キツネ目の男――『突破者―戦後史の陰を駆け抜けた五〇年―』(5)

実はバブルには、いかがわしい「闇の方程式」が、一気に表に噴出したという側面もあるという。

「『闇の方程式』とは、政官財の中枢に位置する一部の優秀な連中が戦前から行っていた陰の財テク方法である。例えば、有力政治家や財界のトップ経営者が財テクを行う場合、従来から土地転がしや株操作の手法が取られていた。それが『闇の方程式』たる所以は、その方程式のなかに必ず損をする人間、つまりババ抜きのババをあえて摑む人間、つまり泥をかぶる人間をあらかじめ準備していること。」
 
それが一挙に、表に噴き出てきたというのだ。宮崎学は、なまじ実社会にすっぽり組み込まれていない分、それだけ全体がよく見えている。
 
けれども、よく見えているからこそ、逆にそれが、望ましい方向に進んでいるとは、とうてい思えない。

「暴対法の作成・施行の尖兵になったのは私より年下の若手官僚、次代のエスタブリッシュメントであった。・・・・・・彼らは従来のダーティなものに依存した『不潔』で『非合理的』な統治を清算して、『清潔』で『合理的』な統治を実現しようという構想をもっている。・・・・・・『暴力団が生きていける環境を根絶する』ことを本気で追求しようとしているのだ。これは、暴力団追放という形をとりあえずは取っているが、気色の悪い思想、というより感性である。徹底した異物排除の上に立った『清潔なファシズム』を目指しているとしか思えないのだ。」

「暴力団が生きていける環境」を根絶やしにすることが、そのまま、異物を排除した「清潔なファシズム」を招来する、ということについては、一足飛びにその結論にはなりにくい。でも言っていることは、分かるような気がする。それはつまりこういうことだ。

「この本に登場した多くの人間は滅びゆく者たちである、と私は思っている。だがしかし、もう一度この連中が最後の光芒を放つときがあるのではないか、いやあるに違いない、とも思うのだ。」
 
そして著者は、たとえば北朝鮮の動乱の波紋が、アジア全域に広がるとき、それまでの小市民では、時代を突破できまいというのだ。
 
たしかに現実はどうなるかわからない。けれども、著者のいう「突破者」は、すでに歴史のかなたに追いやられたのではないか。二十年前のベストセラーを読みつつ、僕はそんなことを考えた。それはもちろん、人間の非合理的な側面が、突然噴き上げてくるのを防げるものでは全然ないけれど。

(『突破者―戦後史の陰を駆け抜けた五〇年―』
 宮崎学、南風社、1996年10月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 17:52Comment(0)日記