小説の面白さとは?――『それまでの明日』

これは原尞が、小説の面白さを突き詰めて考え、その結果、「切れのいい文章と機知にとんだ会話」こそはその核心だ、と見極めた作品である。
 
でも、結論から言ってしまえば、それは小説の、非常に重要な味付けであって、小説の本当の面白さではない。
 
四百ページを超える長編で、私立探偵・沢崎の周りでは、事件は大小取り交ぜて、三つばかり起こる。
 
一番大きな事件は、金融ローン会社に二人組が白昼、強盗に入り、もちろん沢崎は、その場に遭遇する。ほかに、探偵を依頼してくる、謎の紳士がいる。また、幻の父を求める、若い男も出てくる。
 
事件は大きくは、この三つだが、この三件が、まるでバラバラで関係がない。しかも、どの事件も、じつに竜頭蛇尾、不発である。

押し込み強盗なんて、まったく茶番だと、沢崎自身に言わせている。

探偵仕事を依頼してくる紳士など、最後まで謎のままだ。
 
では一体、どこが面白いのか。

〈16〉の書き出しの部分。

「依頼人に会うことさえできない探偵が事務所に持ち帰ってきたのは、消費期限の切れた炭酸飲料のあぶくのような徒労感だけだった。」
 
本筋が面白いと、こういう脇の文章が、光ってくるものだが。
 
あるいは、〈22〉の冒頭。

「翌日の午後、戦力外通告を受けたスポーツ選手のように覇気のない薄曇りの陽射しの中を、私は新宿署へ出かけた。」

〈27〉の冒頭のところ。

「自分では気づかないうちに、疲労感が食べたこともない南洋の果物の果汁を絞った滓のように溜まっていた。」
 
それにしても、こうして見てくると、疲れていることの比喩が多い。原尞は、本当にもう、疲れているのかも知れない。
 
でもそれなら、僕は、最後を見届けるまで、この作者を追いかけるだろう。

(『それまでの明日』原尞、早川書房、2018年3月15日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:02Comment(0)日記