「うちのめされてあなたをおもう」――『歌集 褐色のライチ』(5)

挽歌の中でも、次に挙げるのは、絶唱である。

  とおくちかく君の死なげく声とどくうちのめされてあなたをおもう

本当に、鷲尾賢也さんのことを思うと、ただ打ちのめされるよりほかに、しょうがなくなる。けれども他人は、泣けばひとまず、その時を、何とか過ごすことができる。

しかし著者にとっては、この世の中で著者ひとりにとっては、やり過ごすことはできないのだ。そういう中で、歌は最後の命綱である。

  耳朶ふかくあなたの声をしまいたい青葉の中にとけないように

  「ただいま」というあなたの声を忘れない手を止めるなり日にいくたびも

鷲尾賢也さんは、とにかく声に特徴があった。独特の張りのある声だった。

また、こういう歌もある。

  柱に背をあずけて遺影みつめおりこの世の時間とまる日暮は

いろんなことを考える中で、つい精神の斜面を深く掘り下げ、滑り落ちてしまう日もある。

  いかなる科のわたしにありて 手もとらずひとりで夫を逝かしめたりき

「いかなる科のわたしにありて」、そんなことは、もちろんない。けれどもそういうふうに、ついつい思ってしまう。

しかし著者は、それでもなんとか立ち上がるのだ、鷲尾賢也さんの助けを借りて。歌集のいちばん最後の歌は、こうである。

  かたわらにありし体温おもいつつ金曜のデモに行かんとおもう

反原発のデモには、夫婦で行ったが、今度は強い意思をもって、一人で行かんとしている。

以上、僕には短歌は批評できないので、ただより添って心に浮かぶことを、あれこれそのまま書いた。短歌をよく知る人があれば、もっと痛切な、そしてこういう言い方をするのは迷うけれど、もっと豊饒な世界が、見えてくるに違いない。

(『歌集 褐色のライチ』鷲尾三枝子、短歌研究社、2018年1月18日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:13Comment(0)日記