この番組だけが違ってた――『久米宏です。―ニュースステーションはザ・ベストテンだった―』(2)

その後、久米はテレビに進出し、『ぴったし カン・カン』で、コント55号と共演する。そしてコント55号を観て、ラジオとテレビの決定的な違いに気づく。
 
ラジオでは、すべてを言葉で説明しないと、何も伝わらない。ところがテレビでは、それだと言いすぎ、しゃべり過ぎになるのだ。久米はそれに気がついて以降、しゃべる量を極端に減らした。
 
しかもコント55号は、立ち居ふるまいが、本番の前も、最中も、後も、全く変わらない。これは、驚くべき発見だった。

「たとえば、ニュースを伝えているNHKのアナウンサーは、横から訂正原稿を差し入れたディレクターと言葉を交わすときに表情が少し変わる。そこで素の表情がのぞく。
 つまり、アナウンサーは素ではない表情でニュースを伝えているということだ。これはのちに『ニュースステーション』を始めるときに、『ニュースを伝えるときの表情はどうあるべきか』という問いにつながっていく。」
 
これは『ニュースステーション』で、ある答えを出しているが、それはもう少し後の話だ。

『ぴったし カン・カン』と同時にはじまった、TBSの『料理天国』は料理バラエティーショーの先駆けともいえる番組で、これも平均視聴率20パーセントという人気番組だった。
 
そして1978年から、のちに「伝説の音楽番組」と呼ばれる『ザ・ベストテン』の司会を、黒柳徹子と務めることになる。
 
これはまず、公正極まりないランキング表が、絶対のものとしてあった。売り込みたい芸能プロダクションの思惑など、まったく意に介さなかったのだ。
 
この番組は生放送だったので、生きのいいニュースも一緒に取り上げた。

「僕にとって『ザ・ベストテン』は時事的、政治的な情報番組であり、のちの『ニュースステーション』のほうがニュースを面白く見せることに腐心したぶん、ベストテン的という意識が強かった。二つの番組は、僕の中で表裏の関係をなしていた。」
 
この本のサブタイトルの意味が、ここにある(とはいえ、このサブタイトルはあまりよくない、というか、そんなに効果をあげていない)。
 
久米宏は、『ぴったし カン・カン』『料理天国』『ザ・ベストテン』と、人気番組の司会が目白押しで、視聴率が合わせて100パーセントを超えたため、「視聴率100パーセント・アナ」と呼ばれるようになる。
 
そこで久米は、目が回るように忙しかったTBSの社員を辞め、フリーになる。「オフィス・トゥー・ワン」の世話になることにしたのだ。
 
このときオフィス・トゥー・ワンの社長に、久米は、「いまだ発展途上の段階にあるテレビの機能を最大限に生かせる番組をつくりたい」、「具体的に言えば、テレビの本質はニュースとスポーツ」しかない、と明言している。
posted by 中嶋 廣 at 16:57Comment(0)日記