キツネ目の男――『突破者―戦後史の陰を駆け抜けた五〇年―』(2)

その後、宮崎学は「週刊現代」の専属記者になる。これは講談社の専属社員というわけではない。週刊誌が売れに売れた時代に、記者として半分関わりつつ、それを半分外から見ている。これは、出身がヤクザという特異さによるだろうが、それがプラスに出た面がある。
 
高度成長の下での労働過程の変化も、独特の見方をしていて面白い。

「職人ということでいえば、ちょうどこの頃、日本の職人や労働者の世界が大きく変貌したように思う。……かつての多機能的熟練作業が単純流れ作業に、組単位の請負的作業体系がラインに統合される一貫作業体系に置き換えられていく。・・・・・・高度成長のなかで労働過程が変化し、こうしたものが壊されていくにしたがって、自治的秩序、組的団結の要であったはずの労働組合は、賃上げと労働条件改善のみを追い求めるものになっていき、・・・・・・労働者は個々ばらばらの形で企業社会のなかでの出世を追い求めることにしか自らの社会的地位を見出すことができなくなっていった。」
 
これは、経済学の本ではないので、裏付けとなる資料は提示されていないが、いまから1960年代を振り返れば、正確な労働の変質だと思える。
 
その後、著者は関西に帰り、親の代からの解体屋、寺村建産を兄と一緒に経営するが、うまくいかない。
 
本はこのあたりから、徐々に面白くなってくる。倒産に至る借金地獄に、きりきり舞いするところは、読んでいて息苦しくなるほど素晴らしい、というとちょっと語弊があるが、とにかくぐいぐい読ませる。
 
いよいよ最後に、北陸の親戚に金を借りようとするのだが、上手くいかない。「私」はもう、ホテル代も持っていない。しょうがないので、小さな駅の待合室で夜を明かすことにして、とりあえず眠ろうとする。でも眠れない。

「眠れないのは寒さのためばかりではなかった。最後に残しておいた融資口から体よく断られたことで、私に金を貸す者はもうだれもいないことが身に沁みてわかった。その事実を嚙みしめながら、人気もなく、物音ひとつない北国の深夜の駅で身体を縮めて横たわっていると、自分が人格を喪失してゼロの存在になったような思いに襲われるのであった。」
 
虚しく足掻き、あげくの果てに倒産する。これは、元手の掛かった文章である。
posted by 中嶋 廣 at 13:29Comment(0)日記