この本の著者はアニル・アナンサスワーミー。英米では、名の通ったサイエンス・ライターである。しかしサイエンスの分野に留まらず、哲学的な思考も、色濃く滲み出ている。
これはショッキングな本である。最初に出てくるのが、コタール症候群の話で、これがまず強烈だ。
患者は言う。「私はもう死んでいます。精神は生きているけど、脳は自殺未遂をしたときに、死んだのです。」
この種の患者は、自分が死んでいると言うだけでなく、さらに、自分は存在すらしていない、と言うこともある。
コタール症候群の患者は、極度のうつ状態に陥るが、自殺する者はほとんどいない。だってもう死んでいるのだから、もう一度死ぬ必要はないわけだ。これは、ブラックユーモア以外の何ものでもない。
コタール症候群には、特徴的な妄想がある。それは脳だけが死んでいる、という現代的な妄想で、これは医療現場で最近出てきた、脳死の概念に関係している。
つまり形のない精神が、形ある脳から独立して存在しうる、とする発想だ。脳は死んでも、精神は生きている、これは究極の二元論的妄想である。
デカルト哲学では、「我思う、ゆえに我あり」だったが、コタール症候群では、「我思う、ゆえに我なし」なのである。
この症状では、神経科学的には、脳の内部のどこを触れば、どの程度よくなるかが分かっている。しかし短絡的に、因果関係を決定するのは危険だ。脳内の物質的な作用から、どうやって精神が生まれるのかは、相変わらず謎だからだ。
全体の章のうち、認知症、統合失調症、自閉症などは、日本でもよく知られているので、ここでは、コタール症候群に続いて、毛色の違うものを紹介しよう。
身体完全同一性障害(BIID=Body Integrity Identity Disorder)では、患者は身体の一部、腕とか足を切り落としたい、という強烈な欲求に取り憑かれている。
逆に言えば、手や足の一本ずつが、邪魔でしょうがないのである。子どものころから違和感があり、大人になって、その不満は、もはや爆発寸前なのである。
そんな患者が本当にいるのか――いるのである。しかし表立って、腕や足を切り落とすわけにはいかないから、すべては闇の医者に託される。
本書では、足を切り落とす手術の一部始終に、著者が付き添っている。やはりこの目で見るまでは、そんな患者がいることが、信じられないのである。
もちろん、身体完全同一性障害(BIID)の手術は非合法で、病院側もだまされている。つまり医師個人が、病院内でこっそりやっていることで、そうまでして患者は、とにかく手や足を、死ぬほど切り落としたいのだ。
これは身体の内部感覚と、現実の身体にズレが生じており、言い換えればアイデンティティ障害といえよう。この感覚はなかなか理解しづらい。著者はそこを率直に書く。
「翌日麻酔から覚めた彼は、下のほうを見てみた。『信じられない。足がなくなってる。うれしくて我を忘れそうだった』」
要するにペンフィールドのいう「身体の脳内地図」が、歪んでいるのだ。しかし脳内地図が歪んでいると、なぜ身体の切断欲求につながるのか? そこは謎のままだ。