日本の負の縮図――『東芝の悲劇』(2)

西室泰三の「選択と集中」については、結果的に次の三代の社長が東芝を壊していったのだから、しかも「選択」の中に原発が入っていたので、もうどうしようもなかったが、しかし、ではそれ以外にどういうやり方があるか、と問われれば、はたと考えてしまう。

「西室が採用した社内カンパニー制はやがて、・・・・・・遠心力を強めていった。それぞれが『関東軍』のように独立性を高め、本社の経理や財務、人事などコーポレートスタッフが実情を把握しにくい伏魔殿が各カンパニーにできていく。
 ・・・・・・
 後の東芝粉飾決算問題で明らかになる各カンパニーの暴走とチェック機能の形骸化は、このとき西室が主導した組織・機構改革に遠因がある。」
 
本当に他にどんな手法があっただろう。あるいは「選択と集中」のやり方が、ずさんだったのか。私は東芝の経営者に、寄り添いすぎているだろうか。

次の岡村正社長は、西室泰三が会長として権限を振るうための置物にすぎなかった。この間にITバブルが崩壊し、またパソコンの大幅な値崩れが起こっている。ITバブル崩壊については「東芝の半導体部門には設計力も製造力もあるが、半導体部門のトップがタイミングを見た投資決断ができない」ということであった。
 
パソコンについては取締役の西田厚聰が、決算の赤字をたちまち黒字にしている。大赤字のパソコン事業を劇的な黒字に立て直し、東芝社内では「西田の奇跡」「西田マジック」とよばれ、岡村の次の社長を確実なものにしている。
 
しかしこれには、じつはカラクリがあった。「バイセル取引」という「安く調達した部品を各台湾メーカーに売って(セル)、彼らに組み立ててもらって完成品のパソコンになったあかつきには東芝が買い戻す(バイ)」という、これ自体は適法な取引を、極端な数字を当てはめ、四半期の決算ごとに黒字にすり替えるというものだ。
 
これは、西田社長がパソコンを海外で売りまくったがために、それが勲章となり身動きが取れなくなっていく。さらにアメリカからリーマンショックが襲いかかり、粉飾決算は恒常化した。
 
また西田社長のときに「チャレンジ」と称して、より高い目標を設定させ、それに無理やり到達させることが行われた。このときも、生産額は今期中に計上し、経費は次期に繰り越す、という経理操作が行われている。

もちろん、こんなことをしてもしょうがない。けれども、決算があって数字で成績が出るときには、苦し紛れに近視眼的にやってしまうかもしれない。しかしこれを、たとえば「バイセル取引」で、社長自らが率先してやっていては、どうしようもない。
posted by 中嶋 廣 at 18:20Comment(0)日記