「うちのめされてあなたをおもう」――『歌集 褐色のライチ』(4)

挽歌を編むに際しては、「あとがき」に、夫が急逝したことを記す。

「十年間の歌をようやくまとめ、歌集の準備にとりかかっていた二〇一四年二月、夫が急逝いたしました。草稿に目をとおし、簡単な感想と『構成をもう少し考えて、入れ替えをしたらもう一度見るよ』というアドバイスをくれたのが二月九日、亡くなる前夜のことでした。全く予想もしない死でした。」

雪の中の葬儀は、中野の宝仙寺で行われ、僕も受付にいた。通夜と本葬が二日続きで行われ、そのどちらもが、東京では珍しい大雪だった。

  ふるえつつ箸にしら骨ひろいたり息子と小(ち)さく息をあわせて

葬儀が終わり、ひと段落がつく。けれども著者にとっては、葬儀そのものが、何が何だかよくわからない。そして葬儀の前と後では、街の様相は全く違う。それは究極、夫がいないことの理不尽さに尽きている。

  雪は消えいつもの街にもどりたり あなたのいない街になりたり

  きみがもうこの世にいない理不尽がかたまりのようにのみどをふたぐ

鷲尾賢也さんは、本当に突然、逝ってしまわれた。そのことが妻にしてみれば、かえってただ悲しい。

  六十九年きみ一身は努めたり病まずに逝きしこと今 ただ悲し

これには元歌がある。上田三四二の歌集『鎮守』の中にある、「六十年この一身は努めたり一身はかなし病みて力なし」がそれだ。
 
鷲夫賢也さんは、上田三四二の評伝、『この一身は努めたり』を書き、これは僕が、編集を担当した。その「あとがき」に、鷲尾さんはこう書いている。

「上田の生涯は、自分の枠を突破しようと、努力を重ねた日々であった。(中略)重篤な病に襲われた最晩年にいたるまで、休まず、研鑽を怠らない人生だった。彼の文学の中心にすわる短歌は、そういう営みにふさわしい詩型だった。才を恃むのではなく、真面目に励めば何かが生まれる。上田は、こういう信念に生きた文学者だったと思う。」
 
それはそのまま、鷲尾賢也さんに当てはまる。そして三枝子さんが、「病まずに逝きしこと今 ただ悲し」と嘆く通りだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:09Comment(0)日記