「天才」の謎に挑む――『弟子・藤井聡太の学び方』(1)

将棋については、プロが指し手を、どんなふうに思って指しているのか、本当のところはまったくわからない。

羽生を頂点とする天才集団が、どんなふうに動いているのか、ぼんやりと外野から眺めるだけだ。それでも十分、面白い。

ときの名人が、AIに負かされたりしているが、これは異次元のゲームで、人間同士の切った張ったは、あいかわらず抜群に面白い。
 
しかし、この一年間の藤井聡太の活躍は、そんなことを全部吹き飛ばしてしまうくらい、圧倒的だった。他の棋士が、全部凡人に見えるほど、その活躍は、傑出していた。
 
いったい何が起こっているのか。どういう本を読めば、手掛かりが得られるのか。
 
そう思っていたときに、杉本昌隆七段の、この本が出た。『弟子・藤井聡太の学び方』とは恐れ入ったタイトルだが、藤井聡太が本を書くのは、さすがにまだ無理なので、師匠の本を読むしかない。

オビに「なぜ、彼は強くなれたのか、その秘密を師匠が初めて明かす」とある。版元がPHPなので、過度な期待は禁物だが、でも期待してしまう。

「幼いころの藤井が負けると大泣きしていたのは、今や有名なエピソードになりました。
 ・・・・・・
 そばで見ていると、もう立ち直れないのではと気を揉むくらいに泣き伏しているのですが、研修会では一日四局は指します。次の手合いが決まると、もうケロッとしています。
 次の対局に負けを引きずることもありません。その意味では切り替えが早い。明らかにプロ向きの性格だと思いました。」

すでに有名になったことだが、藤井聡太の大泣きには、師匠もまず注目している。つまりこれが、秘密の核心(?)なんだろうか。

でもそれだと、なんというか、それで終わってしまう。それに、負けて泣いているのは、有名なところでは、たとえば佐藤康光九段(現・将棋連盟会長)がいる。佐藤康光は、負けた日は、布団を被って一晩中、泣き明かしていたという。

だから、大泣きするのは、将棋の天才の、必要条件ではあっても、十分条件ではない(「必要」と「十分」は、これでいいんだろうな?)。

それにしても、佐藤康光九段を凡人の代表に持ってくるとは、私もさすがにいい度胸だな。しかしこれは、藤井聡太と比較すれは、誰でもそうなるのだ。

知らない作家たちだけれど――『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』(3)

Ⅱ章には他に、足立巻一、天野忠といった、名の通った人たちも追悼されているが、それは本書を読まれたい。もちろん著者とのかかわり合いは、通り一遍ではない。

しかしそれよりも、「出版という労働」に始まるⅢ章が、興味深い。

毎年、就職シーズンになると、編集工房ノアにも、問い合わせの電話が来る。もちろん零細出版社がどんなものであるか、わかってやしないのだ。

「妻と二人、時々のアルバイトでしのいでいる状態なので、出版にまつわる全部が仕事となる。余分だが、事務所は路地裏の陋屋で、取次への注文書籍の納品は自転車である。」
 
何となく、つげ義春の、工員を描いた漫画を思い出す。いやいや、ついこの前まで、自分もこんなことをしていたのではないか。

「仕事は、企画というほどあらたまったものではないが、何を出版するかという決定。持ち込み原稿の扱いなど、構想を練ることと、書かれたものを読むこと。著者と会うこと。」
 
これが仕事の中心である。しかしそれをなすには、そこに至る細々とした、やるべきことがある。

「原稿の決定、編集、組み指定をして印刷所に原稿を渡す。校正は著者校正のほか外部にも出すが、私も目を通す。装幀の決定。発行までの進行管理。帯文、広告の作成。」
 
でもこれだけでは終わらない。新刊本は、できた後が大事だ。

「本が出来ると、書店まわりは主に妻。取次との委託配本数の決定、出荷発送、常時の注文品の納品、返品の整理、直接購読者への書籍小包の発送、とめまぐるしい。」
 
三年前まで、僕もやっていた仕事のいちいちが、今は無性に懐かしい。でも、もう一度やるかと問われれば、御免蒙りたい(これについては、また別に書くこともあるだろう)。

「移転顚末記」という、地上げに関する会社引っ越しの顚末記もある。そのドタバタも面白いが、それに付随して著者の漏らす溜め息が、また切ない。

「・・・・・・ノアには車がないので印刷会社や友達の車で何度も運び出してもらうのだが、なかなか減らない。よくこれだけ売れない本を出し続けたものだと、しみじみ思った。」
 
切ないことは切ないのだが、しかし傍から見ている分には、どうしても面白さが先に来てしまう。

こんなふうにして、四十年余が立ってしまった。これはこれで、「この道一筋」である。
 
僕は、学校を出てすぐに入った出版社が潰れてしまい、会社更生法の適用を申請することとなった。そこに九年もいたが、得るところは何もなかった。これは会社も僕も、お互いさまだ。
 
それから、法蔵館という京都の出版社の東京事務所に、十四年間いた。ここでは嫌なこともあったけど、貴重な経験も積ませてもらった。とにかく、四百年以上も続いている出版社なのだ。だから本当に、貴重な経験をさせてもらった。
 
それから、トランスビューで十五年。
 
そう考えていくと、ずっと出版に携わっている、というか、しがみついてきたわけだけど、しかし一方では、自分も、はっきり変わっていってる。僕は、自分が変わっていかないのは、嫌なのだ。
 
三年前に病気をして、その病気をじっくり眺めて、病の自分を全面的に受け入れてきたのは、なぜなんだろうと思っていたが、その理由が何となく分かった。こうなったらもう、絶えることなく、どこまでも転がっていこう。

(『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』
 涸沢純平、編集工房ノア、2017年9月28日初刷)

知らない作家たちだけれど――『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』(2)

第Ⅱ章は黒瀬勝巳、清水正一、足立巻一、桑島玄二、庄野英二、東秀三、天野忠の追悼文が並ぶ。全然知らない人もいるし、名前だけは知っている人もいる。
 
ただどの人も、著者とのかかわりで、独特のニュアンスを出している。たとえば最初の「黒瀬勝巳への訣れ」の場合。

「この次第に激しくなる雨の中、黒瀬はどこをほっつき歩いているのかと思った。黒瀬が失踪して二晩が明けていた。
 ・・・・・・
 黒瀬は私と同じように出版編集の仕事に携わっていて、私のところから『ラムネの日から』(一九七八〈昭和五十三〉年)という詩集を出していた。見よう見真似で出版社を始めた私にとって、黒瀬は唯一同業者としての友達でもあった。」
 
こういう運びであれば、読まざるを得ない。そして中ほどまで来て、ここでぐぐっと込み上げてくるものがある。

「黒瀬が失踪した翌日、私は映画『泥の川』を観た。年に一回、映画を観るか観ないかの私に、封切第一日目に映画館に向かわせたのは、原作の宮本輝、監督の小栗康平が私たちと同じ年代であり、描かれているのが昭和三十一年の時の私たちの情景であるということであった。」
 
黒瀬の失踪から一週間あまり経ったころ、夫人から電話があり、見つかったけれど生きていないんです、とのことであった。通夜の席で友人が、「『泥の川』を観ていたら死ななかったん違うかなあ」と呟いた。
 
詩人、清水正一は、著者にすれば、「詩人というより、父のように思っていた。清水さんもそのように接してくれるので、そのようにおもっていた。」
 
清水正一は十三(じゅうそう)公設市場の中に、蒲鉾屋の店を出していた。清水との付き合いは、編集工房ノアで1979年に『清水正一詩集』を出してからだ。1985年には亡くなっているので、それほど長い付き合いとはいえない。けれども、非常に濃かった。

『清水正一詩集』は「最初の作品選びからタッチした。編集者として一冊の本作りでおつき合いすると、その人柄がわかる。清水さんの場合、男としては注文も多い、考えが二転三転することもあって、私としては気持ちを押さえることもあった。」
 
ここは正直に言うと、よくわからない。「男としては注文も多い」とは、どういうことだろう。けれども、二転三転する「清水さん」と、くんずほぐれつ、著者が誠実に付き合ったことはよくわかる。
 
そこから話が逸れて、「出版というのは事業には違いないが、自分の編集しない、名のみの発行者であってみれば、喜びはなにほどのものであろうか」、という感懐にも行きついている。

「清水さん」は、こちらが家に行くと、なかなか帰してくれなかった。同じ話を何度もした。
「清水さんにとっては話すことが、何かをとりもどす楽しい時間であったのだろう。」
 
この「清水さん」の自宅の掛け時計は、いつも三、四時間は遅れていたのである。今は、この大幅に遅れた時計が、「清水さん」による詩であったのかも知れないと思う。それで「遅れ時計の詩人」というタイトルを、ここから取った。

知らない作家たちだけれど――『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記―』(1)

著者の名は涸沢純平(からさわ・じゅんぺい)。これはペンネームである。夫婦二人で、1975年から、編集工房ノアを切りまわしている。いわゆる小出版社の中でも、極小出版社である。思わず親しみを感じてしまう。

本の全体は三章に分かれ、そのうちⅠとⅡが追悼集、Ⅲ章が、出版のあれこれの仕事について書いたものである。
 
編集工房ノアは大阪にあって、足立巻一や天野忠、山田稔、鶴見俊輔、などを出している。ハンセン病詩人、塔和子の全詩集を出しているところでもある。
 
しかし巻末の広告頁を見ると、それ以外は知らない。その全然知らない作家の追悼文集が、読ませる。
 
最初は詩人、港野喜代子(みなとの・きよこ)である。1976年、創業の翌年に、詩集『凍り絵』を出し、宣伝のために新聞社を回ろうというので、著者は港野と待ち合わせをする。

「新聞社回りをしよう、と言ったのは港野だった。こちらから新聞社にたのんで回るのは、少々抵抗がないわけではなかったが、港野は各社に馴染みの記者がおり、私たちは何より発行したばかりの二千冊の『凍り絵』をさばかなければならなかった。それにこの詩集は港野にとっては二十年振りの第三詩集で、どう受けとめられるか期待と不安が入り交じっていた。」
 
そしてこの日、港野喜代子は一人で暮らす家の風呂に入り、心臓マヒを起こして死んだ。享年62歳。
 
三章あるうちの第Ⅰ章は、港野喜代子に関する追悼三編を収め、それでⅠ章全部である。創業した翌年の、著者の死というものが、いかに大きかったか、それが何となく、こちらにも伝わってくる。

読売新聞の司馬遼太郎の追悼記事、平野謙の「新潮」連載の「随時随感」、それらを加え、著者は、港野喜代子のこれまでの詩作の世界を、委曲を尽くして書いている。
 
平野謙の鋭く胸に迫る追悼を受けて、著者はこんなふうに書く。

「詩との格闘、とは、まさに港野を言い得ている。
 その格闘の一生の証が、亡くなる直前の出版となってしまった『凍り絵』を含む三冊の詩集だけでは港野もうかばれないだろう、と私は思って、『港野喜代子選集』の出版を計画した。」

『港野喜代子選集――詩・童話・エッセイ』はそれから5年後に、A5判・函入り・728ページという大冊で出た。
 
でも、大阪以外では知られていない、この詩人の作品集が、採算が取れるほど売れるんだろうか、とつい余計なことが気にかかる。
 
そういえば『凍り絵』の二千冊も、詩集としてはびっくりするような部数だ。

書かれてあることの、その先を――『飼う人』(5)

四作目は、一作目の出て行く女に対して、それを男から見たとき。ここでは女と男は、徹底的にコミュニケーションの手段がない。
 
いちおう男は、ツマグロヒョウモンの幼虫を取ってきて、飼っている。ツマグロヒョウモンは、タテハチョウ科のチョウである(でもそれがどうした、とついつい言いたくなる)。
 
男は女に対して、結婚生活の当初から、微かな緊張を感じていた。

「そう、多少は緊張した。何をするかわからない女だと思うと、入浴中や就寝中でも完全に安心することはできなかった。体のどこかにシコリのように緊張とか警戒みたいなものが残っていた気がする。
 でも、緊張は、結婚当初から薄氷のように張っていた。」
 
それがつまり、女の孤独であり、心底の疲れであり、想像をたくましくして言うならば、女の哀しみである。
 
男は、そういう女の内面に、踏み込むことができない。

「彼女はきれい好きで家事全般を完璧にこなした。
 朝晩の飯は文句なくうまかった。
 うまいけれど、気楽に食べることはできなかった。」
 
男は、細部はぎくしゃくしているが、それも含めて、女との生活を受け入れている。

「二人の失望が、二人の間に流れ込んで、その空間をコンクリートのように固めていった。
 でも、おれは、日々の生活を、感情が抜け落ちた拘束感と共に受け容れてはいた。」
 
相変わらず文章はうまい。しかし「感情が抜け落ちた拘束感」を、そのままに受け容れるというのは、書くに値しないことだ。
 
第一作目で、現代の女の孤独と疲労を、鮮やかに、本当に鮮やかに切り取った柳美里は、しかしどこへも進まず、そこで立ち止まってしまう。

今の文学が、総じてつまらないのは、結局この地点から、どこへも行かないからだ。仮にその孤独と疲れを、どこまでも突き詰めてみせるにせよ、あるいは女の、社会との関わりを作るにせよ、このところから一歩でも二歩でも、先へ動かさなければ、どうしようもないではないか。そういうふうには思わないだろうか。

オビの文句にいわく、「いまの現実を本気で描いた純文学作品」。たしかに「いまの現実」はよく書けているが、ただそれだけのこと。オビの文句を書いた編集者も、そうとしか書きようがなかったはずだ。

(『飼う人』柳美里、文藝春秋、2017年12月10日初刷)

書かれてあることの、その先を――『飼う人』(4)

一作目、二作目の終わりがこれだと、いやが上にも期待は高まる。離婚した上に、仕事もない女は、どうなるのか。大学を出て就職した会社が潰れ、今はコンビニで働く男は、住むところを追われて、明日からどうするのか。

それ以前に、この二作品の主人公たちは、心の底に、どうしようもない疲れと孤独を抱えている。これが、二作目まで読んだところで浮上してくる、根幹のテーマだ。

ところが、三作目、四作目になると、それは雲散霧消してしまう。

三作目の主人公は、高校浪人の「ぼく」、家族はママがひとり。ママは愛人をしていたが、だんなと別れて、親子で福島に来る。津波に遭って荒廃し、事故後の原発が、まったく収束しない、あの福島である。

今度は、飼っているのはイエアメガエル(家雨蛙)。

「ぼくは、タッパーをテーブルの上に置いて、そうっと蓋を開けた。
 カエルの体は蝋細工みたいなつるっとした光沢があり、左右に大きく飛び出た目玉は、全く動いていなかった。
『生きてる?』もう一度ママが訊ねた。
 タッパーを目の高さまで持ち上げてみると、喉の辺りが顔を扇ぐ下敷きみたいに動いているのが見えた。パタパタと派手に扇ぐのではなく、誰にも気付かれないようにそっと扇いでいる感じ。」
 
相変わらずの描写、うまいものだ。愛人関係のもつれも、「ぼく」を交えて、ママが別れるところまで、じっくり読ませる。
 
福島に移ってからも、家屋のことなど細々したことで、読者を引っぱっていく。

「除染というのは、線量の問題だけではなく、日常生活が宙吊りにされるのだな、とぼくは思った。いつ除染が入るかはわからないけれど、いつかは入る、という宙ぶらりんの状態が、庭とママの精神を日毎に荒廃させていった。」
 
そういう、どこもどんづまりの状態が、なんと、最後に明るく弾ける。「ぼく」の受験が、成功したのだ。最後はこうだ。

「輪になって跳ねながらぐるぐる回るうちに、閉ざされた日々の底がすぽんと抜けて、何もかもが遠ざかっていった。
 もうここで終わってもいい、とぼくは思った。」
 
冗談ではない、高校受験の成功など、一瞬のまやかしではないか。本当に心底がっかりした。

書かれてあることの、その先を――『飼う人』(3)

しかしその前に、二作目の、ウーパールーパーを飼う男の話だ。

ところでウーパールーパーは、ひところテレビでも流行ったことがあったが、憶えているだろうか。

「顔を近づけて見ると、カエルに成りかけのおたまじゃくしのような手と足が生えている。目は赤っぽく、ヘリコプターから飛び降りてスカイダイビングをする人のように手足を伸ばし、水中で静止していた。」
 
感じは出てるけど、これだけでは形態のスケッチで、もの足りない。

「頭部の周りに、幼稚園児が描く太陽やライオンの絵のような縁取りがある。さらによく見ると、それはススキの穂のような形状で、左右に三本ずつ突き出していた。
 それを時折フサーッフサーッと扇ぐように動かして――。」
 
これなら、生きているウーパールーパーは、手に取るように鮮やかだ。とはいえ生物図鑑ではないから、本題に入ろう。
 
主人公は大学の英文科を出て、採用試験を受け、JN裁断機というところに入る。

「JN裁断機は、薄手の絹地から厚手のジーンズ地やレザー地まで、あらゆる生地のサンプル裁ちや重ね裁ちができる裁断機を販売している会社だった。」
 
最初は仕事も福利厚生も、ちゃんとした会社だったのが、徐々に左前になり、ついには自殺者が出る。主人公は七年目にして、希望退職という名で放り出される。
 
それで男は、二十九歳でふたたび家族と同居することになる。家族は父と母と兄だが、この関係がうまくいってない。

「家庭は本来、家族一人一人の感情が複雑に絡み合って根を張っているものなのに、この家では切れて垂れ下がった電線に近づかないように互いの感情に接触することを避けている。」
 
仕事が徐々にうまくいかなくなるところもうまいが、主人公の家庭の描写も、なかなか見事だ。互いの関係が、「切れて垂れ下がった電線に近づかないよう」、触れないようにしている、というところなどは、思わずあれこれの知っている人を思い浮かべてしまう。
 
主人公は、今ではコンビニで働いている。その描写も秀逸だ。

「店長の奥さんは、たまに店に来ても、店長とは口をきかない。店長は以前『コンビニで失ったものは、のんびりできる休日、仕事に対するやりがい、将来の夢、生き甲斐、夫婦の会話、だね』と冗談っぽく本音を漏らしていた。」
 
なんだか、ずっと前に読んだ『コンビニ人間』を思い出す。コンビニは、都市生活においては、すでに欠くべからざるものでありながら、その底に、何か非情なものを秘めた空間なのだと思う。そこがストレートに出ている。
 
終わりにきて、主人公は、行き場がなくなってしまう。兄が結婚し、相手のお腹の中に子どもが出来ているので、家を出ていかざるを得なくなる。その直前の、進退窮まったところで、一篇は閉じられる。

書かれてあることの、その先を――『飼う人』(2)

感情が失せた風景の中で、「わたしは、その蛾の翅色の美しさと模様の複雑さに目を奪われた。ひと言でいうと、毛足の長い茶色い絨毯のような翅なのだが、クリーム色から焦げ茶までの濃淡があり、後ろ翅の縁は木目調なのに、前翅の中心には豹柄のような黒紋があるのだ。」
 
これがイボタガの幼虫。単色の、感情が無くなった風景の中で、この幼虫は、原色の強烈な存在感を放っている。
 
主人公は、このイボタガの幼虫を、枝ごと切って、トイレで飼うことにする。トーマス、機関車トーマスという名前をつけて。夫は不機嫌な顔をするが、でも表立って反対はしない。
 
しかし、そもそもなぜ「わたし」は、この人と結婚したのだろうか。

短大を出て、小さな出版社に勤めたが、仕事が忙しすぎて五年目に吐血。会社を辞め、市役所に委嘱で採用された。

それが六年目にはいり、市役所の秘書広報課でも、一番の古株になっていた。

クレイマーへの対応も、だから「わたし」が一手に引き受けている。このクレイマーを相手にするところが、秀逸である。

「彼らには、背が低い、痩せているのに骨太、身なりがきちんとしている、という共通点があった。
 ・・・・・・
 気が済むまで話してもらい、こちらは黙って聞くしかないのだと頭では解っていても、何時間も聞かされていると、声が皮膚から浸透し、身体中にじわじわと拡がっていき、自分の内側にうっすらと霜が降りるような気がして寒気が止まらなくなった。」

いや、本当にうまいものだ。僕は、読者からのクレームを直接聞くことは、なかったのだが、それでも一、二年に一回は、そういう電話をとってしまったことがある。そういう時の感覚が、急に蘇って来る。

しかし翻って、問題は、なぜ「わたし」が結婚したかだ。
「わたし」はもう、これ以上ないほど消耗し、疲れ果てていたのだ。

「自分に穴が開き、時間が漏れ出しているようで、わたしは焦っていた。とにかく、穴を塞げるものを求めていた。穴を塞ぐことができれば、何でもよかった。その焦りがなければ、夫とは結婚していなかったと思う。わたしが求めていたのは、結婚生活ではなく、子どもがいる家庭だった。それは、たぶん、夫も同じだ。」
 
でも、子どもはできなかった。
 
トイレで飼い始めたイボタガは、あるとき突然、いなくなる。「わたし」は、夫が踏み潰したものと推測するが、夫は何のことだかわからない。

「わたし」は、どうしたらいいかわからなくて、イボタガが羽化する、春まで我慢しようと思う。

「夫が嘘を吐いたかどうかはっきりするのは、来年の春だ。
 イボタガが羽化しなかったら、別れる。
 イボタガか羽化したら――。」

これが短篇の最後の場面である。

そうして四作目は、今度は男の立場から、去っていった女の不可解さと、男の戸惑いを描く。

書かれてあることの、その先を――『飼う人』(1)

柳美里は、『命』『生』『魂』『声』の四部作を読んで、それでもう十分だという気がしていた。生まれてくる自分の子と、癌で死んでいく自分の男、その中で身悶えする我が身の、圧倒的なドラマ。私小説は、それでもう十分、という気がしていた。

『飼う人』は、「大波小波」に紹介が出ていたのと、田中晶子が『文學界』でちらりと見て、面白かったと言っていたので、買う気になった。
 
四つの作品からなり、いずれも主人公が何かを飼っている。それはイボタガやウーパールーパー、イエアメガエルやツマグロヒョウモンである。
 
最初は、子どものいない夫婦の話。夫は市役所に勤め、妻は一人称で出来事を記していく専業主婦だ。
 
この女性は、市役所でアルバイトをしていたが、結婚し、「すぐに子どもができると思い込んでいたから、仕事を辞めた。子どもが居ない人生なんて想像したこともなかった。」
 
でも、子どもはできない。そういう夫婦の倦怠感が描かれるが、これが仕事の描写と相まって、気だるい情緒を出色の筆でよく表している。表面はなんということのない、しかし心底疲れた倦怠感を描いて、どきどきするほど文体に張りがある。こういうのは珍しい。
 
いまそういう例を、二、三、挙げてみる。

「・・・・・・『今夜、何がいい?』とわたしは訊ねた。
『え?』夫は訊き返した。
 夫に言葉を訊き返されると、最初のうちは大きな声でゆっくり言い直していたのだが、そうすると、会話をしようという自分の気持ちが急速に萎えるので、何年か前から訊き返されたら黙ることにしている。」
 
これはまあ、巧みだけれど、どうってことはない、とも言える。
つぎは、駅前のスーパーに自転車で買い物に行くとき。

「背後のどこかから舞い降りてきたアオスジアゲハが右腕に止まって、くすぐるように羽ばたいて二の腕まで上がり、視界の後ろへ吹き飛んでいった。
 また夏か・・・・・・
 そう、わたしは、また夏か・・・・・・としか思えない。夏だ、とか、夏が来た、とか新鮮な気持ちは微塵もない。風景から感情が失せてしまったのは、いつからなんだろう。」
 
もちろん子どもを諦めたときから、「わたし」の風景は、感情が失せてしまったのだ。

だから夫との性行為を、具体的に思い描いただけで、とたんに嫌悪感をもよおす。
「何かあったわけではない。何もない日々を重ねたことで全く別のものに変質してしまったのだ。」
 
そんな日々を送る「わたし」が、ある日、オリーブの枝に付いている、派手な毛虫を発見する。

「うちのめされてあなたをおもう」――『歌集 褐色のライチ』(5)

挽歌の中でも、次に挙げるのは、絶唱である。

  とおくちかく君の死なげく声とどくうちのめされてあなたをおもう

本当に、鷲尾賢也さんのことを思うと、ただ打ちのめされるよりほかに、しょうがなくなる。けれども他人は、泣けばひとまず、その時を、何とか過ごすことができる。

しかし著者にとっては、この世の中で著者ひとりにとっては、やり過ごすことはできないのだ。そういう中で、歌は最後の命綱である。

  耳朶ふかくあなたの声をしまいたい青葉の中にとけないように

  「ただいま」というあなたの声を忘れない手を止めるなり日にいくたびも

鷲尾賢也さんは、とにかく声に特徴があった。独特の張りのある声だった。

また、こういう歌もある。

  柱に背をあずけて遺影みつめおりこの世の時間とまる日暮は

いろんなことを考える中で、つい精神の斜面を深く掘り下げ、滑り落ちてしまう日もある。

  いかなる科のわたしにありて 手もとらずひとりで夫を逝かしめたりき

「いかなる科のわたしにありて」、そんなことは、もちろんない。けれどもそういうふうに、ついつい思ってしまう。

しかし著者は、それでもなんとか立ち上がるのだ、鷲尾賢也さんの助けを借りて。歌集のいちばん最後の歌は、こうである。

  かたわらにありし体温おもいつつ金曜のデモに行かんとおもう

反原発のデモには、夫婦で行ったが、今度は強い意思をもって、一人で行かんとしている。

以上、僕には短歌は批評できないので、ただより添って心に浮かぶことを、あれこれそのまま書いた。短歌をよく知る人があれば、もっと痛切な、そしてこういう言い方をするのは迷うけれど、もっと豊饒な世界が、見えてくるに違いない。

(『歌集 褐色のライチ』鷲尾三枝子、短歌研究社、2018年1月18日初刷)