簡潔に、曝け出す――『安部公房とわたし』(2)

初めのうち、安部公房と著者は、どんな関係だったか。著者が実家を出て、アパート暮しを始めるところがある。

「敷金・礼金は安部公房が既に払ってくれていたが、家賃はきちんと自分で支払った。私の城だ。囲われているという意識はまったくなかった。でも安部公房が精神的な支えになってくれていたのは事実だ。」
 
対等ではないけれど、ぎりぎり最後の自分だけは、手放さない。男と女の関係が、ずっと続いていくための、重要な秘密がここにある。
 
NHKの「繭子ひとり」のロケが始まり、当時の嵐のようなマスコミ攻勢と、自分の思い描いていた像との、ギャップを埋めてくれるのは、一人、安部公房の存在だけだった。
 
著者は、その安部公房と、何度かピンポンで遊んだことがある。そのときの批評がおかしい。

「安部公房の戦い方は、変則サーブ一本やりの汚い手だ。でも勝ちにはこだわるのだ。」
 
恋人だからといって、盲目的になっていないところが、山口果林の、あえて言えば、しぶといところだ。
 
また、書かずもがなというところを、あえて書いてしまうのも、この著者の特徴だ。例えば、初めてのセックスの場面。

「そのドライブで、次の段階へ進むことになるだろうとの予感があった。私に覚悟はできていた。
 いつも以上に安部公房も緊張していて、口数が少ないドライブだった。想像どおり、御殿場の高速道路わきに建つラブホテル『HOTEL555』に入った。しかし、その日安部公房は行為までには至らなかった。」
 
最後の一文が、山口果林の、あえて言えば露悪的なところであり、またこれを逆から見れば、誠実極まりないところでもある。最初の方に、こういうところがあるので、以後は安心して読める。
 
アパートで暮らし始めて、二人の関係は変わってゆく。

「自分の中に安部公房の存在が定着しはじめるのを感じた。女優と作家・演出家の関係以上に、男と女の部分が強くなってきた。」
 
これ以上はない、的確で強いことばだ。
 
安部公房と別居した安部真知と、著者との関係は、どういうものだったろうか。

「別居以来、安部公房が入院した一九九〇年の七月二十一日、東海大学伊勢原病院の病室で出会うまで、私は安部真知と顔を合わせていない。この邂逅も後味の悪いものとなり、結局、安部公房が亡くなるまで、電話で一回話しただけで、二度と会うことはなかった。この点では、安部公房は私を守りとおしてくれたのだと思っている。」
 
安部公房が、著者を守り通したかどうかはともかく、結果的に、三角関係の泥沼には陥らず、著者は安部公房の方を、向いていればよかった。
 
たぶんその泥沼は、安部公房が一身に背負ったのだ。