「うちのめされてあなたをおもう」――『歌集 褐色のライチ』(2)

次は、外国旅行中のもの。「ネパール・ムスタン」の小見出しがある。

  三千の標高に咲く駱駝草よりそうようにコスモス揺れる

  岨谷(そばだに)に荷を負うラバとすれちがうただ静かなりラバ(カッチャル)の群れ

こういう、内に抒情を秘めた叙景の歌がいい。しかしそれでも、著者は鋭敏に、世界を見ることを止めない。

  突き出すように鉄砲百合が咲きましたもう引き返せないイラク派遣は

そうかと思えば、やっぱり夫婦。次のような歌は、鷲尾賢也さんのものだといっても、そのまま通るんじゃないか。なんだか鷲尾賢也さんの声で、詠みたくなる。

  わが贔屓長谷川、魁傑、栃東ねばりが足りぬ そうかもしれぬ

「ねばりが足りぬ そうかもしれぬ」の辺りの呼吸が、なんとも言えません。

けれども、次のような歌は、この人独特の空間把握力を示している。

  百円ショップビルごと消えると聞いた夜の夢にあふれて咲くゼラニウム

  みどりごのあくびにゆるぶ秋の日の電車が高架の橋にかかれり

自分は一見したところ、何も変わらない。けれども胸の奥底で、はっきりある景色が見えている。それをとらえて短歌に詠む。この奥底に秘めた、微細だが豊かな景色は、この人に独特なものだ。

それをちょっと変形させると、同じ微細な空間でも、圧倒的な情感が生まれる。

  樋のなかにも咲きこぼれたる百日紅ははと見上げし家ももうなし

  母の家もうない、ないよ 通いたる小路のあかい椿おちたり
posted by 中嶋 廣 at 18:48Comment(0)日記