「うちのめされてあなたをおもう」――『歌集 褐色のライチ』(3)

大胆な感情を詠むこともあるが、その場合も、詠む手つきは繊細である。

  カレンダー替わりて荒野のひろがれり見るたびわれの野生がうずく

あるいは大胆と同時に、微かにエロチシズムも含んで。

  夜の淵をつよき香ながす水仙にだれも居らねばくちづけをする

もちろん、なんということのない日常の光景もあるが、その場合も一瞬をとらえ、そこに繊細な感情の動きがある。

  返したきこころおさえて七秒間きょうのかき揚さくりとうまし

  家中の黒革靴をたんねんに磨きたくなる二月はことに

夫婦はともに五十を越えたと思えるが、夫は元気で、幸せそうな一場面もある。

  半分はマスクに隠れたる夫がちかづいてくる目が笑ってる

そういえば鷲尾賢也さんは、ひどい花粉症で苦しんでおられたな、と思い出す。

次の歌も、夫が居間に一緒にいるところだろうな、何となくそういう気がする。

  日曜の将棋戦なり首かしげ言い訳をするおとこが勝者

  六十五歳の植木等のかなしかり「スーダラ節」が懸命すぎて

日常を詠む繊細な手つきで、東北の大震災も詠む。そこには、怒りが秘められている。

  朝刊から夕刊までは何時間、死者二百人増ゆ三月十五日

  東電の謝罪たったの四十音その四十音を原稿に読みつ

  目にみえぬ核の待つらし川底は花びら芥うずまきて消ゆ

そうして最終「Ⅴ章」の、鷲尾賢也さんへの挽歌が来る。
posted by 中嶋 廣 at 16:58Comment(0)日記