書かれてあることの、その先を――『飼う人』(2)

感情が失せた風景の中で、「わたしは、その蛾の翅色の美しさと模様の複雑さに目を奪われた。ひと言でいうと、毛足の長い茶色い絨毯のような翅なのだが、クリーム色から焦げ茶までの濃淡があり、後ろ翅の縁は木目調なのに、前翅の中心には豹柄のような黒紋があるのだ。」
 
これがイボタガの幼虫。単色の、感情が無くなった風景の中で、この幼虫は、原色の強烈な存在感を放っている。
 
主人公は、このイボタガの幼虫を、枝ごと切って、トイレで飼うことにする。トーマス、機関車トーマスという名前をつけて。夫は不機嫌な顔をするが、でも表立って反対はしない。
 
しかし、そもそもなぜ「わたし」は、この人と結婚したのだろうか。

短大を出て、小さな出版社に勤めたが、仕事が忙しすぎて五年目に吐血。会社を辞め、市役所に委嘱で採用された。

それが六年目にはいり、市役所の秘書広報課でも、一番の古株になっていた。

クレイマーへの対応も、だから「わたし」が一手に引き受けている。このクレイマーを相手にするところが、秀逸である。

「彼らには、背が低い、痩せているのに骨太、身なりがきちんとしている、という共通点があった。
 ・・・・・・
 気が済むまで話してもらい、こちらは黙って聞くしかないのだと頭では解っていても、何時間も聞かされていると、声が皮膚から浸透し、身体中にじわじわと拡がっていき、自分の内側にうっすらと霜が降りるような気がして寒気が止まらなくなった。」

いや、本当にうまいものだ。僕は、読者からのクレームを直接聞くことは、なかったのだが、それでも一、二年に一回は、そういう電話をとってしまったことがある。そういう時の感覚が、急に蘇って来る。

しかし翻って、問題は、なぜ「わたし」が結婚したかだ。
「わたし」はもう、これ以上ないほど消耗し、疲れ果てていたのだ。

「自分に穴が開き、時間が漏れ出しているようで、わたしは焦っていた。とにかく、穴を塞げるものを求めていた。穴を塞ぐことができれば、何でもよかった。その焦りがなければ、夫とは結婚していなかったと思う。わたしが求めていたのは、結婚生活ではなく、子どもがいる家庭だった。それは、たぶん、夫も同じだ。」
 
でも、子どもはできなかった。
 
トイレで飼い始めたイボタガは、あるとき突然、いなくなる。「わたし」は、夫が踏み潰したものと推測するが、夫は何のことだかわからない。

「わたし」は、どうしたらいいかわからなくて、イボタガが羽化する、春まで我慢しようと思う。

「夫が嘘を吐いたかどうかはっきりするのは、来年の春だ。
 イボタガが羽化しなかったら、別れる。
 イボタガか羽化したら――。」

これが短篇の最後の場面である。

そうして四作目は、今度は男の立場から、去っていった女の不可解さと、男の戸惑いを描く。
posted by 中嶋 廣 at 18:54Comment(0)日記