高橋順子と車谷長吉――『夫・車谷長吉』ほか(7)

結局、「夫婦は渡世の貫目がおなじでなくてはならない」ということだ。しかし、それだけではない。この夫婦は、唯一夫婦になるべくしてなったのだ。相手に出会わなければ、二人とも、一生独身であり続けたろう。そういう意味では、お互い、この世界に唯一無二の相手なのだ。
 
だから狂気の世界も、二人で耐えられたのである。
「洗濯物を取り込みに二階の物干し場に行こうとすると、『いま動かないで。そこらじゅうが回ってる』と言うので、薄暗くなってきた室内に二人じっとしていたこともあった。『もういいよ』と言われるまで。」(引用は以下すべて『夫・車谷長吉』より)
 
しかしそんなときでも、相手の言葉に対しては、誠実である。
「そんな状態なのに、私の『連句のたのしみ』の原稿を見せると、丁寧に批評してくれるのだった。『ここはカカリが悪いな』などと。カカリとは接続詞などだそうだ。」
 
とはいえ、それでも、大変は大変である。
「布団を干して、夕方、取り入れようとしたところ、『動かないで』と言われてしまった。そこへ雨が降りだし、夜じゅう降って、ぐしょぐしょになる。修羅の家になった。」

『赤目四十八瀧心中未遂』が出来るまでには、このような凄絶な苦労、神経戦があった。
 
その苦労を、そのまま詠んだ詩集、『時の雨』を出してもいいかと、長吉に聞くと、出してもよいと言う。

「自分の狂態を公にされるのはふつうはいやがるものだが。『詩集後半はわれながら鬼気迫る。正確に理解していてくれて驚いた』と言う。私たちは長吉の発病以来ずいぶん多くの時間を一緒に過ごした。」
この詩集は読売文学賞を受賞した。

『赤目四十八瀧心中未遂』が「文學界」に掲載され、それが終わって、単行本として出る直前には、長吉の神経症は少しだけよくなった。

「『死にたくなる』と口走る一方で、返事をするときなど『苦しゅうない』と武家言葉をつかう。『殿、内職でござるか』と外校正の仕事をしていた長吉に声をかけると、『藩の財政が逼迫しておってな』と答えたりした。」
 
長吉は晩年、脳梗塞を患い、弱っていった。
「その晩、長吉がへんなことを言った。『もう体しかなくなった』。頭の中の物質が流れだしてしまったような感覚らしい。」
 
それでも長吉は、福祉の手は借りなかった。最後は自宅で一人で死に、少し後で、散歩から帰った高橋順子に発見されたのである。

(『夫・車谷長吉』高橋順子、文藝春秋、2017年5月17日初刷、ほか)
posted by 中嶋 廣 at 17:55Comment(0)日記