大きく、地上に向かって煌々と明るい光を放つていた」。
 
それは、実に神秘的だった。

「私は、かぐや姫と同じように、自分も白い月の光の道に頭から吸い込まれていく心地がした。それは、たましいが吸いとられていくような感覚であった。気がつくと私は地面に足をつけておらず、中空から地上を見下ろしている。」
 
これは集中、ただ一篇だけ、幻想の風景を描いている。それは、エッセイの枠をはみだしている。それがまた、たまらなくいい。
posted by 中嶋 廣 at 18:38Comment(0)日記