いまこそ「脳卒中文学」を――『万治クン』(1)

昔、斎藤美奈子の『妊娠小説』という評論があった。内容はあらかた忘れたけれど、面白い本だという記憶は残っている。

しかしそれよりも、タイトルの方が強烈だった。いつか真似してやれと思っていたが、三年前に脳出血で倒れて以来、『脳卒中文学』というのができないかと、妄想を逞しくしてきた。

『脳卒中文学』は新書くらいの分量で、『夫・車谷長吉』や『父・福田恆存』などなどを取り上げる。全体を二部に分け、「Ⅰ 脳梗塞文学」「Ⅱ 脳出血文学」とする。
『万治クン』は「Ⅱ 脳出血文学」に出てくる(予定だ)。
 
永倉万治は1948年に生まれた。軽妙なエッセイや小説を書いたが、89年に脳出血で、半身不随と失語症になった。熱心なリハビリで執筆再開を果たすが、2000年、脳出血を再発、入院先の国立埼玉病院で亡くなった。
 
本書は、妻の有子が立教大学で、永倉万治に出会うところから始まる。万治は在学中から東京キッドブラザーズにのめりこみ、有子もまたそれに巻き込まれる。

しかし前半の病気をするところまでは、あまり面白くない。東由多加との出会いも、横で見ていて通り一遍のものに過ぎず、永倉万治と東由多加がどういうところで意気投合し、そして分かれていったのかは、よくわからない。
 
しかし後半は、様子ががらりと変わる。
「一九八九年三月十日、永倉と私は未知の領域に足を踏み出した。というか、転がり落ちたというべきか。
・・・・・・永倉はJR四ツ谷駅ホームで昏倒、救急車で大久保の病院に運ばれた。意識不明のため住所氏名がわからず、カバンの中にあった原稿用紙から、講談社に連絡が行き、そこで初めて永倉ということが判明したのだった。
・・・・・・皆、深刻な表情を浮かべている。私が永倉の妻とわかると、慌てて目をそらす人もいた。それでもまだ、私には事の重大さがわかっていない。」

身内はみんな、だいたいこういうものだろう。本人はもちろん意識不明だから、どうということはない、どうしようもない。

こういうとき医者は、命は助かっても、最悪の事態を告げるものだ。
「明日、出血した部分を取り除くための手術を行う予定だが、依然、血圧が高いので、成功するかどうかはわからない。たとえ手術が成功しても『右半身マヒ』と『言語障害』という重い障害が残るから、作家としての活動は二度とできないと覚悟してほしい。」
 
私も、女房が似たようなことを、医者に言われた。最悪のことを覚悟しておけという、紋切り型の口上だが、もう少し何とかならないか。一身にして二生を経る、というような(ムリかな)。
 
永倉万治には、このとき十二歳と六歳の息子がいた。
posted by 中嶋 廣 at 19:26Comment(0)日記