一装丁家の意見――『装丁、あれこれ』(3)

「昨今のラフ、カンプ事情」と題する章もある。ラフは下絵とか素描のこと、カンプはコンプリヘンシブ・レイアウト(comprehensive layout)を略した言い方。
 
どちらも装丁家が、仕上がり状態を示すための、ラフスケッチである。昨今は、このラフ、カンプを、複数出すことが流行りらしい。若い装丁家は、どれでもより取り見取りで、レストランのメニューよろしく、これでもかと出してくるらしい。

僕はそういう装丁家とは、一度も仕事をしなかった。僕が装丁を頼むときは、装丁家が僕を驚かすことを期待している。だから装丁は一点、もうこれ以上はない、というものを期待していた。

カンプをいくつも出して、みんなで合議をして決めるのは、広告ならそれでいいかもしれないけれど、本の場合は、そういうものではない。

桂川さんはそこで、カンプ一点主義の和田誠を引く。

「だってレストランに入って『カレーライスとハヤシライスと両方作ってくれ、うまそうな方を食うから』なんてだれも言わないでしょ」。
 
ごもっとも、いかにも和田誠らしい、からかいを含んだ軽妙な言い方だ。

でも僕は、もう少し、なんというかこう、気構えが違ったような気がする。

「僕は著者から、これだけの原稿を取った。その原稿に対して、装丁家も、これ以上はないという装丁で、真剣勝負をしろ」。
だから装丁は、一点勝負なのだ。

「鳥海修の書体」と題する章もある。鳥海修は、書体メーカーの写研を経て、字游工房を作り、日本語フォントのヒラギノや游書体など、優れた明朝体を作った人だ。
 
じっさい原稿を、いくつかの書体で見本を取ると、三種類くらいあるうちの、必ず一種類に決まる。それは本当に不思議だ。原稿が文芸書か学術書か、著者の文体が柔らかいか、そうでないか、いろいろな要素で微妙に決まる。
 
桂川さんは、ヒラギノや游明朝を、こんなふうに評している。

「ヒラギノ明朝がニュースキャスターの張りのある声を思わせるなら、游明朝は翳りのある名優のナレーションと言えようか」。
 
実にうまい譬えだ。でもフォントを知らない人には、猫に小判だから、どうしようもないか。いやそれでも、伝わるものはあるはずだと思いたい。

一装丁家の意見――『装丁、あれこれ』(2)

この本には、同業の装丁家の話がたくさん出てくる。これはちょっと珍しい。

第一人者である杉浦康平や、大御所の菊地信義に始まって、高麗隆彦、鈴木成一、坂川栄治、山田英春、祖父江慎、クラフト・エヴィング商會などなど。

ふつう編集者は、装丁に好みがあって、そんなに大勢の装丁家とは、仕事をしないものだ(と思うけど、どうだろう)。僕なども、このなかで実際に仕事をしたのは、五人の方だけだ。

編集者は、中身も吟味してうるさいけど、外身つまり装丁についても、なかなか強固で自説を曲げない。だから装丁家を選ぶときも、誰にお願いするか、かなり慎重である。

話は飛ぶが、トランスビューを始めるときは、創業第一弾の、島田裕巳さんの『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか―』の装丁を、高麗隆彦さんにお願いした。また、出版社のロゴ・マークも作って頂いた。欧文でトランスビューと輪を書いたものだ。

ロゴ・マークについては、いくらお礼をすればよいのかが、分からなかったので、率直にお聞きした。すると高麗さんは、こういうものには、値段は付けられないんだ、と笑っておっしゃった。

創業の頃は、とても不安な時期だったから、このロゴ・マークにどれだけ励まされたことか。あのロゴ・マークを見た瞬間、これで必ずやっていけると確信したのだ。

桂川さんは、同業の装丁家に対しては、じつにバランスよく、目配りが行き届いている。ほかの装丁家に対して、いわばニュートラルで、妙な偏見がない。手仕事をしているのに、こういう偏見のなさは、本当に珍しい。

小さな版元に対しても、じつに目配りが効いている。『宮本常一離島論集』や『佐野繁治郎装幀集成』で名高い「みずのわ出版」。山口県周防大島で、ミカン農家と写真館をやりながら、一人で出版社を営む柳原一德さんのことが出てくるけども、この人は本当に懐かしい。

桂川さんが「みずのわ出版」を訪れたときは、ちょうど柳原さんはミカンの苗を植える最中で、その手伝いをしたという。最初に六本の苗と聞いていたので、高をくくっていたら、午後いっぱいかかる重労働だったという。

それにしても、東京からやってきた装丁家と、出版社主兼編集者が、揃ってミカンの苗を植えるところはおかしい。

桂川さんはけれども、本当は次のようなことを伝えたいのだ。

「懸命の努力にもかかわらず、柳原さんは昨年、『もう無理とみました。本を出せば出すほど印刷所に迷惑をかける。そうしてまで続けるわけにはいきません』という一文とともに『新刊版元としての事実上の閉店』を告知している。」
 
でも大丈夫。大丈夫と信じている。編集者学会が出している『エディターシップ』の第3号に、柳原一德さんの講演録「世代を繫ぐ仕事」が載っている。「みずのわ出版」の、これまでを述べたものだが、そこにこんな言葉が出てくる。

「アベノミクスで株価が上がるといって脳天気に喜んでる馬鹿・・・・・・東京五輪招致が成功してよかったとか何とか言って騒いどる大馬鹿者、そういう人種は、初めからこの業界に入ってはいけない。出版とは基本的に、社会の主流から外れた商売です。『思想信条の自由』の問題ではありません。こんな極端なこと言うのは如何なものかという人もいますが、ここまで言わなければ通じないからこそ、あえて言わせて下さい。」
 
ここまではっきり言葉にできる人が、出版を諦めるはずがない。というよりも、「出版」とは、この人が生きている、ということなのである。

一装丁家の意見――『装丁、あれこれ』(1)

おもに『出版ニュース』に連載された、装丁家・桂川潤さんのコラムを集める。

時期は2012年から17年まで。会社にいるときは大体読んでいたが、私は2014年の秋に倒れたので、会社を辞め、そこから先は読んでなかった。
 
肩の凝らないコラムだから、すいすい読めると思いきや、2016年、17年あたりは、思わず身を乗り出して読みふけった。
 
2012年、13年あたりは、電子書籍が話題の中心である。とにかくまず装丁家が、いの一番に失職しそうなわけだから、これはどうなるか、固唾を呑んで見守っている。
 
こういう状況は、アメリカを先頭にして、日本でも関係者はみな緊張したんだけれど、そしてそれは仕方がないけれど、しかし考えてみれば、新しい価値の創造という面では、ほとんど何も生み出してはいないわけだから、過ぎてみれば、馬鹿々々しいということになりがちだ(しかしまだ著作権の絡みなどがあるので、油断はできない)。
 
電子書籍とはなんだったか、という点について、桂川さんは、秀逸な意見をしたためている。

「電子書籍時代、わたしたちは『本』を所有できない。わたしたちが購入するのは、電子書籍への『アクセス権』にすぎない。読み手が電子書籍に付した下線や付箋、メモすら、いつ消去されるかは分からない。」
 
そういうわけで、装幀家の仕事はなくならない。僕はもう離れてしまったので、いろんなことはおぼろげだが、それでも、次のようなところは、ありありと浮かんでくる。

「ここぞという仕事では印刷所に出向いて刷り出しをチェックする。刷り出し立ち会いをするかしないかで印刷物の出来はガラッと変わるのだ。先日も装丁デザインした一色刷りの写真集の刷り出しに、写真家と版元の社長ともども立ち会った。『墨一色の印刷に立ち会いがいるの?』と思う方もいるだろうが、現物を前にわずかな指示と調整をするだけで、結果はまるで異なる。」
 
本当にそうなんだなあ。こればっかりは、実際に経験してみないと分からないのである。

これはちょっと退屈――『労働者階級の反乱―地べたから見た英国EU離脱―』

こんどは、ブレイディみかこが、イギリスのEU離脱を考察する。

英国は国民投票をして、あろうことか、EUから脱退することになってしまった。2016年6月24日のことである。

この、EUからのイギリス脱退を、ブレグジット(Brexit)と言う。投票結果の分析によると、労働者階級の大半が離脱に入れ、彼らこそが「ブレグジット」の牽引力になっていた。

その結果、労働者階級の人々は、「排外に走った愚かな人々」であり、「不寛容な排外主義者」であると見なされた。

外国人がイギリス人を見て、どう思われようとも構わない。しかしブレイディみかこは、配偶者自身が、離脱に入れた労働者の一人だった。そしてその周囲では、ほとんど全員が離脱票を投じていた。

もちろんブレイディみかこは、日本からの移民なので、EU加盟賛成派である。

こうして相手のことを理解するために、「英国の労働者階級はなぜEU離脱票を投じたのか、そもそも彼らはどういう人々なのか」ということを学習した記録が、この本なのである。

労働者階級の内部に分け入り(配偶者がそうなんだから当りまえだけど)、何人かにインタビューし(これは配偶者のお友だち)、またこの百年、労働者階級はどんなふうに成立し、どのように変遷してきたのか、といったところが、その内容だが、あまり面白くはない。

ブレイディみかこの筆で、何とか持ちこたえているけど、それでもときどき退屈する。日本に置き換えてみれば、労働者階級の百年を、今さら読み返したくはないだろう。まして海の向こうのことだもの。

(『労働者階級の反乱―地べたから見た英国EU離脱―』
 ブレイディみかこ、光文社新書、2017年10月20日初刷)

これは興味津々――『重力波 発見!―新しい天文学の扉を開く黄金のカギ―』(2)

でも、そんなことはどうでもいい。肝心の重力波の話だ。ニュートンは、3本の空間軸と1本の時間軸は、それぞれ個別に存在し、それはどこでも不変と考えた。
 
しかしアインシュタインは、宇宙は空間軸と時間軸の4本軸で構成される、4次元時空であると考えた。
 
うーむ、4次元時空がすんなり理解できるほど、僕の頭は柔らかくない。座標軸はどんなに変わっても、まあよいとしょう。時間軸が問題である。時間が伸び縮みするというのは、どういうことか、さっぱりわからん。
 
いずれにしても、4次元時空は「重力の場」なので、そこでは「重力の波」が発生するということらしい。このへんは、僕が分かって書いているわけではございません。
 
ところがアインシュタインは、1936年に、「重力波は存在しない」という論文を発表してしまう。どうやらアインシュタインは、方程式をまちがえて解いたらしい。
 
この論文は、アインシュタインの計算違いで、ひどい混乱を起こすが、最終的には、やはり重力波は、理論上は存在する、ということになったらしい。
 
それでも、1955年の特殊相対論50周年会議を経ても、重力波が実際にエネルギーを運ぶかどうかは、難問として残っていた。

「一般相対性理論は時間も座標の一つとして扱うため、空間自体もエネルギーをもちうることになり、その場合に従来と同じエネルギー保存則が成り立つのかといったことさえ、考え出すとよくわからなくなってしまった。」
 
エネルギー保存の法則すら、あてにならなくなったというのは、大地がぐらつくくらい、混乱を極めていたということだ。
 
第1章から第3章までは、科学史の時間で、前座みたいなものだ。しかし、これでおおかた半分を占める。ちょっと、金返せだよなあ。
 
第4章は「時空とは何か」と題して、いよいよ佳境に入るように見えるが、じつは全然大したことはない。

「ニュートン方程式から導かれる重力と、アインシュタイン方程式から導かれる重力は、実体として同じものである。ただ、ニュートンは重力を遠くの物体から遠隔作用したととらえるのに対し、アインシュタインは周囲(局所)の時空のゆがみが作用する、ととらえる点が違うだけだ。」
これだけが、本質的なことがらだ。
 
ただ、時空とは何か、という問題については、実はまだよく分かっていないらしい。アインシュタインの一般相対論が、常に正しいのかと言えば、それはまだよく分かっていないと言う。

「そもそも、宇宙は小体のわからないダークマター、それに輪をかけて何だかさっぱりわからないダークエネルギーが大半を占めていて、宇宙というもの自体がほとんど分からないと言っていい。」
 
ここまで来れば、一般相対性理論とは別の新しい理論、たとえば「磁場重力大統一ろりりべ理論」(まるで笙野頼子だね、こんなのないですよ、だからたとえば、ですよ)を紹介すればいいのに、それができないのは、研究者ではなく、新聞記者であることの悲しさか。
 
第5章は「見つからなかった重力波」、第6章は「追いかける日本」で、これも重力波を遠巻きに見ているだけだ。
 
結局、第4章がかろうじて、重力波の話になっているだけで、これはもう真っ赤になって、金返せというところなんだけど、でも僕は、こういう科学史の話は嫌いではない。というか、一度死にかけて、二度目に復活した生では、かなり好きであることを、発見してしまった。

(『重力波 発見!―新しい天文学の扉を開く黄金のカギ―』
  高橋真理子、新潮選書、2017年9月20日初刷)

これは興味津々――『重力波 発見!―新しい天文学の扉を開く黄金のカギ―』(1)

これは、読む前の期待と、中身を読んだ後では、メチャクチャ落差のある本だ。著者は「まえがき」に言う。

「新聞では数式は使えません。そこに記事を長年書いてきた身として、数式抜きに重力波の姿を浮かび上がらせ、観測成功までの苦闘を明らかにしてみたい。」

その言や良し、これは期待が膨らむぜ!
 
もちろんこの手の本は、じつは何が何だか、わけが分からないものだ。数年前ベストセラーになった、村山斉の『宇宙は何でできているのか』が典型的で、あの本では著者が、素粒子を論じて、よくわからなくて、くらくらして気持ちが悪い、と述べている箇所があった(素粒子が分裂して、一方は「過去」へ遡るという話だったと思う)。

著者がくらくらして気持ちが悪いなんて、そりゃおかしいや、と読者は逆にいい気分にさせられて、それでベストセラーを記録した。
 
そもそも、著者がよくわからないことを、読者が分かるわけがない。将棋の本と同じことだ。きもちよく、何が何だかわからなくしてほしいのだ。
 
だから、プロローグのこういうところは、むしろ期待を大きくするものだ。

「今回の重力波は、地球から約13億光年離れた宇宙のかなたで太陽の36倍と29倍の質量を持つ二つのブラックホールがお互いの周りを回りながら距離を縮めていき、ついに合体したときに発生したものだという。」
 
うーん、そう来るか。ブラックホールが二つ、しかも太陽の36倍と29倍の質量を持つ。ウーン、ぜんぜん分かんないぞ。こりゃあ、楽しみだ。
 
しかし全6章のうち3章までは、どこかで聞いたような話が続く。ギリシャから始まり、ニュートンを経て、アインシュタインの手前に至る、西欧科学史の話が、全体の半分近くを占めている。

その間、「数式は使えません」という舌の根も乾かぬうちに、万有引力の公式や、ニュートンの運動方程式が、表として出てくる。

その中で、ニュートンに関する、次のような箇所はちょっとハッとする。

「いずれにせよ、『絶対時間』『絶対空間』は、ニュートンが言い出さなければ生まれなかった発想である。それを、現代に生きる私たちは何の抵抗もなく受け入れている。『何もない不動の空間がある』と思っているし、時間は実在するもので何が起ころうと一定のスピードで流れていると考えている。どうしてそう思えるのか、不思議といえば不思議なことだ。それは、ニュートンによる新しい考え方がその後に生きる人々の直観を変えてしまうほどの影響力があったからだとしか考えられない。」
 
ここはそう言えるだろうか。「直観を変えてしまうほどの影響力」というけれど、ではその前は、どんな「直観」を持っていたというのか。
 
むしろニュートンは、「時間」や「空間」というものを、そのまま独立して切り出してきたところが、凄いのではないだろうか。

「2017年 わがベスト3」

WEBRONZAの「神保町の匠」で、2017年の回顧をやったので、僕の分を再掲しておく。ここにはいろんな本が上がっていて、たとえば僕が読み逃した、國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』なども、複数の方が挙げている。

●高橋順子『夫・車谷長吉』(文藝春秋)

3年前に脳出血を患って以来、リハビリを兼ねて気に入った本は朗読してきた。これは特に心を打ち、続けて4回、朗読した。こんなことは初めてである。そのたびに快感が深くなり、言葉が新たに脳に皺となってくっきり刻まれた。「夫婦は渡世の貫目がおなじでなくてはならない」という車谷長吉の言葉を、高橋順子のこの本に送りたい。

●佐藤正午『月の満ち欠け』(岩波書店)

事故死した人妻が3度、生まれ変わる。その面白さにページを繰る手ももどかしく、しかし何が何やらわからぬままに、呆然と1度目を読み終え、すぐに2度目に取りかかった。今度はあまりの緻密さゆえに、別のより深い面白さに圧倒された。

●若松英輔『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)

おおかた50年、小林秀雄の全集と、その周辺を読んできたつもりだった。でも私の読みは、小林秀雄の決定的な一面に届いていなかった。たとえば小林が大事にした「思想」という言葉に、「宗教」を重ねてみれば、全く違う光景が見えてくる。そんなふうに全22章のすべてに新しい発見があるというのは、信じられないことだ。

ベスト3に並ぶ本として、

○大鹿靖明『東芝の悲劇』(幻冬舎)

これは現代日本人の必読書である。赤字国債を先送りして、どんづまりになればどうなるか。日銀が異次元の金融緩和をいつまでもやっていればどうなるか。あるいは性懲りもなく原発を再開させればどうなるか。すべては縮図としての東芝の悲劇に明らかである。

○福田逸『父・福田恆存』(文藝春秋)

福田恆存の書くことに賛成であれ反対であれ、これは名著。ここには日本人に珍しい、一対一の自立した親子がいる。わが子を一人前として扱う福田恆存の、人との付きあい方に何よりも感動した。

○久米宏『久米宏です。―ニュースステーションはザ・ベストテンだった―』(世界文化社)

久米宏はどうしたらデレビで自己表現できるかを考え、それを実行した稀有な人である。ニュースの最前線にいながら、戦後民主主義者としてブレないところも大したものだ。ニュースステーションに対する自己批評の成果は、その具体的な実行と相まって本当に素晴らしい。

この番組だけが違ってた――『久米宏です。―ニュースステーションはザ・ベストテンだった―』(7)

こうして久米宏の覚悟は、行くところまで行きつく。

「僕は『ニュースステーション』を始めるときに、殺される覚悟をした。言いたいこと、言うべきことは言おう。言いたいことを言えば僕を殺したいと思う人間が出てくるかもしれない。しかし、それで殺されても仕方がない。殺されるのが怖いからといって口をつぐむことはするまいと思った。」
 
じっさい久米は、「殺してやる」「一家皆殺しだ」という脅迫状が、テレビ局や所属事務所宛に送られて来たり、鳥や猫の死骸が、自宅の玄関前に置かれたりしている。
 
細心の注意をして、番組を作るだけではだめなのだ。ここまで覚悟を決めなければ、『ニュースステーション』はできなかったのだ。

『ニュースステーション』をいつやめるかについても、久米は早くから考えている。次のような告白は、驚くべきものだ。

「番組開始から2年目にはすでに相当疲れていた。月曜から金曜までの生の帯番組が、こんなに疲れるとは思ってもいなかった。
 ・・・・・・
 月の半分は『むなしいなぁ』と思い、月に一度は登校拒否のようになる。年に何回かは『こんなことをしていて何の意味があるんだろう』という思いにとらわれた。」
 
それでも久米は、『ニュースステーション』を、1985年10月から2004年3月まで、18年と半年にわたって続けた。
 
最終回の終わりに、いつも言っていたコメントを繰り返した。

「発言の場がなくなってしまうので、もう一度申し上げておきますが、僕はイラクへ自衛隊を日本が派遣するのは反対です」。
 
本の作りについて一言、申し添えたい。久米宏が、ここまで真情を吐露しているのに、『久米宏です。』というタイトルはなかろう。

サブタイトルの「ニュースステーションはザ・ベストテンだった」というのも、中身を知らないうちは、何のことかわからず、どんな感興もわかない。

章見出しと、中の小見出しは、こんなものか。目次面を別にすれば、章見出しや小見出しは、本文を読み進めるうえで、邪魔にならなければいいのである。ただし小見出しの大きさと位置はよくない。これでは全体が、弛んでいるとみられてもしょうがない。

おそらく今ふうの、軽い、よく言えば軽快な本を、目指したのであろうが、意に反して、じつに立派な本ができあがったのである。
 
久米宏が、自分のこの本は立派な本だ、と言うわけにはいかないから、また著者は一般に、出来上がったものの価値はわからないから、中身と外形のずれは、編集者が判断しなければいけなかった。

考えてみれば、テレビは「今・ここで」を徹底的に極める。それは「流行」であって、それ以外にはない。それに対し、本はどこまで行っても、永遠の価値を問題にしようとする。その外身を含めて、「不易」だけが問題になる。これは「不易」と「流行」の、どちらが重要であるか、という問題ではない。

中身は「不易」だが、外身は「流行」というちぐはぐさは、なんとも惜しまれるけれど、それを踏まえて読めば、これは一年を代表する読書体験の一つになる。

(『久米宏です。―ニュースステーションはザ・ベストテンだった―』
 久米宏、発行・世界文化クリエイティブ、発売・世界文化社、2017年9月25日初刷、10月10日第2刷)

この番組だけが違ってた――『久米宏です。―ニュースステーションはザ・ベストテンだった―』(6)

そして、久米宏の生き様が見えるという点では、毎日一時間以上、ニュースを読み、解説する『ニュースステーション』は、最高の舞台だった。

「枠にとらわれないといっても、ニュース番組である限りキャスターのコメントには一つの方向性が必要だ。どこに軸を置くか。ひと言でいえば、それは『反権力』だ。」
 
ここが最も大事なところだ。「反権力」ということが、骨の髄まで、身に染みて、信念になっているのかどうか。
 
結局、久米の『ニュースステーション』を見続けたのは、その姿勢にブレがなく、ついに初めから終わりまで、その点においては首尾一貫していたからだ。

「メディア、特にテレビや新聞報道の使命とは、時の権力を批判すること以外にはないと僕は信じている。・・・・・・現政権がどんな政権であろうが、それにおもねるメデイアは消えていくべきだ。」
 
ニュースを選ぶ段階で、公正・中立なニュースは、そもそもありえないことになる。ここは、「公正・中立」のそぶりをするNHKとは、真っ向からぶつかるところだ。
 
そして、どうせ「中立・公正」が選べないのなら、『ニュースステーション』は反権力でいった方がいい、となる。

「極端にいえば『政府がすることは何でも批判しよう』というくらいの気持ちでいた。
 ・・・・・・
 ここは揺るがない立脚点だった。だから僕のコメントは自民党政権が続く限り、自民党にとって耳障りなものとならざるを得なかった。」
 
なぜ自民かといわれたら、それは時の権力者が自民党だから。それ以外に理由はない。ところがこれが、けっこうわかってないテレビ・キャスターが多い。あるいはポーズとして、反権力を気取っている者が多い。久米宏のあとでは、そういう連中がわんさかいた。
 
またこれは後に、朝日新聞が従軍慰安婦などの問題で、窮地に陥ったときに、吹き上げてきたことだが、「国益」をどう考えるか、というのもあった。
 
これも久米は、じつに明快に答えている。

「ジャーナリストは国益を考えてはいけないんです。それで第二次世界大戦の悲劇を生んだんですから。ジャーナリストは真実だけを考えればいいんです」。
 
これは朝日が矢面に立ったときに、たとえば元共同通信の青木理が、声を大にして言っていたことだ。
 
久米宏は、じつは『ニュースステーション』を始めるにあたって、ひそかに決意していたことが二つあると言う。

「一つは、僕たちは自由に発言し行動していいという生き方を伝えること。そしてもう一つは、自分が生きているうちに日本が再び戦争をしないようにすることだ。」
この二つの軸は、ぶれることがなかった。

この番組だけが違ってた――『久米宏です。―ニュースステーションはザ・ベストテンだった―』(5)

本当かなあ、という話もある。久米はニュース番組で、「生きた言葉」を話すことが切なる願いだった。だからニュースの下読みは、声を出さないようにした。つまり、声に出して読む速度で、黙読するということだ。

なぜ、そんなことをしたかというと、「一度でも声に出して読んでしまうと、次に読むときには新鮮味が失われ、生きた言葉にならない気がした」ということ。

「本番で初めて声を出して読むのは、なかなかスリリングで面白い。これで言葉が生きるという満足があり、より視聴者に伝わるはずだという確信もあった。」
 
うーん、これは本当だろうか。たしかに、久米宏はそう書いているから、そうなんだろう。でもふつうは、一度朗読した方が、トチリやすいところなどもよく納得されて、安心するものだろう。
 
でも、久米は違った。

「僕は生放送の中で、自然な時間の流れをつくりたかった。姿勢を正して、よどみなく話す姿は端正かもしれないが、いかにも不自然だ。時に言い間違えたり、言葉に詰まったりしたほうが、人間としては自然ではないか。その自然な時間の流れを視聴者と共有することを大事にしたかった。」
 
ふつうのアナウンサーとは、次元が違うのだ。久米宏の『ニュースステーション』が、なぜこの番組だけが違うのかが、ほんの少しだけ見えてきたような気がする。
 
先に挙げた、ニュースを読むときの声の高さと、顔の表情については、久米は独特の主張をもっていた。
 
民放の女性アナウンサーは、常に若々しさ、かわいらしさを求められている。だからニュースを読むときも、総じて音程を上げて声を発している。

「しかし、ニュースは高い声で読まれると聞きづらい。最初に小宮さんには『もっと声を低くして』とお願いした。彼女は声帯を痛めながら努力に努力を重ねて、『ニュースステーション』にいた13年間でずいぶん声を低くした。」
 
また「表情」については、出演者はカメラに対して反射的に、笑う、驚く、考え込むといった、「ニュアンスのある表情」をしてしまいがちだ。

「とくに女性アナウンサーは無意識に笑顔になることが多い。彼女たちには『ニュースを読むときに、意味なく笑わないように』と伝えた。もちろん怒ってはいけないし、悲しそうにしてもいけない。」
 
ではどんな表情がいいのか。

「テレビの場合、冷たい無表情ではいけない。人間らしい温かみと魅力、やや明るさがある無表情、ムスッとしておらず、すっと自然にそこにいるという無表情。生きている、ニュアンスのある無表情。」
 
これは難題である。だから「ニュアンスのある無表情」は、自分で意識して作り上げる必要がある、と久米は言う。

久米は、そこまでは言ってないが、これはその人の生き方が、もろに出るようなことではないか。