知らない作家たちだけれど――『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』(3)

Ⅱ章には他に、足立巻一、天野忠といった、名の通った人たちも追悼されているが、それは本書を読まれたい。もちろん著者とのかかわり合いは、通り一遍ではない。

しかしそれよりも、「出版という労働」に始まるⅢ章が、興味深い。

毎年、就職シーズンになると、編集工房ノアにも、問い合わせの電話が来る。もちろん零細出版社がどんなものであるか、わかってやしないのだ。

「妻と二人、時々のアルバイトでしのいでいる状態なので、出版にまつわる全部が仕事となる。余分だが、事務所は路地裏の陋屋で、取次への注文書籍の納品は自転車である。」
 
何となく、つげ義春の、工員を描いた漫画を思い出す。いやいや、ついこの前まで、自分もこんなことをしていたのではないか。

「仕事は、企画というほどあらたまったものではないが、何を出版するかという決定。持ち込み原稿の扱いなど、構想を練ることと、書かれたものを読むこと。著者と会うこと。」
 
これが仕事の中心である。しかしそれをなすには、そこに至る細々とした、やるべきことがある。

「原稿の決定、編集、組み指定をして印刷所に原稿を渡す。校正は著者校正のほか外部にも出すが、私も目を通す。装幀の決定。発行までの進行管理。帯文、広告の作成。」
 
でもこれだけでは終わらない。新刊本は、できた後が大事だ。

「本が出来ると、書店まわりは主に妻。取次との委託配本数の決定、出荷発送、常時の注文品の納品、返品の整理、直接購読者への書籍小包の発送、とめまぐるしい。」
 
三年前まで、僕もやっていた仕事のいちいちが、今は無性に懐かしい。でも、もう一度やるかと問われれば、御免蒙りたい(これについては、また別に書くこともあるだろう)。

「移転顚末記」という、地上げに関する会社引っ越しの顚末記もある。そのドタバタも面白いが、それに付随して著者の漏らす溜め息が、また切ない。

「・・・・・・ノアには車がないので印刷会社や友達の車で何度も運び出してもらうのだが、なかなか減らない。よくこれだけ売れない本を出し続けたものだと、しみじみ思った。」
 
切ないことは切ないのだが、しかし傍から見ている分には、どうしても面白さが先に来てしまう。

こんなふうにして、四十年余が立ってしまった。これはこれで、「この道一筋」である。
 
僕は、学校を出てすぐに入った出版社が潰れてしまい、会社更生法の適用を申請することとなった。そこに九年もいたが、得るところは何もなかった。これは会社も僕も、お互いさまだ。
 
それから、法蔵館という京都の出版社の東京事務所に、十四年間いた。ここでは嫌なこともあったけど、貴重な経験も積ませてもらった。とにかく、四百年以上も続いている出版社なのだ。だから本当に、貴重な経験をさせてもらった。
 
それから、トランスビューで十五年。
 
そう考えていくと、ずっと出版に携わっている、というか、しがみついてきたわけだけど、しかし一方では、自分も、はっきり変わっていってる。僕は、自分が変わっていかないのは、嫌なのだ。
 
三年前に病気をして、その病気をじっくり眺めて、病の自分を全面的に受け入れてきたのは、なぜなんだろうと思っていたが、その理由が何となく分かった。こうなったらもう、絶えることなく、どこまでも転がっていこう。

(『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』
 涸沢純平、編集工房ノア、2017年9月28日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:50Comment(0)日記