ときどき微妙に面白い――『みずいろメガネ』(1)

『あのころ、早稲田で』の項で、中野翠を読むのは初めてだと言ったら、編集者のО君が、「信じられない。ちょうど会社の引越しで片づけものをしていたら、中野翠が出てきたので上げるよ」。
 
それで『みずいろメガネ』を貰って読んでみる。これは、菊地信義さんの装幀を覚えている。涼しい、いい装幀だった。買おうかどうしようか迷った記憶がある。が、けっきょく買わずにすませた。そういう本とご対面である。ちょっとドキドキする。
 
しかし読み進めていくと、そんなに面白くはない。といって、それほどつまらなくもない。微妙である。

週刊誌のコラムの連載は、後から時間が経ってみれば、こういうものなのだろうか。言っておくのを忘れたが、これは『サンデー毎日』のコラムをまとめたものだ。
 
そんな中に、ときどき面白い話が混じっている。旧友・呉智英との会話。

電話でよくあるのは、著者の場合は結婚相談所だとか、お見合いサークルとかの押し売り電話だが、それがある時期から、墓所・霊園のセールス電話に変わった(年齢ですなあ)。
 
著者はもちろん「結構です! 間に合ってます!」と言って切る。でも呉智英は、そんなそっけないことはしない。

「少しは会話のやりとりをして、相手が『お宅の御宗旨は?』と聞くと、待ってましたとばかり『ゾロアスター教です』と答えるのだそうだ。」
いやはや、抱腹絶倒ですな。
 
あるいは、2011年に観た映画の中から、ベストテンを選ぶとき。10本目に、アニメーションの『イリュージョニスト』が入っている。

「いやー、期待を裏切らない美しさ。主人公の老手品師の体の動きの『芸術的!』なことと言ったら。風景にも人物にももの悲しい詩情があふれている。うっとり。」

どうして『イリュージョニスト』に反応したかというと、じつはこの年に僕が観た映画はこれ一本のみ。そして確かに、「うっとり」する映画なのだ。
 
でも中野翠は、ときどき文章を書いていて、ずさんな点がある。例えば、次のようなところ。

「増位山は歌のうまい元・力士だけれど、『そんな女のひとりごと』という名曲があって、私はなぜかその歌が好きなのだ。」
 
これは「元・力士だけれど」というところがまずい。「だけれど」というところの前と後が、逆接の関係になっていない。「増位山は歌のうまい元・力士で、」、あるいは「増位山は歌のうまい元・力士である。」としておけば、よかったのに。

でもまあこんなところを取り上げても、小言幸兵衛になるばかりだ。要は、校了にしている編集者もずさんなのだ。
posted by 中嶋 廣 at 17:51Comment(0)日記