どういうふうに考えたらよいのか――『黙殺―報じられない〝無頼系独立候補〟たちの戦い―』(2)

では「泡沫候補」、ではなくて「無頼系独立候補」なんて、どうでもよい、歯牙にもかけないものとして、無視していいんだろうか。
 
問題は世襲議員の存在だ。このままずっと、「無頼系独立候補」が無視されたままだと、既存の政治家や、その後継者しか、選挙に出て、勝つことができなくなる。
 
じっさい衆議院議員の選挙など、これが平成の選挙かと疑うばかり、各地方の「大名」の跡取りと見まごうばかりの面々が、ずらっと並んでいる。これは別に、都会であっても、田舎であっても変わらない。
 
そしてたとえば、第二次安倍晋三内閣の、最初の閣僚19人のうち、11人は世襲議員だった。これは形を変えた、薩長による「幕藩政治」と言えないだろうか。
 
著者の言う通り、「『新規参入』や『成り上がり』の可能性がない業界は、必ずと言っていいほど衰退する。」
 
問題は、その衰退を加速させるのが、「無頼系独立候補」なんかどうでもよいとする、マスコミだという点だ。
 
また日本の選挙には、もう一つ、特殊な面がある。それは「供託金」という、前払金の問題である。

「たとえば衆議院の選挙区、都道府県知事選は300万円。政令指定都市の首長選の場合は240万円。国政の比例で選挙に出ると600万円もかかる。」
 
供託金は、アメリカやフランス、ドイツでは存在しない。イギリスでも7万5000円程度だという。
 
欧米に倣うのが、この国の常なのに、供託金の多寡だけは、日本が群を抜いている。「売名行為での立候補を抑制するため」と言うのが表向きの理由だが、本当のところはわからない。

当初は「社会主義的な思想を持つ立候補者が国政に進出することを阻むことにあった」という説があり、どうやらこれが当たっているみたいだが、本当のところはよくわからない。
 
だいたい、いくら供託金を上げてみても、売名行為はなくなりはしない。当面、供託金をかぎりなく0に近づけることが、政治の世界を活性化するための、数少ない切り札となろう。

この本の大半は、こんな変わった候補がいます、という話である。あげくの果てには、「公約は当選してから発表する!」と、声を高ぶらせた候補もいるという。その候補によれば、どうせ通らないから、という。

著者は終わりのところで、こういうふうに総括する。

「投票理由は『政策』と言っているのに、実は誰も政策をしっかり見ていない。そんな現状に危機感と苛立ちを覚えたからこそ、無頼系独立候補たちは思い切った行動に出ているのだ。」
 
確かに、思い切った行動に出ているかもしれない。しかしそれは、現状を鑑みて、それに対抗して知恵を絞りだしている、というのとは違うと思う。

(『黙殺―報じられない〝無頼系独立候補〟たちの戦い―』
 畠山理仁、集英社、2017年11月29日初刷、12月19日第2刷)
posted by 中嶋 廣 at 15:24Comment(0)日記