内側から見れば――『庭のソクラテス―記憶の中の父 加藤克巳―』(2)

鋭角的で、モダニスト歌人といわれた、加藤克巳を予測していると、この本は最初から、背負い投げを喰わせる。

「これは、昭和のある時期に、家で子どもたちをよく笑わせてくれた面白い父親のものがたりである。」
 
戦前の「威厳ある昭和の父」とは、まったく関係のない、快活な物語が始まる。
 
長澤さんは幼い頃から、父に、「面白い」とか「ステキだ」という言葉を、聞かされて育った。ひょっとすると父は、自分に向かって、そう言っていたのかとも思う。

「世界がそんなに『ステキ』で『面白い』ことに満ちていないのは、大人になるにつれ私もだんだんと知るようになる。しかし身体に刻みこまれたこの長調のトーンは今手でもふと蘇ることがあり、心がやわらぐ。」

「昭和の父」でも、こんな人もいるんだ。いや、昭和ではなくて、大正一桁の生まれだった。戦前に青春時代を送り、しかもモダニズムに触れたことは、それほど大きなことだった。
 
長澤さんのお母さんの方も、田舎の出とはいいながら、ロマン・ロランやジッド、リルケなどを、口にすることがあった。これはほとんど、夫婦の一つの理想ではないか。
 
加藤克巳は、親の代で起こしたミシン会社を継いで、経営したから、歌人の顔と、二つ使い分けるのは大変だったろう。
 
しかし長澤さんは、父親が焦った顔をしたのは、見たことがない。

「父は毎日判で押したように同じ順番、同じ姿勢、同じ顔で仕事をこなし、原稿を書いた。・・・・・・
 父は毎日の『ルーティン』を決して崩さず、『表(ひょう)』にチェックを入れることでふたつの異なる生活を自分の中で仕分けし、冗談や笑いでバランスをとっていたのではないか。」
 
このあたりは、家族でなければ、しかも娘でなければ、書けないところだ。
 
また父のこんなところも、やはり肉親でなければ書けない、重要な点だろう。

「人についても分けへだてがない。網走の小料理屋で見かけた包丁研ぎ師も、ケネディ大統領も、工場のパートさんも、通産省のお役人も、新聞の歌壇に投稿する在野の歌詠みも、斎藤茂吉も、父の中では同じ地平に存在するのであり、ヒエラルキーというものがない。なにしろ、父の感性にとって『面白い』ことが最も重要な基準なのだから。」
 
ここが要なのだ。
posted by 中嶋 廣 at 15:22Comment(0)日記